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改心の痛
あれほど浴びるようにガブガブと飲んでいたコーヒーを、ちっともおいしいと思わなくなった。
病気で味覚が変わったのだろうか。
本来であれば6月上旬に飲み会が予定されていたので、そのために『安さの割にはおいしいワイン』をいくつか注文してあった。
それが手付かずのままあるのだが、そのワインがすこぶる飲みたいという気分なんである。
病気の身体は禁酒と相場は決まっているが、私は体が欲すサインは摂取OKと考える性質である。
身体に足りていないからそれを欲す。
身体は正直だし、自然治癒力もたいしたもんなので、こんな時に間違ったサインを出しそうもないと思うが、それにしても酒が飲みたいと思うのは不可解。
私は自宅で自ら酒を呑みたいと思うことが普段は無い。
クリスマスだから自宅で夕食をちょっと豪華にする場合と、年末年始だけに呑む。
それは『お祝いの席には酒』というトコロからきていて、自ら呑みたい気持ちがあって呑んでいるわけではなく、おいしいと思って呑んでいるわけでもない。
雰囲気を愉しむため、という要素が強い。

私はその時その瞬間、その場所で愉しみを見つけられるような生き方をしてきた。
それは今後も変わらないだろうと思う。
大病を患ってもきっと変わらない。
原因不明の病状を宣告された今もって、変わらない。
私は、今この時を楽しんで一日を過ごしたい。
それが私の、生きるという一日だから。

私の実母は病弱で、毎日のように辛い痛いと嘆きもって溜息吐き吐き日常生活を送るようなひとだったので、そのことが他に与える精神衛生上の悪影響を私は誰よりも実感してきた。
痛い辛いと言ったトコロでラクにならないのなら黙って耐えろ元気な人間の気力を殺ぐな、ということを私が言えば、母親はなんて冷酷な人間かと私を責めた。
そう思う、自分でも。
これまではそう思っていたが、今は違う。
実母は人間としても母親としても間違っていると私は思っている。
私自身が母親となり辛くて痛い同等の病状になって、改めて実母はなんて冷酷なひとであったかと思った。

私が救急車で運ばれる前日の夜中、弟から電話があった。
それは弟が、兄と母の二人とは縁を切るという決断をし、そうなるまでに至ったの原因の説明であった。
情に流されることなくひととして正しい判断をした弟を、私は尊敬する。
そして弟が、私に同じようにしろとは言わなかったことも、尊敬する。
弟はその電話で私に絶縁の意向を訊くことはせず、弟の意向のみを報告するに留めた。
それは、互いに大人なのだから感情的に結託するなどということで姉弟の絆を保つのではなく、それぞれの考えを尊重することで互いに思いやりを持っていこう、ということである。

「俺はもうあの二人と連絡を取ることも会う事も今後ないけど、気になることがあったら電話してきて。俺が答えられることなら教えるし」
そう言える弟が、私にいたことがありがたい。
しかし7才離れた男である弟と、私の考え方は同じではない。
私は即決で正しいことだけを選ぶほど、弟のように純粋に生きてきたわけではないのである。
弟とは違う種類の苦労をし、違う判断をしてきた。
この少しずつ少しずつ汚れた私は、ほんのこれっぽっちの情が邪魔をして『私さえ許せば』という気持ちが捨て切れない。
私が縁を切っても連絡を絶っても、私を産んだひとと私の兄は、生涯、私の母と兄である。
どうしたいのだろう、私は。
ひとりの人間として正しくありたいのか、娘として妹として肉親を許すべきなのか。
私は決断が出来ないまま、翌日、救急車で運ばれた。
そしてそこで私を診た若き女医が、かつて私がそうであったように「疑問があれば単刀直入に本人に問う」という性格であったことで、きっぱりと決断をした。

どうしたいのか、私は。

ひととして正しい判断の出来る人間でありたい。

それは、たとえそれが肉親であっても許されざることは決して許さない、ということである。
自分たちの間違いの結果、自分たちの言動の結果が、母には我が子ふたりを、兄には父親と妹弟を、失うことになったのだという事実にいつ彼らは思い至るだろうか。
そこに弟と私の心を痛めた決断があったことに、いつ気付くのだろう。

あぁ神様。
いるならどうかもうこれ以上、私を試さないで。
生き難すぎて、死を選んでしまいそう。

病状がこれまでの弱く汚い私を殺したのなら、私は与えられた再チャンスを今度こそ自分に強く生きてゆくことで、私の生き方を全うしていかねばならないのだろう。
by yoyo4697ru980gw | 2013-07-21 17:40 | 笑道:サルコイドーシスのススメ | Comments(0)
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