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3日、自分が死ぬ夢を見て目覚めました。
死ぬ夢は成功の前触れって言うよね。 とうとうか~とうとう盆踊りが仕事になるか~!休業が長すぎたもんねぇ~コロナで。 何も出来なかったから、宣伝だけしてたよこの2年。 宣伝するわりに盆踊りらしいこと何もしないクチだけのひとになってたよね、結果的に。 何かしら動こうにもまず蘭盆の3名しかいないメンバーが揃わないのよ、コロナで。 あ、蘭盆とは盆踊りの崩し専門の踊り子ユニットの名前です、ラボンと言います。 Twitter・YouTube・ブログなどなどもございますので検索してもろて。 蘭盆でYouTube検索すると私たちがしつこくヒットします。 今年初活動は2月のいたぼん協賛です☆ 初夢とはいつ見た夢のことかについて3つの説がございます。 「大晦日の夜から元日の朝」「元日の夜から2日朝」「2日夜から3日朝」 通常は二年参りをしている私は大晦日から元日の朝まで眠らないので該当するのがそもそも2つです。 江戸時代後期に主流だった「2日から3日」明治の改暦後から主流になった「元日から2日」なわけですが、そんな都合よく見たい日に夢が見れたことなんて一度だってありませんからね。 今年の初夢は江戸時代後期バージョンで見た、という結果です。 ま、ゆぅて残るのは結果やから。 私はこれまで正夢になる夢は起きる時の感じが違うと言ってきたけど、若い時には単なる夢と正夢との起き方がハッキリ違ったのに、ここ最近はどっちなんだかわからないことが多くなってきました。 老化現象のひとつなんでしょうね。 私は妊娠をしていて息を引き取ろうとしていました。 死ぬ間際の枕元には親戚が集まっています、皆がそのままの姿で。 私の夢には知り合いが出て来ることが滅多になく、出て来てもその姿は違ってだいたい有名人の姿をしています。 その有名人に向かってそのひとの名前を呼び会話をしているのでたぶん本人てことでしょう、見た目や声は違ってもね。 しかし今回の夢は全員が本人でした、見た目も声も一致してる。 驚いたことに、宗教洗脳が悪化の一途を辿り絶縁している実母までも居て、私は最期の力を振り絞って実母にここから立ち去るよう要求しましたが案の定、通じなかったですねぇ…ま、現実で常識が通じずまともな話が出来ないから絶縁しているわけで、夢の中が現実と一緒というのは納得できるけど。 妊娠中である私の死期には、長男を出産した時の助産師が立ち会っており、今から死産というカタチで胎児を強制的に出産させると説明しました。 私自身が生きるための栄養が無くもはや胎児は死んでいる可能性のほうが高いらしい、夢の中での説明なので実際にはどうなのかはわからないけど。 私は「なんとか胎児を生きさせられないか」と助産師に頼みました、すると助産師が言うんです。 「今の医療技術で生きて出産させることは出来るで?でも現実はどうや?アンタは確実にこの出産のあと死ぬんやで?産んだ子は十月十日経ってへんねから障害が出るかもわからん、そんな子にアンタは何が出来る?初乳を飲ませてやることも、母親として存在してやることも出来ひんのやで?母親やったら我が子に耐えさせるんやなしに自分が耐えなさい。アンタは辛抱がええから出来るで」 長男を出産した時、初めての出産で痛みのピークがどんなモンかわからない私は、陣痛に耐えている間は声を出しませんでした。 分娩室横の待機所には私の他にも妊婦がいて、ひとりの母親が叫び声をあげてる。 複数の出産間近の妊婦をひとりでお世話している老媼の助産師は私に「アンタお里はドコや?」と聞いてきました。 宮崎と答えると「やっぱり九州やな、九州のひとはホンマ辛抱がええ」と私の我慢強さを褒めてくれた助産師。 辛抱はしていたけど実はビビッてもいました、叫んでいる妊婦が痛みのピークってことだろうからいずれ私にもこの時がやって来るのだと。 助産師はそれぞれの妊婦の子宮口を見て分娩台に乗る順番を決めます。 「いたーーーーーーーーーーーーーいっ!痛いイタイ痛いイタイ痛い!!!」 と叫ぶ妊婦を助産師が叱責。 「アンタまだまだ子宮口開いてへんで!今から叫んでどないすんの!こんなもんじゃないねやで、チカラ抜いて我慢!」 叱責されても痛いモンは痛いようで、妊婦は叫ぶ叫ぶ。 …恐怖やなどんだけ痛いねんこんなもんじゃない、て。 恐れ戦いていた私に助産師が指示をしました。 「アンタ起き上がれるか?次の動けるタイミングで分娩台行こ」 へ?! 私が先なの?! 私がピークやんけっ!!! 「アンタほんまに辛抱ええわ、ほんま辛抱ええ。さすが九州やな」 助産師の経験値から九州女は叫ばないてデータがあるようで。 その褒めてくれた助産師が夢の中でものすごい現実を教えてくれたの。 母が死ぬ時に子どもを産む選択をするのは、子に我慢を強いるのだと。 母親が存在しないことがこんなにも子にとってダメージが大きいとは思ってなかったな。 親が無くても子は育つ派だったから。 昨年12月中に2名の親族が亡くなりました。 入院してこのまま老衰だと医師に告げられていた義父と、ガン闘病をしていた宮崎の本家の叔父。 亡くなる前日に義父と会うことが出来たけれど私たちは義父の最期には数秒間に合わず、本家の従妹も頼まれた買い物に出ている間に急変したので最期には間に合っていませんでした。 まさかこれで最期になるとはという最期。 義父はしゃべれなかったので前日に目を合わせるのが精いっぱいで、でもハッキリと目が合って「おとうさん?」と呼びかけると頷いて「しっかりわかってるね」と確信も出来「また来るから」と伝えると「みんな来てくれたから元気になるよね?」と呼びかける義母に、2回も3回も頷いて見せました。 夜遅くに「今日帰って準備して明日からは私も病院に泊まるからね?」と自宅に戻る時に話しかけると義父は「はい」と返事をしたそうです。 義父が息を引き取ったのは翌早朝でした。 危篤の連絡を受けて病院に向かったものの到着すると義母が「ほんの数秒前よ」と言いました。 酸素は外され、繋がれている心拍数は20ありました。 聴力が最後まで残ってる、だから言葉を義父に届けなければ。 でも出て来る言葉はか弱い「おとうさん」のみです、感謝も伝えたかったしあったかい言葉をかけたかったけど、出て来る言葉は「おとうさん」と呼びかけのみなんですねぇ、結局のところ。 もし用意した言葉があったとしても、きっと言えてない。 一番呼んできた呼び方で、呼ぶだけしか出来ないもんなんだなァ。 私の死に際の枕元に集まった親戚たちも「まゆさーん」とか「まぅ」とか「まゆ」とか「まぅちん」とか、それぞれの普段の呼び名で呼んでました。 親父の汚さが群を抜いてた、きったねぇきたねぇ「まゆぅうううぅううう!」て言いながら大号泣。 娘が死んだらあのタカボでも泣くねんな。 あんだけ汚かったらそりゃ難病の私に「お父さんより先に死ぬなよ」て言うわ、どんだけ汚いねん。 最期に汚ねぇ実父の姿を見て死ぬなんてヤダと、心底思いましたね。 3年間身内を亡くし続けて、高齢者の親戚たちをあと何人見送り、あと何回寂しくなればいいんだよと考えると滅入ることもありますが、いいや、たぶん私が誰よりも精神的にタフやな…残される者にずっとなっとこう。 かかってこんかい、順番通りに見送ってやんで☆ 順番通りに生きてる延長上に順番通りの死があって、それを順番通りに見送って、順番が来たら死んでいきたい、そう思う初夢でした。
by yoyo4697ru980gw
| 2022-01-12 20:20
| +ミルニング+
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