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一年以上前のことと思っているが、世の中で『F4』という暗号めいた言葉が多用されていた時期があった。
会長(お昼頃出社してフムフムとか言ってるカンジ(イメージ)の仕事してんだかしてないんだかわからない(あくまでもイメージ)人物である。)会長夫人(なぜか経理にいつも顔を出したり(イメージ)なんかする。ナントカ会の副会長もやっていたりなんかする、イメージね。)社長(会長夫婦の息子で代表取締役、イメージぢゃなくて実際そうなんだけどね。)社長夫人(広報課長の女性社員と個人的に仲がよい、イメージがあったりなかったり。) ―この4人の登場人物がトップとして会社を牛耳っているようなばやい、この4人のことを「我が社のF4です」なんつって揶揄ぎみに使う言葉。…てコトなんだな?ということを知ったのが、最近の話である。その『F4』が「花より男子」というドラマの、学園を牛耳っている御曹司4人のコトらしいってトコからの言葉であるのを、観て知ったのだ。…わかってはいるが、うん、遅い。 当時(流行当時という意味である)その言葉の意味がわからなかった私は、自分からTVの電源をつける夫むーちんに訊いた。 「あんなぁ?今日なぁ?学校で新執行部のひとの紹介があって、その時に会長サンが『我が小学校のF4です』ゆぅてな?そしたらみんなが『ははは~』って。遠慮ぎみにウケる、みたいな一幕があってんけど…『F4』って何のコトかわかる、むー?最近よぉ聞くねんな『F4やから~』とかな『ナントカ界のF4』とか。」 「あ~…オレも会社でよぉ聞くねん『F4』な。ナンやろな?」 「完全な褒め言葉ってニュアンスはなかってんけど…『F』て何の『F』なんやろなぁ…」 会社という世の中との大きな繋がりを持っているむーちんが知らんのに私が知れるわけがねぇと、とくに「F」についてそれ以上の興味は持たなかったのだった。 流行りのドラマを(ドラマに限らずTVを)観ていないと、このようなコトが数々おこる。 私は、今日一日の出来事を逐一、話したぁて話したぁてしかたがない。その話したぁてたまらん一日は時には「おもろい夢を見た」から始まる。せわしない朝っぱらから、起きて早々に語りたぁてたまらんのだ。しかし朝は、誰もきーてくれないので「今日、帰って来たら見た夢の話をするから覚えといて。もし私が話し忘れてたら『夢なんやった?』てきーて。きかなんだら損すんで、めっさおもろい夢やったから。」と言っておく。夕方になり我が子らが学校から帰宅するまでの間にも、私には「めっさおもろい」事が次々に起こる。午前にも午後に起こってとてつもない量になりこれ以上、覚えてらんねぇよ~となってきたら「めっさおもろい」事の中から2、3の「考えようによっちゃおもろかったかも」な出来事を見繕い、友人コベに電話して記憶の中から減らす。ケータイオンリーの生活をしている弟ターに電話をすると、SSプランの私のケータイでは電話代が高くつくので滅多に電話はしないのであるが、忘れた頃にホーダイプランっぽいターから「あ~…何か、おもろいこととか、あった?」と気まぐれな電話がかかってくる。「アンタねぇ…私の日常はアンタが思ってるほどおもろいことばっか起きてるわけぢゃねぇよ。」と、一応「フツーの毎日です」ポーズをかますのだが、「あ、ないの?」と言われるとここぞとばかりに「ないけど、先週さぁ~♪」と、相槌をも打たせん勢いで独り語り。毎日毎日、減らしていかねばならないと思うくらいの話題が湧いて出ているのである、そんな私のドコにTVを観ようと思う余裕があろうか。 私と同い年であるコベは、私がTVドラマを「今まさにやっている時」には観ていないことを知っている。その理由が、ドラマに興味がないとかそうゆうことでなくて、「何曜日の何時から何チャンネルで」という決まり事が覚えられず観忘れてストーリーがわからなくなるためだということも知っている。私自身が曜日や時間で生活していないために、ドラマがやっている時間帯を「朝だった」「昼だった」「夜だった」という漠然とした区切りでしか覚えていない。夜に観ていた記憶のあるドラマを朝に観ようとしたコトはさすがにないが、月曜日に観ていたドラマを木曜日に観ようとするコトなどしょっちゅうある。毎週観ていると思い込んでいるドラマに突然、知らない登場人物が出ていたりしているので、半分くらいは見逃しているのだろう。そんなコトなのでドラマを観ていてもあまり感情移入が出来ず、主人公の性格もおおまかにしかつかんでいない。よってイケメン俳優が性格のよろしい登場人物を演じていたとしても、どんだけ性格がよろしいかの把握がおおまかにしか出来ていないので、その俳優をドラマでの役どころに重ね合わせ「すてき♪」と思うまでには至らない。きっと、全話観て酸いも甘いも味わい尽くせば「すてき♪」となるのだ。そのことを、全話観てみて理解した。 よくコベが私に「アンタに言ってもわからんやろうけど」と前置きをして、いろんな芸能人を「かっこいい」と話すのである。彼女は、よく本を読みよくTVを観る。こないだダレソレを「かっこいい」と言っていたと思えば、今日は違うダレソレを「かっこいい」と言っているのだ。芸能人はそりゃたっくさんいるだろうから、いろんなひとがそれぞれに違った「かっこいい」要素をお持ちなのだろうが、私が「そのひとのなにがかっこいいの?顔?髪型?」と訊くと、彼女はいつだってこう答えるのである。 「も~~~何もかも、よ!」 「…アンタ…尊敬するわ…」 だってサ『何もかも』やで?良いも悪いも全てひっくるめた「なにもかも」よ。私もそうゆう風に何もかもにおいて芸能人を「かっこいい」と思ってみたい。しかし私には「かっこいい」の芸能人情報はおろか、俳優の名前ひとつも満足に知れはしない。ちょっと目にしただけのアイドルの名前をつかむのに数週間かかることもしばしばだ。そんな情報量で何を基準に「かっこいい」と思えばよいのだろう。「あ・こないだみた時は白いシャツ着てたけど、今回はTシャツや~ん!かっこいい~~~~~っ!!」…ならん。そもそも前回みた人と今回みた人が同一人物であると自信を持って言えない。 ちゅ~ことは、コベは「かっこいいの君」の良いも悪いも知っているっちゅ~ことになるのだ。名前も勿論、知っているはずである。所属事務所がドコかも、知っているかもしんない。いろんな角度から「かっこいいの君」を観てるわけである、知っているわけである。私には、若い頃よりそのテの情熱が薄かった。ライブ行かない?と誘われても誰のライブかを訊く前から「えー…ライブぅ…?」といった気乗りのしなさ加減があったし、コンサートのチケットが当たっても結局、当日まで行く気が起こらず行かなかった。じゃぁチケット応募すんなよってハナシなんだけど、コンビニで買い物をしたレシートを紙に貼ってポストへ、みたいなコトを言われ、人生で一番ヒマな時期だったものでついポストへ。レシート一枚ごときでチケットが当たるなんて思ってなかったし。 「なんか…すごい『若い~っ!!』ってカンジ。同じトシのハズなのに…」 「そりゃぁ~まぅさん、アータはTVを観ないからだよ。」 「全く観てないってわけでもナイのに…ついてたら観てるよ。観れば夢中にもなってるのに。」 「そりゃぁ~まぅさん、アータは観ている時の気持ちが、違う。」 「いやいや一緒一緒。」 「いや、違うね。」 その通りだったよ、コベ。今ならわかる、ああ、わかるさ。ドラマって、全話観ないと、ダメだな。 「花より男子」を全話観て、コベが言っていた「マツジュン、かっこいい~~~!!」の意味を理解した。理解はしたが、私が「マツジュンかっくいぃ~!」となるかどうかはまた別の問題だからそれは置いといて、理解した「かっこよさ」とは、マツジュン扮する主人公「道明寺」という男がカッコイイようにストーリーが作られているから「マツジュン」というひとがかっこよかったのだ。このコトを言っていたのだ、コベは。つまりだ、コベは「マツジュン」というひとが「かっこいい~」ということではないのだ。「道明寺」を「かっこいい」と思っていて、それを演じたのがたまたま「マツジュン」というひとだった、ということなのだ。「花より男子」というドラマが終われば「マツジュン」じゃないひとが「かっこいい~」と思えても、その乗り換えの早さに納得できる、今は。次のドラマで「かっこいい」役を演じている俳優が今度は「かっこいい~」くなればいいわけで。「マツジュンがどうだ」ということではなく「マツジュン演じる役がどうだ」ということである。極端に言えば「道明寺」さえあれば、演じたのが「志村けん」だったとしても「けん、かっこいい!」でイけるはずであるが、いくらなんでも「道明寺」のオファーは志村けんには来ないだろう。かっこいい役を男前が演じている、という事実が私の勘違いをややこしくしているのである。 私は、コベというひとの「男の好み」を知っているので、勘違いをしていた。彼女は常に現実的な彼氏候補に「顔オンリー」のかっこよさにしか意見を求めてこなかった。「あのひと、かっこよくない?」と彼女が言えば、それは「あのひと」の「顔」のコトである。ダンナも顔で選んだコベ。芸能人には「顔の好み」なんて求めていないんだな。芸能人なんだからそもそも標準以上の顔のよさ、その顔がどんだけ「かっこよさ」を上塗りするかによって「かっこいい度」はわかりやすく上がってゆくのだ。上塗りは、ドラマの役でなされる。ドラマの役どころを正しく理解すると活きてくる「かっこよさ」みたいなもんがあって、役どころが総合的にみて「かっこいい~」かったら「失敗」も「かっこいい~」のひとつで、だからコベ曰くの「何もかも、よ。」ということになるとみた。 しかし残念なことに、私という人間が穿ったものの考え方を身につけた大人になってしまったようである。マツジュンを「かっこいい」の枠に入れる前に、どうしても「道明寺」という主人公の「日本語の弱さ」のほうに気がいってしまい、ドラマの役どころを正しく理解したからには活かす「突っ込み」として、「マツジュン」を「かっこよさ」でなく「格好のエサ」と思ってしまったのである。 洗濯はすんねやろ?荷物は少なくして洗濯したのを着たらええやん、シャツなんて3枚もありゃぁ十分。と送り出した合宿から帰った日本語に弱いチョモが言う。 「洗濯してもいまいち乾かんかったで?一人が5枚出しても6人で30枚の洗濯物になんねんから、一部屋だけで。常に洗濯してんねん、隙さえあれば洗濯してる。」 「暇、な。ヒマさえあれば洗濯してたんちゃうか?なんで洗濯をすんのにスキを突かなアカンねん、オマエは道明寺か。」 余った素麺で作るアレンジメニューが紹介されているTVを観ている日本語に弱いチョモが、最初にみじん切りのトマトを入れて炒めたのに、また「トマト」という材料が出てきたのを受けて、言う。 「トマトならこないだ入れたやん!どんだけトマト入れんねん!」 「トマトを入れたんは『さっき』の出来事や、オマエは道明寺か。」 素麺アレンジメニューを作り始めた時に入れたトマトが「こないだ」やったら、出来上がるのは明後日くらいになるだろう。トマトの分量なんてどーでもええわい「何日かけとんねんっ!」て突っ込むのが先だな。 このメニューを作るのに注意するポイントはひとつだけである、「腐らない」ように気を付けることだ。なんせ『こないだ』から始めてっからね、寝ずの番で炒めて作ろうアレンジメニュー。余った素麺でやることぢゃねぇぞ。じっくり時間をかけすぎててツラい。 「…言いたいコトはわかるが道明寺かオマエは。」 日本語を選び間違ってるぞ、と示唆したい時に私は道明寺を出してくる。…わかっているが、うん、遅い。 今「道明寺」の名を出すことは、腐り切っているが如き古さ。 しかし我が家では今まさに発酵がススんぢゃってるのだ。
by yoyo4697ru980gw
| 2009-08-29 00:01
| +in much guy+
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