「体調悪いけど花見行きたいな~」
「え~~~花見、行きたい?行きたくないやろ」
「おい、鬼太郎。花見は今しか出来んぞなもし」
「なんやねん、鬼太郎て。」
「おい、てゆーたら続く言葉は鬼太郎やろ。おいは鬼太郎の枕詞や」
垂乳根の、母。
おい、鬼太郎。
まくとぅそーけー、なんくるないさ。
日本三大枕詞です、覚えておきましょう。
「はぁ・・・楽しい。仕事行かんとずっと好きなことしときたい」
人間が自由を求めるのには上限がないのか。
ホワイト企業のたった3時間のパートですらも自由時間を得ようと辞めたいと思うではないか、仕事がイヤとか全く思ってもいないのに。
辞めたいと言ってもし理由を聞かれて「午前中に遊んでいて仕事の時間だからと中断するのがイヤでイヤで」て言ったら「じゃ、そういう日は休んでいいです」と許可が出るだろうか。
月に20日ばかしあるけど。
そんな許可は出ないな。
ばかりか社会で通用しない人間だと即刻クビにされるだろうな。
めでたいほど自由人だと思われている私だが、それでも私自身は窮屈なのである。
でもこの窮屈さが私を成長させていることも事実で、それを思うと「成長せずにやりたいことだけやってるのは自由じゃなくてワガママよな」と考え直し、窮屈の中に自分の居場所を決めることが多々ある。
だから私はみんなが思っているほど自由にはやっておらず、たまに自由にやっている人にすぎないのだ。
オトナになった今では、窮屈であることを自分の糧にすることを覚えたが、未熟な時には窮屈を感じる自分自身そのものがイヤだった。
その最たる時期が学生時代。
朝に時間を守って登校して、授業を受けて、終礼まで同じ場所に居続ける。
それを毎日毎日9年間、それが義務教育である。
小学6年生の時、高校が義務教育ではないことを知った私の喜びは過去最高、私の人生でトップクラスのグッドニュースであった。
知ったその日に高校教育を受けないことを決断し、そう親に宣言もした。
その後の窮屈な中学校3年間、私は自由へと歩を進めている気分で過ごしていたのだが、小学生がいくら高校に行かないと言っていても中学3年間で勉強の大切さを知り、将来のことも考え高校進学を選ぶ、通常ならばそう考えると密かに父親は踏んでいたのだ。
甘かったね、私の高校に行かない意志は固かった。
娘の性格を知っているのに、よくもあの時、私が再三確認を取った「高校、行かなくていいよね?本当にいいんだよね?」に対して二つ返事で快諾したもんやで。
「高校には行かないって言ったよね?いいよね、て聞いたら、いいぞ、て言ったよね?確認も取ったよね?本当に行かなくていいんだよね?て。いいって言ったじゃん、私は行かない。絶対に。」
この高校行く行かない問題で父と私は大喧嘩となり、親戚まで巻き込んでの説得となったが私は意志を曲げなかった。
挙句、未成年のうちは子は親の管理下にあるという権力を振りかざし、高校に行かないと言う私に父は家庭教師を付け、高校受験を強いてきたのである。
父のこの行動に大きく影響したのが、私自身の校則違反金髪事件があると思う。
中学在学中に私は「本校始まって以来の校則違反を犯した生徒」となり、父はもちろん校長室に呼ばれた。
『礼儀正しく何も乱れていないこと』に来校された全ての方々が驚愕し、襟を正してお帰りになり、新しく赴任してきた先生が、校内にホコリひとつ落ちていないことに息を飲み、生徒の自転車が売り物のように自転車置き場に陳列されているのに言葉を失い、全校生徒の下駄箱の靴のカカトが木枠と同じ高さで1ミリもはみ出すことなく揃えられていることに溜息を漏らさずにはいられない、そんな田舎の伝統ある模範校が父の母校でもある、私の通う中学校であった。
入学したその日から、自転車置き場での自転車の並べ方、下駄箱への靴の入れ方を指導される。
このふたつのことは基本のキであり、3年間徹底した指導が行われる。
遅刻ギリギリで登校すると、自転車が乱れ、靴が乱れることもある。
それでも指導された通りの等間隔で自転車も並べたつもりだし、靴も下駄箱に入れてからカカトと木枠を掌で押さえてはみ出していないかのチェックもした。
しかしながら時間に余裕を持って行動し、心が何ひとつ乱れずに余裕ぶっこいて事にあたった生徒と私との差は一目瞭然なのである。
担任が朝の挨拶のあとにこう言う。
「千徒、今すぐ自転車置き場に行きなさい」
人間失格、イエローカードである。
このような中学で私は2年の時に、気が付いたら金髪になっていた。
当時読んだマンガに、主人公がオキシドールを被って金髪になるという場面が出て来、本当にそんなことが起こるのか自分で実験することにしたのである。
校則違反を犯して金髪にしようと思ってしたわけではないので、学校帰りに制服のまま薬局で当時100円だったオキシドールを買った。
私の顔を見ればドコの孫かもわかるような環境下で買っていることからも、金髪にするのが目的だったとは思えないと判断してほしいところだが、結果的に私は「本校初の金髪生徒」になってしまったのだ。
しかも私の実験は失敗を繰り返して「黒髪のまま」だったために、実験内容がより研究的になっていた。
オキシドールを1日に1回、Aの髪の束に手で塗る。
オキシドールを1日に1回、Bの髪の束にコットンに含ませて塗る。
オキシドールを1日に1回、Cの髪の束に布に含ませて塗る。
オキシドールを1日に2回、Dの髪の束に手で塗る。
と1日3回までの各バージョンと、洗い流した場合・放置した場合・ドライヤーで熱を加えた場合の比較にまで及んだ。
それで部活もやっていたので、ものすごく忙しかった。
1日3回バージョンでは昼のオキシドール×各髪の束と、ドライヤーの代わりにひなたぼっこがあるのでベランダですごく忙しいのだ、私は。
放置の髪の束は紫外線を当ててはいけないので、紫外線を当てる髪の束だけを出して頭全体をタオルで巻き、ミイラスタイルでいなければならない。
そうこうしていたら、実験中の髪の毛は金髪になっていたのだ。
でも当の本人は徐々に髪の色が落ちていっているので、何の変化も感じていない。
ある日、会議室に来るように言われ、3名の教師に囲まれた私は、こう質問されてものすごい事実を知らされるのである。
「頭髪を脱色しているというのは本当ですか?」
起立して音読させられる胸ポケットの生徒手帳の校則違反事項の一文が脳裏に浮かぶ。
私はその時に、自分がやっていることが校則違反だということに気付いたのである。
「本当です」
だって事実だけを見たら、そうなんだもの。
しかしなぜだろう、私が気付かなくても親や兄弟や親戚は、私の金髪は見ればわかっただろうに、途中で指摘することがなかった。
だって、金髪やで?黒髪が金髪ってすごい変化ではないか。
それを誰も本人に言わないって、周りも私同様気が付かなかったのだろうか。
毎日見ていたら気付かない、そういうことだろうか。
金髪の時に写真を撮られたことがあり、その写真を後日見た時に私は客観的に自分が金髪であることを知った。
毎晩、鏡で髪色チェックをしている時には金髪だと思ったことはなかったのに、いつから金髪だったのだろう。
この金髪事件の時、先生にも親にも兄弟にも友人にも私は「金髪にしたかった理由は何か」と聞かれた。
私は正直に「金髪にしようと思ってしたわけではない」と答えたが、では金髪になるような行動を何故取ったのか、とは誰からも聞かれなかった。
聞かれていたらありのままの私の行動を答えていたし、それには私なりの理由があったことも理解してもらえたのかもしれない。
でも聞かれなかったので答えずにいた私は『変人および不良』という不名誉な称号を頂いたのである。
父親が親の権力でもって高校進学を強制したのは、不良の私を更生させ変人をこじらせないように導くためであったと思う。
金髪事件の時に私が自分の行動をクチで説明していたら、父は私を中卒のまま社会に出しただろうか。
そこまで私をちゃんと信用してくれただろうか。
答えは否である。
私はクチで説明してもしなくても、強制的に高校受験をさせられ、強制的に高校に行かされ、イヤイヤ行くことになったはずだ。
あの時、中学生の私がはっきりと会議室で認識したことは、私が校則違反を犯したという事実だった。
会議室でその事実に気付けたのなら、オキシドールを購入する前に気付くことも出来たはずなのだ。
そのことを知っているから私は自分の行動を説明しなかった。
自分が間違っているから、クチで説明することをしないのだ。
私は自分の好奇心を優先して、予想出来る結果を考えずに行動したのである。
十分に予想出来る結果を考えられる年齢なのにそう出来なかったことを、父は理解力不足と捉えたのである。
理解するチカラは、学力を培うことで得られる。
だから窮屈でしかたない私を、高校進学という縄で縛ったのである。
その窮屈が私を大きく成長させたことは言うまでも無いが、義務教育でないことが私に自由を求める心をも学ばせた。
私は高校を3年間で卒業するという約束だけを果たし、高校生活の3年間は万年遅刻・早退・抜け出しの日々で、父が学校に呼び出されることも家庭訪問されることもあった。
私は時々自由にやるが、それをわざわざクチで説明する必要はないと思っている。
責任を伴う自由だと把握した上でそれでも自由にやりたい時には、迷わずに行動する。
あの時もそうで、今でも、聞かれなければその理由を説明しないと思う。
中学の時は自分が正しくないから説明できなかったが、高校で理解力と自由を学んだ私は、聞かれれば自分の行動の理由を説明できる。
説明しない
のと
説明できない
のとは違う。
自分が正しいと思っていることはクチで説明ができる。
クチで説明ができないのは、自分が間違っているとわかっているからなのだ。
そして、最も厄介なのは「クチで説明するのを怠る」こと。
ここまでこの文章を読んできた御仁は、もうお気付きのことだろう。
中学生の私は、この最も厄介な人間であったのだ。
自分が間違っていると気付いたようでいて、不正解とは言えないのではないかと疑問を抱いている。
自分がクチで説明できない自覚がないことが、厄介なのだ。
説明できるけどしないと考えているのだから説明するのを怠る。
いざ説明が必要な時には、自分の正しさを伝えられない。
それはそうだろう、だってその正しさは自分の感情の中でのみ正しいだけなのだから。
さて、もう一度、この文章を最初から読んでいただきたい。
金髪事件のくだり、そして私が中学生の自分自身を分析するくだり。
一言一句変わっていないのに、一度目に読んだ時には中学生の私には私なりの正しさがあったように読め、二度目に読んだ今は中学生の私がいかに厄介であるかに何度も膝を打つのではないだろうか。
当時、父はこのことを見抜いて私に高校進学の縄をかけた。
そして窮屈に苦しみながらも『自分の正しさはクチで説明できる』と理解したことも見抜き、私の自由を求める心を咎めはしなかったのである。
私を信じて待つことをしてくれた父を尊敬するし、それを理解するのが今だということも待っていてくれたのだと思うと、この時間を感謝してやまない。
出会いと別れの数々を繰り返す春、新しい環境で新しいスタートを迎える皆様。
自分が誰かに信じて待たれているのだということを肝に銘じ、自分の正しさがクチで説明できると言い切れるかどうか、再確認してみるのはいかがでしょうか。
それではイオンの、Kanaeru櫻イベントの思いのたけを再確認していきましょう。
サクラの形に台紙から剥がれるシールに文字を書いてから剥がすシステムでは、ちょっとチビッ子には文字のバランスがとりにくいと思うので、せめて丸にくり抜かれる中に桜を描く、ぐらいの配慮は必要だったと思います。
このメッセージは暗号化されております。
このメッセージも暗号化の一種です。
う~ん、オバQぱんまん。
これも暗号化の一種です。
うーーーん、文字か、絵か。
どっちにしろ暗号化の一種でしょう。
暗号化です。
天才児現る。
すぐにFBIに電話しましょう、天才です。
さんたさんへまたぷれぜんとくださいと書いています。
鑑文字で。
暗号化をオカンが翻訳すると、内容はこうみたいです。
宣言系
がんばりましょう。
それは我慢しなくてもいいのじゃないでしょうかね。
ウチにも花壇しかない庭があるのですが、庭じゃなくて家だったらいいのにな、と思って住んでいます。
ご両親には内緒にしたほうがいいですね。
あんぱんまんにはなれないことは重々承知のさなちゃん。
でも、
みたいになることはできます。
思いやり深く、困った時には自分の顔を食べてもらう、そんなさなちゃんになってくださいね。
ケーキ屋さんとマクドのダブル経営。
叶えるほどの希望をこの日本に抱かないと、そうおっしゃっているのでしょうか。
今現在おばちゃんの時計は午前4時前。
この時間に小学校は開いていません。
まずは縦書きの方向を覚えましょう。
木登りをしなくなった子供たちの首はストレートネックだそうですね。
おばちゃんは木登りを高校生までやっていましたが、ストレートネックです。
ストレートネックは肩こりがひどいなんて言われていますが、おばちゃんは肩が凝ったことがないんですよ。
木登り、出来るようになったらいいね。
自転車が上手になるとは、どういう状態でしょうか。
ものすごいスピードで移動しながら紙コップにナミナミ注がれたコーラをこぼすことなく飲み干せれば、めっちゃ上手やと思いますので、そうなれるよう応援しています。
関西人らしいですね。
関西人は『何が欲しい?』という質問に『なんかええもん』と答えます。
誤字脱字が目立ちますね。
いらされますように。いやされますように、かな。
それとも、
おらっしゃらっしゃいますように、という新喜劇チックな丁寧な重複かな。
それとも、のりかの『の』みたいな『さ』の篆刻かな。
気愛と喜愛でサオサオサオリ、ていうノリの。
もらえるかどうかは、君次第です。
頭痛が痛いと同じ現象が起きています。
飼育ではなく、購入のほうですね?
今のままで十分
かあいいよ。
カワイことに価値があるんだね。
女に求められているものは、かわいさみたいですね。
皆さん、ご承知おきくださいね。
外見のカワイさは、内面がそのまま出ておりますよ。
くじが当たることじゃなくて、くじ運があがることでいいのかな?
予想ですが、
おうちで元気にすごす、だと思います。
予想ですが、
イ・ジュンギに会いたいカナちゃんとは別に、
ママの人形が欲しいコがいますね。
ママ所有の人形が欲しいのか、ママを模した人形が欲しいのかはわかりませんが、2度書くほど欲しいみたいです。
予想ですが、
おかしをたべれますように、だと思います。
読めますが、
みそらにたべつく!とは、何のことでしょうか。
もう、春です。
100に単位はございませんが、イラストからすればゴルフのスコアということでしょうか。
何が?誰が?ドコで?どんな?
叱る回数を増やしてください。
ロカビリーなリハビリーでShake it up Baby!
イマドキの言葉なのかと思って、
自由億人という言葉があるのか?と18歳の男子学生に聞いてみたら「凄腕の投資家らしいですよ」と検索でヒットさせてきました。
さすが18歳、検索するスピードが速いです。
もう造語まで生まれているのか、仮想通貨。
増えるかどうかはアナタの時間の使い方次第です。
解決。
昭和60年より前に生まれている女性であれば、あるいは一部の人たちにならわかる感覚でしょうが、セクハラ・パワハラ・アルハラその他諸々などあって当然それをハラスメントなどと声高に叫ぶことなど言語道断、の世界で女性たちは学生生活や社会人生活、おまけにプライベートに至るまでを過ごしてきました。
受け身のようで女性たちは、ピッチャー返しを繰り出してきたのです。
「先生、鼻血が出たから保健室に行ってもいいですか」
「おう行ってこい、おまえ何考えてたんや?」
「とてもクチでは言えないことを考えていましたが、先生がどうしてもとおっしゃるなら、言います。先生のカラダの」
「言わんでええ、言わんでええ!」
セクハラ教師には、セクハラ返し。
私はオトナになった今でもドクドクと鼻血を出しますが、学生の時にはセクハラ教師にかまってあげられないほど急に鼻血が出ることもしばしばでした。
血液の臓器である脾臓が腫れている今だから思うことですが、あの時から血液の病気の予兆はあったのかもしれませんね。
症状がカラダに出るまで人間とは愚かにも気付かないものなんですよ。
ドクドクと鼻血が出ていたら、セクハラ教師とのやりとりもショートカットです。
「先生、あんなことやこんなことをいろいろ考えていたら鼻血が止まらなくなったので保健室に行ってきます」
「おう行ってこい、保健室で頭もみてもらえ」
このようなやりとりを積んだ結果、いま、なんとなくうま~くガス抜き出来るのが中年しかいなくなっている気がします。
若い娘さんたちよ、露骨にではなくうま~くやれる術を身に着けていないと、自分自身が困ることになりますよ。
虫を愛することから始めましょう、金子さん。
誰にゆーてんねん。
だから誰にゆーてんねん。
子供の時に基礎を作っておきましょう。
2000円より1990円のほうが『安い!』と思うのと一緒で、100歳よりも99歳のほうが『長い!』と思うのかな。
ん~・・・・パパとママは同じ年齢なのかな。
だったら女性のほうが長生きする傾向にあるから、パパのほうは103さいまでいきますように、にすることにしましょう。
そのほうが君のためにもいいような気がするから。
よっぽどおじいちゃんの酒癖が悪いのかな。
ギッシリ系
花びらの端にあしらわれている、
子今・絶交×・プリン・フランスパンの文字は何を意味しているのでしょうか。
そして本文、言いたいことはわかるけど一気に言い過ぎていますね。
就職では、面接官に自分の伝えたいことが伝えたいように伝わるか、ということが非常に重要になってきます。
2つの箇条書きでスッキリさせましょう。
一番に就職を優先し、家族が安心して楽な気持ちでいられるようにしたい。
部活動と勉強を両立させ、友人とも仲良く過ごしたい。就職、頑張ってください。
長生きしたいしたい。
でもみんな一緒に死んだら超々天国に行きたい。とっても軽い、羽毛布団より軽くてあったかい、文才のあるコですね。
願う内容が具体的系
ズバリ数字を限定してきました。
春休み中に見つかったかな?
アナタの春に、幸あれ。