カテゴリ:+ミルニング+( 125 )   

円周率記憶劇場【第二話】激おこプンプン丸しかり   

2013年 12月 31日
20XX年 ギャル語は回り回って50%ほどが古語になっていた。
飛んで火に入る夏の夜、道祖神の招きにあって心をくるはせたギャル達は、かつてはガイドマップに「ナンパ通り」と載っていたが、進む再開発でナンパのメッカではなくなって久しい千葉駅周辺をうろつきながら、さもありなむな会話をするのであった。

「あのメンズ、良いくな~い?」
「ムクムクサンキュー、くね?」
「みな~!恋おこややにくし丸、くね?」
「なめし~!」
「具してしかり~!」

草食男子と思いきやロールキャベツなメンズだった時代から、メンズはまたも退化した。
自分からナンパするというような肉食行動を取るものはもはやおらず「なんか違うってカンジぃ?」という理由で一方的にフラれた男たちは、ただただ、夜が明けたら明けたでシクシクと泣き暮らし、夜は蛍のもえこそわたれと、いたって女々しいのでありんした。

そんな男子群を物色しては、その本質を見抜くギャル達。
パっと見ではイケメンに対し『ムクムクサンキューくね?』(イケテルスマイルじゃない?)という肯定的な意見が出るものの、すぐに群れているただの女々しいメンズだということに気が付いてしまう。
あなかしこ~ギャル候。
観察眼のレベルがお高けぇギャル達は『みな~!恋おこややにくし丸、くね?』その不快感を口にする。

『恋おこややにくし丸』とは『激おこプンプン丸』や『ガチしょんぼり沈殿丸』などの活用形程度ギャル語に属し、『恋愛おハナシにならない度』を示している。
『ややにくし』は、しだいに気に喰わなくなる様子で、程度としては六段階活用のうちの真ん中にあたる。
ちなみにもう一段階おハナシにならないと『ムカ着火むべなし』と変化し、最上級は『恋おこ好きがまし不覚なり風流ドリーム』となるが、まして易からず実用的でないために普及はしていない。
ちなみに、ギャルが2人でいる場合、ギャル達は互いを「そなた」と呼び合う。
3人以上10人以下に同時に呼びかける場合は「みな~」11人以上のギャルに招集をかける場合などは「皆のもの~」目視で100人以上いる場合は「皆の衆~」となる。
おおかた3万人である場合は特別に「うぢゃらでおじゃる」と言う。
したがってTGC(東京ガールズコレクション)は、うじゃらでおじゃる。

ギャル達は相槌の殆どを古語から取り入れており、彼女たちの秀逸な単語選びのセンスは古今にその変化は無いのである。
ギャル達の独自文化は更新スピードが速く、年寄りが使われ方を覚え、その意味を理解する頃には、とっくにそのギャル語は廃れていることであろう。
しかしこの頃のギャル語は古語なもんで、なかなかさしもあらぬなどもありかし。
平安時代のお年寄りであっても理解が容易であるので、世代間ギャップなどという問題は存在しない。
『なめし~!』や『具してしかり~!』などは、古い人間ほどその意味が正確にわかることだろう。
平安時代のお年寄りが現代に生きていないこと以外には、何の問題もない。

上記ギャル達の会話を口語訳すると以下のようになる。

「あの男の子たち良くない?」
「笑顔が素敵じゃない?」
「みんな!しっかりするのよ!見てみなさいよ、そのうち気にくわないことしでかすんだから、ほら」
「無礼ね~!」
「誰か連れてけ~!」

メンズたちは一体なにをしでかしたというのだろうか。
ショーウィンドーに写る自分の姿の、前髪の流れ具合や、後頭部の毛束感をクシュと気にしているメンズたちよ。
そんな細かいトコロなど、誰も注目すらしていない。
見られているのはキミたちの愚行のほうだということを、如何に況むや肝に銘ずと然るべし。

では、古語ギャル語の会話をリピートアフターミー、くね?
これで円周率の小数点以下36桁目から60桁目までが書ける、的な。

 4197  1
良いくな~い?
 6 9 3 9 9
ムクムクサンキューくね?
3 7
みな~!
5105 8 2 0 9
恋おこややにくし丸くね?
7 4
なめし~!
94 4
具してしかり~!


小数点以下35桁までが書ける【第一話】はゑずトリア研究所の円周率記憶劇場イーパ!『幻の滴「クナ」を求めて』でご記憶くださいませ。
[PR]

by yoyo4697ru980gw | 2013-12-31 00:29 | +ミルニング+ | Comments(0)

週イチ介護   

2013年 12月 22日
「まぅが介護職なんて想像できひんわァ…出来るん?」
「…出来るかなァ?私も自分で介護職なんて無理ちゃうか~て思ってる」
「え?!採用されたんやろ?」
「うん、された。なぜかされた。週1やのに。コネってスゴいよね。フツーの求人募集で面接に行った知り合いのひとは落ちたんやで、ヘルパーの資格を持ってるのに。私が縁故採用されたばっかりに…すまんな」

紹介してくれたミッチーの顔を潰さないためにも、誰よりも努力して週1とは思えないスピードで仕事を覚える所存です。
病人だけど、資格もないけど、ましてや経験すらないけど、ボンブー仲間のよしみで『まぅちゃんなら』ちゅうボンブー信用で採用してもらった38さい新人でっす!がん、ばり、まっす!
私の身体の具合を知っているミッチーが自身の勤める介護施設の偉いさんに、週1だけれども一生懸命に働くであろう人間がいると話をしてくれたのである。
私が処方されている痛み止めはとても高く、薬代は2週間で3000円近くする。その薬代をせめて稼ぐために、働く必要があるのだ。

紹介された介護施設でもうひとりの新人サンと一緒に、施設説明と入社に際しての書類一式を受け取る。同日に入社をする同僚というわけなんだけど、この新人サンはヘルパーの資格を持つ週5スタッフ。肩身が狭い…私…働く気あんのかって…きっと思われてる…。
書類説明でもちょいちょい「あ、この書類は千徒さんは関係ないです」とか「あ、千徒さんの場合は要りません」と偉いサンが挟む。
なんせ週1やから、保険関係とか源泉徴収とか扶養なんちゃらとか、そゆの、ナイの。

帰り際、週5新人と自転車置き場まで一緒になり「週1なんですか?」とやっぱり突っ込まれた。「ええ。そうは見えていないでしょうがこの体は病気に蝕まれておりまして治療中なんです。週1の仕事に耐えるかどうかをみないことには就業時間を増やすわけにもいかないもので」と若干の脚色を加えて正直に打ち明ける。
治療はまだ始まってないけどいずれ始まると仮定して語りました。
今後、試用期間6ヶ月をともに同期として働くわけだしね。半年の間には治療も始まると思うし…そう願いたいが。

面接の時から髪も黒く戻したし、爪も切り当然ネイルなしで薄化粧。
完璧なる週イチ介護のオンナ。私なんでもカタチから入るタイプ。
私の思う『介護職』のイメージで整えました。ピアスも外して、靴下は白。
ところがである。
偉いサンにこう言われた。
「制服の下に私服を着ていただくのは構いませんが、色だけ規定があります。白か、それに近い白っぽいもの、なるべく色の薄いものを着用するように、それだけはご了承ください。これは利用者様がどこか怪我をされて血が出ている、といった場合に色の濃い服ですと血がついていることが瞬時にわからないので、スタッフの制服は白いものにしています」
へぇ~~~~っと思ってね。
白い制服にそんな理由があったなんて。
清潔感から白と単純に考えてた。
もちろんそれもあるんだろうけど、実用的な理由があったなんて。

そしてである。
私は一応、わかっちゃいるけども、自分のカットソーの確認をしてみた。
見事に、黒・紺・茶・カラシ・緑・ワイン・赤・グレー。
一枚も白はおろか、淡い色がない。譲ってアイボリーもなかった。
いかに私が『さわやか』なイメージで売れないか、ということである。
厳密には一枚だけ白のカットソーはあった。
それは冠婚葬祭用の準礼装テイストのレイシーカットソー。
いくらなんでも、やがな。
持ってはいるけど、着た覚えがない。
おそらくだが、準礼装の機会に着てはみてるがそんなイメージじゃないので結局シャツとか着てんだと思う。

さっそく入社が12月だったので、白いカットソーを買った。
ついでに夏物が処分値の500円だったので2枚ほど買ってみた、もちろん『淡い色』2枚である。
さわやかな週イチ介護のオンナで売るからな、これからは。

治療費に困っている私に夕方、ゆきちが電話をくれて、春の3ヶ月間週末に中学校で制服を売るバイトせぇへんか~と言う。
さわやかに制服の採寸もしちゃおうかな。
夜な夜なコラムも書いちゃうしね、さわやかに。
これからは「さわやか」に何でもこなすのサ。



「アナタ、私の孫に似ているなぁとおもて、こないだもずっと見てたの」
「あ~~~そうなんですか?すいません気付かなくって。お孫さん、おいくつですか?」
「もうオトナになって結婚したの。結婚してからは全然来なくなっちゃって、会ってないの。結婚したら会いに来てくれないのね。アナタ、本当に良く似てる」
週イチで介護職に就いてから、二度目の出勤日。
まだ利用者さんみんなの顔を覚えていない新人の私は、ひとりのおばあさんに、孫に似ていると声を掛けられた。
たった一度の私の顔を覚えてくだすった理由は、孫に似ているからである。
座っているおばあさんの前に肘をついて屈むと、おばあさんは私が左胸に付けている名札を手に取った。
「まぁ、アナタまぅちゃんって言うの?私の孫はまぅみで、まぅちゃん・まぅちゃん、ゆぅて可愛がったのよ。ご飯をしてあげてね、プールも。今はもう行けないけど、公園、遊園地、水族館、いろんな遊びに連れて行ったのよ。アナタはまぅちゃんなのね、一緒なのね、次はいつ会えるの?」
「私、週に1回なの。次の月曜日に会いましょう、月曜日がまぅちゃんの日やね」
「あぁ、そう。そうなの。まぅちゃん、いい名前。私の孫に本当に良く似てるわ」

同じように私も、祖母に『マゥしゃんマゥしゃん』ゆぅて可愛がってもーたなァ。会いに行こうかなぁ~…宮崎遠いなぁ~…。

月曜日の孫に似た「まぅちゃん」を待ってくれるあのおばあちゃんがいる。幼い時から「マゥしゃん」と私を大事にしてくれた祖母が遠い宮崎で目が見えなくなって不便な生活を送っている。
私の返せるものとは何だろう。せめて欠勤をしないことくらいだろうか。
痛みくらいなんのそのだな、こんなことこれから先いくらでもあることだと思うし、慣れる意味でも痛みくらいで欠勤しないよう心掛けようっと。
よしっ!明日はオキノームの量を増やすぞっ!便秘になったら下剤で出すぞっ!吐き気があっても飯喰ってやるっ!!
[PR]

by yoyo4697ru980gw | 2013-12-22 18:39 | +ミルニング+ | Comments(0)

非秘密主義者の手間好事家   

2013年 11月 21日
「わ~~~~まぅ思いっきり顔出しちゃってるやーん」
私のブログをiPodで閲覧しているらしいひー坊が私の横で感想を述べた。
「あぁ…歌劇のね。…まァ…そうやなぁ…歌劇に感化されて出しちゃった、てコトにするわ。最近おなじような感想をシオさんからも聞いたな、ブログに顔出してたやん、て。そんなに顔隠してることもないねんけどなぁ、チラ見せのセンを狙ってるダケで」
「今の今までいろいろやって顔隠してきてたのに、丸出しにしちゃってるやんか~悪用されんで~」
「悪用されるほどの知名度がないわ、残念やけど。まァそれを見たトコロで私ってカンジがするか?私はあんましないケド」
「すごくまぅってカンジがしてるで」
「そう?」
ひー坊にとって私のイメージってこうなんだな。
この、なんと表現すべきかわからないロングジャケット…ソフトゴシックパンクなロングジャケットコートだから『シェゲナベイベー』略して『シェゲナ』とでも言おうか。このシェゲナを着ているのって、年に数回あるかなしかくらいの頻度。コート着るほどじゃないけどマフラーは要る、短い丈のジャケットじゃ薄ら寒くてショーパン穿く、みたいな限定的な季節の時に着るシェゲナ。ソフトにパンク調だから場所も選ぶしサ。それなのに私ってカンジがするなんて、私ってもしやハード系なのかな。
そう言えば前の職場のひとにも『ドラゴン・タトゥーの女』に似てると言われて、知らなかったので画像検索をしたら、自分の想像を超えるほどのハードなモヒカン女優がヒットした。自分自身でそんなイメージはこれっぽちもないが、死神系統であるらしい。

タネ明かしをすれば、最後の最後で面倒になって『もぉこれぐらいええやろ』てコトだったのだ。
画像は、読んでいるひとにしてみたら最初の一枚かもしれないが、この画像は結構な後半でやった処理である。
歌劇の文では33枚の写真と1枚のスニッピング画像を使用しているが、これらほぼ全ての写真は画像処理をしたうえでアップしている。
ブログに使用している画像は今回に限らず、カメラで撮影したそのままを載せているわけではなく、影が出来ていれば修正し色合いを微調節したりモザイクかけたりトリミングしたりサイズ変更をしたり、数々の編集をしてようやくアップしている。
しかも1つの写真が1枚ってことはまァ稀で、真正面・斜め・立て・マクロといった具合で別アングルなんかを予備で撮っておく。
その中から使えるモノを取捨選択するところから始まっていて、じつはおっそろしく時間のかかることをしているのである。画像をアップしなくてもすむ文章表現力があれば問題ないのだけど、それがないからこんなしちめんどくせぇことをしてるわけなのねー。

私はブログに顔を出さないという秘密主義者でもなんでもないのだけど、文字で顔が隠れるようにはしている、これはわざとね。
モザイクかけるほうが手っ取り早いし、もっと処理を簡単にしてペイントで塗りつぶせばそれでええわけ。顔にスタンプ乗すだけでも、それはそれで「顔を隠す」ていう目的は果たすわけでね。
でも、よそのブログとかで、ペイントで塗りつぶしていたりスタンプを乗せていたりするのを見ると、文章の匿名性がすんごく強調されてしまうのを感じるんだよね。私だけかもしんないんだけど。
それってね、どうゆう負の効果があるかと言うと、せっかく文章が面白くて内容も充実しているのに、それをわかりやすく伝えるはずの補足の写真で、文章を書いたひと本人の顔がペイントで塗りつぶされていると、途端に「自分の書いた文章に責任を持ちたくない」という印象を与えてしまう。
これをどうにか出来ないモンかなぁ~と思ってチャレンジした結果が、画像の説明テキストを写真の中に入れてその隙間から顔や全体的な雰囲気をチラ見せする、という方法だったというわけ。
ペイントで塗りつぶしたりモザイクかけるよりも、私はこっちのほうが文章を邪魔しないし、写真はあくまでも補足っていうポジションを守れると思うんだけど、コレって私感なのかな?
どうすか?
律儀にこの文章を読んでいるソコのアナタ。
アナタにはこの方法はどう感じられてますか?

私はプロとしてこのブログを書いているわけでないので、記名原稿にする必要もないし、責任を取んなきゃなんないような立場にいる人間でもないんだけど、自分が読んでいてガッカリする文章のポイントってのがいくつかあって、それがたとえ素人の文章であってもガッカリするもんはガッカリしちゃうもん。プロの文章であればなおさらガッカリするし。
だからココにわざわざアクセスしてもらい、こうやってわざわざ読んでもらうからには、せめて自分がガッカリするようなポイントでガッカリさせるような文章は書くまいぞ、とそれだけは心に留めて、書く努力はしています。そうは、思えないことでしょうがね☆
私の二大『ガッカリするポイント』が、補足であるハズの写真でガッカリすることと「某○○」の文章。
その二大ガッカリポイントの轍を私が踏んでなきゃイイんだけど。
踏んではいないつもりでおりますが、もし踏んでいる場合はどうぞご叱責くださいまし。
[PR]

by yoyo4697ru980gw | 2013-11-21 23:26 | +ミルニング+ | Comments(0)

和して同ぜず   

2013年 10月 27日
病気が発覚して、真っ先に退いたのがボランティア活動。
仕事を辞めるよりも先に、ボランティアの代表に相談してお稽古から退いた。

ボランティアには様々なジャンルがあるだろうけれど、私のやっているボランティアは『皆さんに楽しんでもらうための余興』という意味合いのオファーをいただいて参加する趣旨のものである。
そこへたった2時間の踊りも満足に出来ずに息があがってしまうような踊り子が来て見ているひとが楽しめるか、と考えた時、私だったら楽しめないというハッキリとした答えが出た。
気分でも悪いのかしら…と心配させてしまうような、見ていて痛々しいボランティアではせっかくの余興は台無しである。
自己満足のボランティアほど、迷惑の押し売りはないと私は思う。
サークルの仲間にしたってそう。本番に参加しない私の身体を心配しながらお稽古をしているだなんて、私は踊りが好きだからそれで楽しいだろうけど、サークルの本来の目的からはズレている。

問題なく元気だった私が復帰がいつかわからない状況で休めば何の重病かと疑問に思うだろうし、話題にも当然のぼるだろうから、私の病状を代表の口から伝えるというカタチで皆に告げてもかまわないので判断はおまかせします、と言うと、代表は『病気を治す間はお休み』とだけ伝えておく、とおっしゃった。私よりも皆とは長い付き合いの代表がそう言うのだから、右に倣え。

力仕事のボランティアや災害復興のボランティアなど、若い世代のその若いパワーを活用してボランティアをしている若者も当然いるだろうが、私がやっている余興タイプのボランティア界に10代や20代の若者は私の知る限りでは皆無。
なぜならば、聴いたこともないような民舞を扇を持って踊ったりするから。
『平日2日はゲートボールに勤しんで休日の早朝は太極拳』てなライフスタイルでなければ、伸ばした指先に広げた舞扇をスーっと持って来てピっと止めることに、シビれることなどとても出来ないことだろうと思う。
シビれなくとも若い体力とキレでよしんば扇を操れたとしても、それを愉しいと思えるかどうかは甚だ疑問である。
30代の私でもじつは扇を使って舞いながらも、その愉しさの半分も理解してはいない。
この理解度というのは明らかに年齢が関係している。ジジババが演歌や時代劇を好むのと似ているの。まだまだ個性や奇抜やを好むような世代が、愉しみを理解出来るような嗜好ではないのね。
人生経験を豊富に積んだ年齢のひとが、様々なひととの関わりとそれに付随する悲喜こもごもを越えて超えて最終的に行き着く嗜好。そこには『定番』にも似た安心感があるものである。それでいてその舞いにはそのひとが歩んだ人生のストーリーが含まれているようなね。

私は子供の頃に祖母が三味線を弾くのを見て、その曲が何なのかも歌なのか語りなのかもひとつもわからなかったが、ただ祖母のバチが三味線を弾く時にはなんて凛としていることかと思っていた。
小学生だからその姿が『凛としている』とわかったわけではないが、小さいながらも三味線を弾いている祖母にはなんとなく近寄るのが憚られた。その理由が祖母が『凛としている』からに他ならなかったことに、高校生くらいで気が付いた。
凛としている姿がカッコイイのは中年以降の年齢の特権ではなかろうか。
若さでは勝てないが、我々には『凜』がある。小娘がいくら表面的に『凜』と見せても、40代の『凜』には勝てようはずがない。胸を痛めた回数が多いほど、凛とした姿にハクが付くってもんだからね、勝てまい小娘よ、おぬしの涙はまだまだ清いわぬはははは。マスカラが流れ落ちるのも気にせず黒い涙を流さんかいだはははは。

…と、小娘を罵ってしまったが、老人ホーム慰問が中心であるボランティア活動の世界では、37歳である私は『元気の塊』のような若さである。
ボランティアを始めた当初、慰問先のお年寄りから「いろんなボランティア団体が来ていろんなことをしてくれるけど、全部の中でアンタが飛び抜けて若い!一番、若いわ~!」と言われた時には、そんなにボランティア界に若者がいないものかと思ったが、本当にいなかった。
どこへ行っても私が若く、我が親よりも目上の方々と活動しているのが現状である。
『一番若い』が、実際はホルモンバランスも崩れだし大病を患いはじめるアラフォーの域なのだ。昭和50年産まれ、37歳。
見た目には出ていませんでしょうが、なかなかガタ、キてますよー。21歳から腰痛患ぅてますねん、毎年のように足の指は骨折しよぅし、ええトコゆぅたら性格と顔くらい。あとはドコもカシコも難アリですねや。

夏の病み始めに少々体重が減って見た目が病人らしかったんだけども、それからみるみる元気になっていったのを期に、ひとつだけのつもりで、ボランティアを個人的にやってみた。
知人の働いている介護施設で初めて夏祭りをやってみるということで『盆踊りをして盛り上げて』という気軽なオファーだった。
一番カンタンで知名度の高い炭坑節と東京音頭を踊って帰る予定が、その場が盛り上がりすぎてしまい、施設のご老人がカラオケで歌う河内音頭に合わせて踊ったり、職員さんが輪の中に混ざって踊ったり、盆踊り曲のリクエストが出たりと、騒々しいほどになって予定時間を大幅に過ぎる。
それでもご老人たちの盛り上がりはやまず、最後のほうでは各テーブルの合間をぬって踊り、アッチにコッチにとテーブルに座ったご老人と手を合わせ肩を叩き目を合わせ腕を振り、さぁ次は何かといった具合である。

そうやって盛り上がる中、おひとりの老媼が私に向かっておいでおいでと手招きをしているのが目についた。
施設に来られているご老人たちには、もちろん健康である方はいない。
車椅子の方、半身麻痺の方、視力・聴力・握力・脚力、様々な箇所に程度の差はあれど障害を持っておいでである。
手招きの老媼は、声がなかなか出ないようであった。クチをパクパクとさせながら私に向かってしきりに手招きをするので、私は踊りながら近づいて行き、老媼のクチもとに耳を添えた。すると老媼の微かな声は、私の耳にこう囁いたのである。

「たのしい、たのしい」

私はその瞬間、自分がいかに自分本位に物事を考えていたことかと思い知った。
「たのしい」は、私のものでもなく誰かのものでもなく、共有するものであった。
私は自分が「してやる側の人間」だという傲り高ぶった考え方をしていたのだ。
だから私が元気でなければ意味がなかったし、ちゃんと出来なきゃダメだった。
一緒にたのしむ気があるかどうかなだけでよかったんだな、ボランティアって。
それに技術があとから付いてくればそれでいいんだと思う。
やってゆく中で順を追っていろんなことがわかり、学び、実践して、経験にし知識にし技術にしていけばいいんだと思う。
病気だったら病気のままで出来ることが何かをしてみたらよかったんやな。
「たのしい」を共有できる方法でやればよかったことを、たのしめないと決めつけて。

今、私はボランティアのお稽古に行っている。
しんどい時には正直にしんどいと言い、2時間前まで行くつもりだったけど土壇場になって「鼻血が出ているからどうも行けそうにない」と言ったりもする。
「アンタそんなに続けて踊って大丈夫かいな~」と心配されながら「今日は調子ええから大丈夫~」と大丈夫な時にはここぞとばかりに踊っている。
誰も出るなんて言ってなかった今日のボランティア発表会に「出ようや~ほんで新規メンバー募集中って宣伝しようや~」と言い出したのは私である。
「まぅちゃんが出たいってゆぅなら、ほな出ようか~」と意を決してたった2回しか出来ないお稽古でも出ることに賛成してくれたハムさんとモリッチ。
ボランティア界で私は『若モン』なんであるが、このボランティアの世界で学べる奥深い人間の在りようを、私は私よりも若い世代に是非とも感じ取ってもらいたいと思う。

ボランティアの世界は一筋縄ではいかない。直面している問題点のほうが多い。
人間関係に於いても通常の社会より何倍も複雑で、何倍もややこしい。
このたった1年の間ですら、私は何度もやめてしまおうと思ったし、溜息を吐きながら動いたことも数え切れないくらいある。
それでも、これだけの数々の苦労を束にしても、たった一回の出会いやたった一度の感動がそれらをチャラにした。
このつまづきくらい何やねんまだまだやれる、と思わせてくれた。
このような経験があるとなしとでは、何かが違うような気が私はする。
それが何かはわからんが、若い世代が持っていて損にはならない、ということだけは言える。

若いうちの苦労は買ってでもしろと言うけれども、買うくらいなら、ウチのボランティアで活動することをオススメする。
なんたってボランティアだから年会費がないうえに、漏れなく様々な種類の苦労が付いてきますのでね、一石二鳥です。
[PR]

by yoyo4697ru980gw | 2013-10-27 10:16 | +ミルニング+ | Comments(0)

捨てるために買うゴミ袋 お荷物になるエコバッグ   

2013年 10月 21日
私は最近とてもヒマなのでちょっくらそのヘンを無駄に歩いたりするのだが、まァすごいねぇ、スマホの普及率。それに比例する首カックン率の高さね。まァそこ100mを歩く間に、何人の『スマホ画面を見ているひと』を避けるとお思いか。10歩に1人は避けている有様だけど、全員が全員とも私がアナタ様を避けていることに気付いてもいないの。スマホの画面を見ているひとって首をカックンと下げて自分の足先の30㎝くらいの範囲しか見てないんだね。

そのヘンを歩いている時に私はおおかた手ブラで、ジーンズのポケットに800円以下のチャリ銭を入れている。日によって小銭の持ち合わせが違うので金額はまちまちだけど枚数はいつも3~4枚。
散歩先で農家の畑で100円野菜が売られていたり、途中のスーパーの軒下ワゴンでバナナが88円で売られていた時に購入するためのチャリ銭であり、これはどんなにバカバカ農家やスーパーが出て来ても、買い物の額が800円を超えることはない。
だって800円以上買ったら重くて散歩をやめる羽目になるからね。
散歩だけして何も買うことなく帰ってくることも勿論あって、そんな時でも3~4枚のチャリ銭は何の枷にもならない。

問題は、エコバッグのほうである。
このエコバッグというヤツは、結局なにも買わなかった時の散歩では最初から最後までただのお荷物なんである。
私のエコバッグは背負える。
エコバッグ的には背負える形状で作られてはいないだろうし、私以外のひとで同じタイプのエコバッグを背負っているひとにお目にかかったことはないが、私は背負っている。ソコがスーパーの袋とは違うトコロで、スーパーの袋とほぼ同形状ではあるが、取っ手の部分が長く、腕を通してまるでリュックのように背負えるとても便利なエコバッグなのだ。

この私のエコバッグのことを家族が「モーモー」と呼ぶ。
「エコバッグ持ったか?」という意味で「モーモー持った?」と言い、「まぅのエコバッグ貸して」という意味で「まぅのモーモーどこ?」と言う。こないだは実家のオカンまで「まぅちゃん、モーモーは?」言ったので、さすがに今更だが訂正しておきたい。
d0137326_2223560.jpg

みんなが乳牛模様だと思っている、私のモーモーはパンダである。
ウチに乳牛模様の毛布があって、それをずっと「モー毛布」と呼んでいるから、これも見た目でモーモーとなったかと思うが、実はパンダである。私だけが知っている事実だと思うので、ここでちゃんと言っておきたい。
パンダです。
が、私は今まで通りモーモーと呼ぶ。

ペペペと折りたたんでクルクルとやってパチとゴムで留めるとコンパクトになるようになっているモーモーは、そりゃ広げているよりはコンパクトにはなるけど、ジーンズのポケットには入らない。
d0137326_2222927.jpg

だから何も入っていないエコバッグを背負って出掛けるのだが、そもそもリュックでも何でもないので肩に沿わず、落ちてくる。
荷物が入って重みのある状態では、荷物の重みで後ろに重心があるためガバガバの取っ手は重力もええカンジに加わって肩にフィットしているが、行きは完全にカラのスーパーの袋を背負っているダケなので、なんか歩きにくいなぁと思うと背負ってるエコバッグの取っ手が落ちて肘の曲がりを阻止していたりする。音も負荷もなく落ちてくるのが厄介の種で、なかなか落ちてきていることに気がつかない。
背中に何か霊的なイヤな違和感を感じると思って立ち止まると、背負ったエコバッグの両方の取っ手が手首まで落ち切って、歩いて自然に振っている両腕が加圧トレーニングを受けていたりするのだ。

エコバッグがかさばる。

ゴミ袋を買う。

私の中で今このふたつのコトが『腑に落ちない行為』として首位争いをしている。
[PR]

by yoyo4697ru980gw | 2013-10-21 22:19 | +ミルニング+ | Comments(0)

ヨコにシュシュシュ   

2013年 07月 18日
ヨコログというヨコにスクロールするタイプのスキンに変更してみました。
夏なので。

これ、スマホだと便利な具合になっているのだろうか。
PCだと、とんでもなく見にくいし、面倒なんだけど。

早くいつもの縦スクロールスキンに戻したいので、スマホユーザーおよびPCユーザーの方からの、暑いクレームコメントをお待ちしております。

夏なので。
[PR]

by yoyo4697ru980gw | 2013-07-18 13:00 | +ミルニング+ | Comments(0)

サンゲツの壁紙はね~♪   

2013年 04月 01日
舌足らずの滑舌で♪サンゲツの壁紙はね~♪と歌っていた鈴木福くんは、ポストえなりかずきなんじゃないかと、ひっそりと私はひとりで憂えていたが、この度、ジャスティン・ビーバーの如き成長の度合いを目の当たりにし、少々複雑な心境だ。

いやなに、男前にはなりよるで。
無線を操りゴルフが趣味のえなりかずきに寄っているとしたら、サンゲツの壁紙はね~と言っていた福くんは、そのうちコンピューターの壁紙に凝ったりなんかするだろう。
そうなる前に、とりあえずカラダ…鍛えようか福くん。
そんなことを言ってあげたくなるが、そんなひとことも躊躇する。

前髪を上げてキまる男前スタイルを私は『レトロールアメリカン』と呼んでいる。
若干80年代的なスタイルとでも表現したらいいのだろうか。
このスタイルが悪いわけではないのだ。
カッコイイひとはカッコイイ。
ただ、ひとを選ぶ。
思春期を過ぎてから露出したような歌手だったり俳優だったりのスタイルなら、さほどの違和感はないだろう。

ただ、子役からの脱皮でレトロールアメリカンは危うい。
子供っぽさを引きずらずにシフト出来るスタイルではないと思うから。
福くんの成長を半年に1回のペースで観ておきたいと思う。
中学に入って2年間くらい、学業に専念するとレトロールアメリカンがキまると思う。

グットラック!福くん。
[PR]

by yoyo4697ru980gw | 2013-04-01 00:42 | +ミルニング+ | Comments(0)

名前をつけましょ凡人似♪原稿アげましょ百々の仇♪   

2013年 02月 18日
そろそろ桃の節句が来ますかね。
女の子供がいない家庭というのは侘しいもので、ひなまつりは知らない間に過ぎています。
私とて数々のオトコのコに追われ雛壇の後ろに隠れてしまう可愛らしいオンナのコでしたのに、今となっては数々の男に隠し事をされる女になってしまいました。
いいのよ。
正直に言わないほうがかえって良いことも、世の中にはあるわ。

私の文机は一階の居間にある。
本棚は二階のヒー坊の部屋の一角で、寝床はその横のチョモの部屋の一角。
間借りでやってマス。
私のモノは基本的に『すみっこ居候』方式なのだ今のところ。

本棚に用事があったのでヒー坊の部屋に行ったが、目的の本が見当たらないのでヒー坊に訊く。
「あのさぁ…私の辞典知らん?」
ヒー坊は私の古書をよく勝手に読んでいる。
古ければ古いほどちょっとマニアックなジャンルの本なので、出来れば我が子には読んでほしくないのであるが、許可もなしに勝手に読んで置き場所を変える。
私は独自の順番で並べてあるので、変えたらわかる。

「どんな辞典?」
「赤ちゃんの名づけ辞典て書いてるカバーのない本」
「あぁ~アレね。チョモに訊いたら?」
「なんでチョモ?アレはココのことわざの横にあるハズやねんから、チョモに訊いたトコロで…」
「あの辞典はチョモが知ってる」
なんなのだろう、この揺るがない自信。

私は隣の部屋へ移動して聞いた。
「あんたさ、赤ちゃんの名づけ辞典てかいてるカバーなしの本に心当たりあんの?」
「あ~アレな」
「なんで知ってんのよ。アレはヒー坊の部屋の私の本棚にあるはずやのに。なんでヒー坊はチョモが知ってるってことを知ってんねん?」
「アレなら捨てたで?」
「なにっ?!アレすんげぇ大事な本!てゆぅかアレがないと今すぐたった今いま、いま困るし、代わりはナイんだけど!自分のぢゃない本を勝手に捨てるなっ!!どうしよう…どうしよう…私の本が…本当に今すぐ困る…名前が必要…あぁ…」
「ネットで調べたらなんぼでも出てくるやろ、名づけ」
「アホかオマエはなんもわかっとらへんなっ!名づけはネットより本!ページ繰らなアカンねや!しかもあの本がいろいろ調べた中で一番優れてる本やのに…なんでひとの持ち物を勝手に捨てるんやっ!持ち主の意見を聞かなあかんやろーがっ!!!あぁ…もぅ絶対売ってないわ…あんな古い本もうないわ…ブックオフでもないわ…もぅダメだ…私の脚本が…28日までに書けない…絶望的やな」

「ほらよ」
自分の本棚の強化ガラスの扉を開け、チョモは赤ちゃんの名づけ辞典を投げてよこした。
「隠し持っとったんか?なんで捨てたと嘘をついた?なぜにゆえにヒー坊はアンタが知ってることを知ってんのや?なぜアンタら兄弟がこの辞典の在り処を同じように把握しとんのや?」
そうか…敵はヨソにだけでなく身内にもおったか。

思い返せば私がライターを職業として意識し、書き始めた年齢は14才だったではないか。
つーことは16才のチョモや15才のヒー坊が書き始めてもおかしくはないわけだ。
ただ、油断していた。
どう考えても理数系であるチョモが書くはずはないと高をくくっていたのだ、私は。
コミュニケーション障害で学校緘黙症のヒー坊は書くより先にすべきことがあると高をくくっていたのだ、私は。

そうだ、忘れてた。
ひとは人生の岐路に立った時、書く。

吐いて捨てるほどいるライターの中で、それを職業に出来る人間は〆切と枚数とテーマが守れるかどうか。
200枚の原稿を60枚に出来るかどうか。
その作業を継続出来るかどうか。
ただ書くだけなら、誰でもするさ。
いいか、覚えておけ息子どもよ。
原稿10枚てのはな、5枚分の文章を10枚に嵩ましするのではなく、30枚の文章を10枚に要約することだぞ。

百々の仇打ち

産みの苦しみ
[PR]

by yoyo4697ru980gw | 2013-02-18 22:02 | +ミルニング+ | Comments(0)

検定試験   

2013年 02月 10日
数検・漢検、英検に硬筆検定、ええっとそれから歴史検定?
…こんなにザラ紙を無駄にしてからにもったいないなぁ。
ウチは一切、検定試験の案内はいらんから、もぅもらってくるな。
メモ帳はカレンダーの裏で事足るから、ウチの分の印刷をしてもらうな。
いつから学校は資格重視層の回しモンとして営業するようになったんや?
学生が進学するのに資格はいら~ん!
高校卒業後に銀行で働きたいか事務職に就きたいヤツだけが簿記検定を取っておけ~!

私が採用担当者なら、学生期間中に取得した資格よりも、大人になってから、もしくは転職を視野に入れている時期に取得した資格があることを評価する。
大人になって社会人として働いていく上でその資格が必要だと感じ自ら勉強して努力で取得した資格、やりたい職種に就くために必要だと思って取得した資格、そういう動機で取得した資格こそがそのひとの財産だから。
受験に有利な資格などひとつもない。
活用実績のない資格など無意味。
資格は書類上で活かさせるものではないの。
働いてこそ、仕事をしていく中で、自分に必要なスキルや目指したい資格が見えてくるものだ。
勉強が存分に出来る環境がある学生時代に熱心に勉強をして取得した資格と、自分が仕事をしていく上で必要と感じ、スキルアップのために自ら勉強をしたいという気持ちで、働きながらも学習時間を捻出し取得した資格と、同じ資格であってもその価値には違いがある。
その資格が本当に役に立つカタチで取得されているのは、後者である。

そんなこと、人事の一部を数年間担当している私ですらわかるのだから、数多くの人間を教えてきている大学の講師がわからんわけないだろ。
大学受験をするのに、必要な資格や有利な資格というものは存在しない。
必要なのは、これまでに学んできたことの基礎、人間としての基礎、それが身に付いているかどうか、それだけだ。

高校よ、学校という狭い視野の中での経験しか持たない学生たちに、資格取得という情報をチラつかせるのはもうやめたらどうだろうか。
有名大学を出て履歴書に書き切れないほどの資格を持っているのに長らく無職、という中年の男性に、私は中学生の時に出会いそれがとても不思議だった。
頭がいいのに就職出来ないなんて現実があるとは思っていなかったから。

でも今の私になら、わかる現実である。
現実とはかくも厳しいものでもあるが、それは自分の在り方次第でどうにでもなる。
私が思う『一人前のヤツ』とは、定職に就き三度の飯が喰えることだ。
有名大学を出ていなくても、資格がなくても、出来る。
生まれた瞬間から誰もが一人前になる資格を既に持っている。
生きている限り失うことのない素質だ。
[PR]

by yoyo4697ru980gw | 2013-02-10 14:22 | +ミルニング+ | Comments(0)

学ばせてくれたひと   

2013年 01月 06日
ヒー坊は40度の熱が出ても歩くし、足の指の爪が剥がれても靴履くし、自分の体調不良にも非常に鈍い。
あまりに鈍いので無痛症なんぢゃないかと心配になって医者に診せたが、単に性格の問題だったことが判明した。
先天的な脳の状態が理由で発達が遅れていることを『母親に責任はない』という言い方を医者も福祉のひともするが、基本的にはそうであろう。
しかし後天的な訓練方法として何か手を打つ場合に『育てやすい子は発達が遅れる』という、ひとつの落とし穴があると思う。

夜泣きなし、ぐずりなし、ウロチョロなし。
ヒー坊は、通常ならば母親が目を離せないと思う期間に、全自動洗濯機なみに目が離せた。
泣きもせずに勝手に眠り、起きても滅多に泣かない。
わっ!起~き~て~る~っ!いつの間に?!とびっくりするくらい気配を殺して起きる新生児だった。
BOXティシューを取り出して次から次に食べている1才のチョモのクチを無理からこじ開けて吐き出させている間に、たった20㏄のミルクでコテと4~5時間は眠りこけるとても燃費のいい新生児だったのだ。

今となっては完全に言いわけだが、年子である我が子たちの育児条件からゆぅて、ヒー坊が産まれた頃のチョモと言えば、ちょ~~~ど好奇心旺盛なやりたい放題期であり、「とりあえずクチで確認する」という人間の一生でみたら最もアブナイ時期であった。
油断すると粘土をつまみにマキロンを飲みかねないのである。
目を離せるワケがないではないか。
そんな乳幼児を抱えた母親が二人の子供にアンテナを張ることには限界がある。
年子を産むくらいなら双子を産めとはよぉゆぅたもんで、同じ二人でも双子ならば一方が眠る時間帯にもう一方も眠ってくれる。
しかし年子は一方のオムツを替えている時に、もう一方が豪快に階段から転げ落ちている。
いくら若くて体力があり精神的にタフっちゅうても、目はふたつ。
21年の浅はかな人生経験と1年足らずの育児経験で、何の配慮が出来ようか。
考え付くことなど、所詮、知れている。
手いっぱいであった私の育児は、手のかからないヒー坊を後回しにすることでまわっていた。
それで見過ごしたサインがいくつもあったように思う。
私はこれまでの検査や訓練を、ヒー坊にとってベストなタイミングで行ってきたと思っているし、「これはしない」という選択をした事を後悔したことはない。ヒー坊の成長具合と性格を知っている母親である私がするべき選択に間違いはなかったと今でも信じている。
しかし、ヒー坊を後回しにしていた3ヶ月という期間に、私さえもっと注意深く意識していればもっと早くに気付けていた、と思い当たることがある。
それは、ヒー坊に反射の行動が見られなかったこと。

ヒー坊にミルクを飲ませていて、ウトウトと眠りかけていた時に、強風でドアが勢いよくバタンと閉まった。
このような状況では赤ちゃんというのはバッ!と手を挙げたりという反射をみせるものだ。
高い高い~と宙に放り投げたりした時にビックリして手足をピンと伸ばす、ああゆう反射。
大人の私でさえその音にビクっと身を縮めたのに、ヒー坊はそのままウトウトウトウトして、ついには眠ってしまった。
この時に、私が持った疑問は『耳が聞こえていないのでは?』ということだった。泣き声も殆ど聞いたことがなかったし。

私はデフの知人が先天性の聴覚障害だから「話す」というのが訓練をしても完璧にするのは難しい、と言っていたのを思い出した。
後天性の聴覚障害と違い、生まれた時から聞こえないということは話す訓練をしてもその発音が合っているか合っていないかを自分の耳で音として確認することが出来ないため、いくらテキストで、舌の動きと口形を勉強してその通りにやっても、本当の意味での発音がそのひとのモノにはならないのである。『健聴者に伝わる言語』であることを彼女は過剰に意識していた。それで会話の途中で必ず『わかる?発音合ってる?言えてる?』と確認を入れるのである。10代だった私は彼女の気持ちを考えることをせず、そのままでちゃんとわかるから、その『わかる?発音合ってる?言えてる?』を入れる必要はないと言った。それが会話の流れを止めている、と言った。彼女にとってはこのフレーズを含めて全てが会話であったのに、私は彼女に必要不可欠であるそのフレーズを不必要だと言ったのである。
それに気付いたのは社会人になって、言語は手話のみというご夫婦にお会いした時である。このご夫婦はどちらも読唇をし、互いの会話は手話で、健聴者と会話をするのは筆談であった。ある日、我が母コケさんがそのご夫婦と手話で会話をしているのを見、私はコケさんに訊いた。
「会話は全部、手話なの?」
「私がわからない時は筆談よ」
そして母はご夫婦に背を向けてこう言った。
「最初は話しておられたの…事情があってね、話すのを避けてられるから今は私のほうが手話を勉強しないとね」
この時のコケさんの言葉は私の胸を刺した。
デフの知人ユミさんのことを思って。

そのご夫婦が話さなくなった理由は『通じない』という弊害であった。自分たちは自分たちの言葉を通じると思って使うが、通じない、聞き返されるという事実に直面する。
誰だってそうであるが、自信がないことを堂々と表には出せない。
不安だから確認する。確認出来れば安心する。その安心が自信になり、自信を積み重ねるから、堂々と表に出すのである。

私は障害を持つ子供の母親として、隠さずに堂々と表に出すことをヒー坊には教えたいと思う。
発音が出来ない自覚のあるヒー坊は、おみくじを引いてその番号が40番だったことを、今年も私に言わせた。
絶対に通じないから言って、ちゅうて。
ヒー坊は『発音に自信がない』という絶対の自信を持っている。
相当の自信を積んできたので、今度は堂々と表に出すべきだね、ユミさんのように。
こんなに自信がないんです、と堂々と出し続け、そしていつかたったひとりにでも、この障害がどんな事実と向き合っているのかを理解してもらえたら、それがヒー坊の大切な役割だったのだと教えたい。

ユミさん、元気ですか。
私と言葉での会話をずっとしてくれて、ありがとう。
あなたの丁寧な言葉のひとつひとつが、今、私がヒー坊に教えられることの全てです。
そして今更ながら身に沁みます。
ユミさんがどれほど強いひとだったことかが。
[PR]

by yoyo4697ru980gw | 2013-01-06 00:37 | +ミルニング+ | Comments(0)