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データ入手大作戦

「17日に造影CTの予約を取ってるんですが、昨日から痛みがひどくなりまして、17日まで身体がモたないと思うんで、2~3確認したいことがあるんですけどね」

C病院のヤブ医師が目も合わせない問診を行ったのが6月26日。
翌日の夜にとうとう鎮痛剤がキかなくなり、28日には仕事を欠勤。
欠勤なのだが、26日のC病院に行っている時、事務所ではサーバーダウンによりサイトでエラーが発生していた。
その処理が出来るのは事務所で私以外におらず、自宅からサーバー管理会社と連絡を取りその後の処理を事務所へ振るように、との命にさすがに絶句した。
私は28日の朝、自分の身体が本当に危険に曝されていると感じた。
あまりの体調不良に身体を休めたくてもなお仕事に追われ、ちゃんとした医師にも巡り会えていない。
私は自分の直感を信じよう。
これまで直感で判断して大幅に間違ったことはない。
早急に、C病院と事務所から離れる必要がある。
私の直感がそう判断した。

事務所のサーバー問題にひとまず決着をつけ、次にC病院へ電話。
脾臓の造影CTはどっちにしろどの医者にかかろうが撮るべき時期なので、C病院で撮っておいてもよいと予約を入れていたが、痛みが悪化しているので17日まで待てない。
予約を早めるという気もないのでキャンセル。
C病院とは今すぐにおさらば。
2~3確認したいことがある、という私の申し出に受付担当らしい電話口の女性は「はい、何でしょう?」と気楽に訊いた。
「26日に採血してるんです、まずは、その結果がいつ出るかを知りたいんですが」
「では少々お待ちください、内科の看護士にお繋ぎします」
内科の看護士は採血の結果は既に出ていると告げた。
「はい?もう出てるんですか?結果が?」
「ええ。翌日には結果が出てますけど」
翌日に結果の出る血液検査とは、ドコでも出来る基本的な血液検査をしたということだろう。
だったらその血液検査は、設備の整った医大であるC病院ぐんだりまで来てやっておく検査でもなんでもない。
もっと詳しい血液検査でさえ、一週間待てばA病院で出来る。
何のために大きい病院に来たと思っているのだろうか。
A病院で出来ることをするために、わざわざ私がA病院に紹介状を書いてもらったと思っているのだろうか。
今後の検査方針を私と話し合うでもなく、何かしらの病名特定方法をアドバイスするでもなかった医師は、A病院から検査データを持ってわざわざC病院まで来て何時間待ってでも受診しようと考えた患者の、その意思を汲み取ることも出来ない大ヤブ医者だったことに、私は受話器を持つ手がこの上ない怒りで震えた。

医療設備が充実している大学病院を受診している意味のない、このお粗末な対応。
「では、取りに行きます。26日に受診した時に検査データをお渡ししましたよね?そのデータを返してください。それから、結果が出ている血液検査のデータ、それもください」
「データをお渡しするようなことは出来ませんが」
「私のデータでしょう?私の情報ですよね?」
「データというのはA病院からウチがもらっているデータですので、そういったことはしておりませんけれども」
「いいですか?A病院からC病院がもらったデータではありませんよ。私がA病院の担当医に、別の医師の意見も乞いたいと言って資料作成料を払い作ってもらったデータで、私が26日に持参し受付に渡したものです。私が持って行ったんですよ、だから返してください。それから血液検査の結果ね、それも資料としてください。私のデータと今回の血液検査の結果を持って、違う医師に診てもらうので」
事実上、C病院はクビ、という判断ですよ、おわかりですかね。
「それでしたら…先生に聞いてみないとわかりませんので…ただいま診察中で話しが出来ませんから、折り返し電話をさせていただいてもよろしいでしょうか。診察が落ち着きましたら先生に聞いてみますので」
「わかりました」

10時にかけた電話の折り返しは11時過ぎにかかってきた。
どの企業でもクレームの電話というのは早急に対処するものだが、つくづく悠長なご対応で。まぁ予想はしていたが。
ひどいことに医師は一切、電話口に出ることなく「データをお返ししますので取りに来てください」とだけ看護士が告げた。
つくづく、責任感と良心のカケラもない医者だったんだな。
普通の感覚を持っていたら、自分をクビにする患者がいたなら、医者として自分の何がダメだったのかだけでも訊きはしないか?
今後このようなことがないよう自分を戒めるためにもその理由を聞き、最後に自分の担当している患者への誠意として、今の自分が出来る限りの病状の説明をしないか?それが医師としての誠意というものではないのか。
血液検査の結果がこうで、あなたの身体は今このような状況であると。
違う医師に診てもらう際には、このことが気がかりでこのような検査をするべきだ、と前の担当医が言っていたと告げて診てもらえと、そうアドバイスするのがせめてもの責任ではないだろうか。
大ヤブ医師はそれすらも怠った最低の医師である。

11時に資料を取りに来いと言っておきながらC病院は、私が激痛に耐えながらバスと電車を使って到着した13時過ぎに、なんとこう言ったのである。
「前回お預かりしているROMがまだ取り込めていない状況なんです。血液検査の資料はプリントアウトして、それがこれになるんですが」
私はもう言い合う気にもなれなかった。
26日に渡したROMを取り込んでいないということは、医師は私を担当患者として扱ってもいなかったわけである。
17日にCTの予約を入れているのに、検査結果データを資料として作らない患者のカルテは、このC病院ではいったいどういった管理になっているのだろうか。

「今ROMのほうを別の部屋で取り込んでいますので少々お待ちください」
そう言って、私は待合のイスで30分ほど待たされた。
今さら私のデータを取り込む意図は何だろうか。
学生たちへの資料だろうか。
脾臓が4倍になるなんて滅多に目にする症例ではないから、稀なCT画像として利用するのだろうか。
いいか学生たちよ、君たちに私は問いたい。
君たちが目にするであろう私の脾臓の造影CT画像。
その稀な症状で苦しんでいる患者を前に、触診ひとつしなかった医師から、君たちはいったい何を学ぶのだろうか。
人間らしい医者に育ってくれることを、私は願ってやまない。

私がデータの返却を待っているその空間に医療従事者はひとりもいなかった。
白衣と制服を来た非情な人々の集まり。
身体がモたないから17日の予約をキャンセルした私が、いくら待合のイスで激痛に耐えていても、C病院にとっては私は客ではないので横になるためのベッドも用意してはくれないし、身体を心配する必要もないようだ。
目の前にいるのが客でないなら、その人物は患者ではない、と誰もが思っているかのような世界、C病院。
もしここで私が死んでも、舌打ちしてゴミ箱にほかすんだろうな。
脾臓の激痛に耐えながらうなだれていた頭をふと上げると、26日に私を診た大ヤブ医師が私の前を素通りして行った。

腐り切ってるなぁ…C病院。
私はC病院を去りながら涙が止まらなかった。
こんな非人間的な病院だということを知っていたら来なかったのに。
こんな病院に来るために労力を使ったなんて自分が情けないったらないね。
入口にご立派な理念を掲げておいでのC病院。

「人権を尊重し、患者の立場に立った医療の実践」
だそうだ。
「人間性豊かな、優れた医療人の育成」
だそうだ。
基本方針から聞いて呆れる大嘘ぶり。

『患者さんの権利』と箇条書きに示された8項目の権利の中にはこうあった。

「ご自身の診療情報を入手することができます」
「いかなる状況においても人間としての尊厳が守られます」

患者の権利をことごとく踏みにじり、人間扱いなどこれっぽっちもせず尊厳を軽視しておいて、いけしゃぁしゃぁとよくも。
私の『人間』としての尊厳をC病院は一度たりとも守りはしなかった、ありとあらゆる状況においても。
高いテキスト代を払わせて、それを教えてくれたC病院、恥を知れ。

あなたが患者なら、あなたは強く賢くいなければならない。
医大という名だけで信用する客には、絶対になってはいけない。
あなたが爪の先ほどでも、診察した医師への不信感があったなら、その医師に質問しまくったらいい。
あなたが納得する理由を言わず、その言葉ひとつひとつに心が癒やされると感じないのに、あなたは技術が高いとの評判だけで、その医師を選ぶだろうか。
精神的にあなたを支えてくれる最良の医者は、あなた自身である。
あなたが治療を始める時に尽くすベストは、あなたが『よし』とする医師と出会うことを決して諦めないこと。
良心を失った医師が名医であるはずがない。

医療関係者でもなんでもない私でさえ、木陰でおじいちゃんがひとり立ち止まっていれば、「大丈夫ですか」と声をかけるくらいの良心は持っている。
気分でも悪いのではないかと思って声をかけるが、「あぁすまんねぇ、心配してもろて。荷物が重かったからちょっと休憩してるだけやで、ありがとう」と言われ、病人扱いしてこちらこそスイマセ~ンと恥ずかしながらその場を去る。
立ち止まったからって老人がみながみな体調不良ってワケじゃないとわかっていても、しかしやっぱり、フェンスに手をかけている老人を見ると性懲りもなく「大丈夫ですか?!」と声をかけてしまう。
案の定、「靴に石が入ったさかいに取ろおもてんねん、それだけやねん、ゴメンゴメンありがとうね」と言われて「いえいえこちらこそ大層に反応してもてスイマセン…」と退散する。
それでも、それが人間というものじゃないだろうか。
『今までが今までなんで』ということで立ち止まる老人を、素通りすることは私には出来ない。
間違って何度恥をかいても私は立ち止まってる老人には声をかける。
「大丈夫ですか?」を惜しんだりはしない。
それが当たり前だと思っていた。
しかし、C病院界隈は違ったね。
最寄駅からC病院までの長い長い徒歩の道のり、激痛で何度も立ち止まる私に声を掛けてくれるひとなどひとりもいなかった。
病院の中の待合でうずくまる私にでさえ声を掛ける看護士すらいないのだから、ココで倒れては一巻の終わりである。
そもそも私は根性があるほうではあるが、この日ほどワレの根性に頼った日はなかったな。
根性だけで帰宅し、根性だけで午後、以前に紹介してもらえることになっていた医師のもとを訪れた。
根性以外に私を支える力はなかったね。

激痛の上に無理に無理を重ねた結果、28日の夜、とうとう救急車で運ばれてしまった。
夕方の診察でD病院への予約を入れてもらう手筈は整っていたので、救急隊員にその旨を伝えたが、月曜日に紹介状等の準備が整うことになっていて、情報不十分なため通院履歴のないD病院への救急搬送が出来ないと言う。
一度運ばれているA病院しか受け入れ先がないので、A病院へ搬送。
A病院には私のデータがあるので、医師が訊く。
「C病院に行かれてますよね?そこの先生は何とおっしゃってました?」
「何も」
「痛みがある時はどうする、とか言ってませんでした?」
「問診をするのに目が合ったのが1回だけ。触診もしない。そんな医者に診てもらおうなどとても思えませんでした」
「そうですか…それはそうですよね、当たり前ですよ」
若い男の医師はまだハナシのわかる医師のようだった。
いろいろな検査もし、大きい病院にも行き、それでも何もわからず、救急車で運ばれること2回、それでも今出来るのは痛み止めを打つことだけ、という説明に、夫むーちん、キレる。
「いろいろやってんのに何もわからへんってどうゆうことやねん、ていうことでお怒りやと思うんですけども、今のこの病状は簡単な病気ではないです、それほど難しい状況なんです。我々でも普段見る事がないような画像でビックリしているくらいのことです、だから、コレしたらわかるやろ、とか、こうすればこう、というもんではないし、簡単にわかるとは思わんとってくださいね」
説明する医師も半分キレてる。
アータがたよ、正気を保ってくれ。
よくお聞き、夫よ、そして医師よ。
一番キレたいのは、私自身なのだ。
それなのに、冷静であろうと必死である。
こういった局面で、冷静さを失うことほど、無意味なことはないことをわかってくれ。
医師になるほどの賢さがあるんやったら、医者が率先してそれをみせて。

「ご自身の病状のことは理解されてますか?」
私に質問してくる医師は、冷静さを取り戻したように見えた。
そうだな…医師とは言え、若いしな。
いまだ血の気の多いむーちんの売り言葉に、つい買い言葉で応戦してしまったに過ぎないのかもしんないな。
「理解してますよ。だから大きい病院で診てもらったほうがいいと思ってC病院に行ったんです。残念ながらC病院が最悪だったんで、今日の夕方に知り合いの看護士さんが務める病院で、D病院を紹介してもらうことにしました。月曜日に紹介状とかの資料が出来て、予約も2日かそのあたりで入れてもらえるよう、話はしてあるんですよ」
この説明で、医師は私の理解度がむーちんとは違うことを理解したようだった。
「それがいいと思います。ぜひ大きい病院で診てもらってください。では、ご主人様は病状の説明は全く受けていない状況なんですかね?」
「これまでの経緯は全く知りません」
「それじゃぁ、向こうで僕からご主人に病状の説明を…」

私は自分の病気を通して、人間の本質を垣間見ている。
こんな体調で見なければならないだろうかと、とても苦痛だが、こうでなければ見えはしないのだろうな、とも思う。
神様はなんていぢわるなんだろう。
私に少しもラクさしてくんないなんて、相当ワタシのこと嫌ってんだな。
ワタシがカワイイからって、ひがんじゃってさ。
美貌って、罪よね。
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by yoyo4697ru980gw | 2013-07-30 11:44 | +YOU WIN!!+ | Comments(0)  

セカンドオピニオンの危うさ

A病院の担当医に電話をかける。
まずは電話受付が電話に出てそれから内科の看護士につなぎ、そこから担当医、という面倒臭いシステムなのだが、まずは受付のひとが「内科の看護士につなぎますのでお待ちください」と言って、電話は切れた。

2回目の電話で受け付けに言う「電話が切れました、内科の看護士につながる前に。」再度、名前を訊かれる。内科の看護士に繋がり私の意向を告げる「とにかく、阿部先生(仮名)と話しができませんか?」と申し出ると「少々お待ちください」と言って、また電話は切れた。

A病院へまた電話。
受付が出る。
名乗る(3回目)

「何度も電話が切れて3回目なのね、痛いし辛いから何度も同じことしたないねん。このままダイレクトに担当医と話すこと出来ませんの?」
「担当医はどの先生になりますかね?」
「血液内科の阿部先生です」
「それでは先生にお繋ぎしますのでお待ちください」
と言って、電話は切れる。
私もキレる。

A病院の電話に出た受付に、言う、名乗るのも4回目。
「先ほどから何度も何度も電話を掛けてその度に切られて掛け直している千徒馬丁です、何度も言わせないでねちゃんと聞いて。大きい病院で違う先生に診てもらうために検査データをもらい紹介状を書いてもらいたいのと、検査予約のキャンセルです。内科の看護士を通さずにこの電話を直接担当医である血液内科の阿部先生に繋いでください。私が直接、会話をします、今すぐに」
「大変申しわけございません、お待ちください」
3分ほどして担当医阿部先生が電話に出る。
この3分ほどの長い時間で、切れに切れまくった電話の状況把握に努めていたことだろう。
私が伝えた話の統合も出来たことだろう。
はい阿部です、と電話口に出た医師に私は言った。
「あぁ、阿部先生ですか?看護士のかたから話は聞かれました?」
「ええ。大きい病院への紹介状ということですよね?」
やはりか。
情報収集に3分かけたんか。
私が直接、会話をすると言ったのに。
又聞きよりも本人と話すほうが確実だし、看護士から聞いたとしても同じ内容のことを私に確認するのに、この3分に医者は私という患者の何を尊重してくれたのだろうか。
「そうですねぇ…どうしましょうか。ドコの病院とかの希望はございますか?」
「先生が脾臓の専門医をご存知ならその病院を紹介して欲しいと思いますし、おすすめの病院があるのでしたら、そこを紹介して欲しいと思います。こないだの検査のデータを持って他の医者の意見もききに行きたいです。何度も同じ検査をするのは体の負担が大きいので。」
「それは、そうですね」
「知り合いの看護士さんによると、B病院それからC病院、少し遠いですけどD病院が挙がりましたが先生はどう思われます?何科というのが他にありますか?」
担当医はドコと言われて思いつく病院も専門医も心当たりがないらしく、行くのであればC病院だと総合内科宛てに紹介状が書き易い、と言った。
他の病院だと、何科に紹介状を宛てていいものかが難しい、と。
「では、C病院の総合内科にしてみます」
こうして私は資料作成料をA病院に支払い、そのROMを持ってC病院の総合内科に半日の無駄骨を折りに行くことになる。

セカンドオピニオンが声高に叫ばれて久しいが、その現状はとても危うい。
セカンドオピニオンはひとを選ぶ。
厳密には医者を選ぶ。
何科のどの医師がセカンドオピニオンをどう捉えているのかで、扱いは全く違う、というのが私の印象である。
患者を生きる意味のある人間だとみているか、支払いの時に財布から金を出す客とみているか、その違いがわかるまで、患者は痛い患部を撫でながら、セカンドもサードもフォースフィフスとオピニオンしてかなきゃなんないのである。
そしてオピニオンの条件は回数を重ねるだけ、残念ながら悪くなるのだろうことが予想される。
どの医師に、その病院のどの医師を紹介してもらえるか、というのが重要なのである。
素人が自ら動いて人間味のある医師に辿り着こうとしたら、病人に評判の良い医師を痛みに耐えて10人ほど会う覚悟が要る。
悲しいことに、それが健康である私の身の回りの現状である。
病気とは無縁なためにかかりつけに行くのも5年に1回ほど、知り合いも健康そのものでお見舞いにすら滅多に行かない。
そんな医療と縁のない私がある日、突然に稀な症状を発症してもそれを相談する相手がいない。
ゼロからのスタート、ということになるのである。
しかし幸いなことに私には、看護士の知人が存在した。
そしてその知人が幸運なことに世界レベルの肝臓の専門医の病院に勤めていたのである。
私はセカンドオピニオンで出遭った最低の医師のことを、涙ながらに知人に話すことが出来た。
そしてその知人が私が医者不信に陥る前に、救いの手を差し伸べてくれたのである。

セカンドオピニオンのつもりで行ったC病院では年配の男性医師が診る前に研修医による予診を受けたが、予診を受ける意味が全くわからない。医学生の経験実習ということなのだろうか。
大学病院とはすべてこのようなシステムなのだろうか。
だとしたら、予診に時間を割き、診察に時間を割き、それぞれ待ち時間があるので、私よりも重傷な患者にしてみたら、とても辛い。
そこそこ元気でなければ大学病院は行っちゃダメ、体力が要る。

私が持参した検査結果のみを見て、年配男性医師が言う。
「それで?症状は軽くなってると自分で思うの?」
「運ばれた時には歩くのが辛いほどでしたから、それからすると歩けてるわけで、マシだと思います。でも痛い。運ばれる前に戻ったわけではないです」
「そりゃ治ってはないんだろうから、前のようになんでもないわけないのはそうでしょう、悪くなってから今日までだんだん良くなってきてるのか、てこと。どう思ってるの?」
医師は半笑いで訊き返した。
そんなに的外れな回答を私はしたのだろうか。
半笑い語尾はとうとう医療現場ででも使われるようになったのか。
「マシです」
「じゃぁCT撮ってみてくれる?」
「そのCTは何を撮るんですか?肺ですか?」
「脾臓が大きくなってるのか、変わらないか、小さくなってるか、の確認だよね」
「経過観察のためのCTてことですよね?大きくなってたら?」
「入院して詳しく検査していくしかないわな。ほんとは検査入院するのがいいけど、入院はしないの?」
「しません」
「じゃぁCTで大きさ見ないとね。あと今日は採血して帰ってね」
それで医師の診断は終わった。
持参したデータをパソコンで見ただけ。
触診もなければ、聴診器を出すでもない。
挙句の果てには、「看護士さ~~~~~ん!」と同じスタッフである看護士の名前を呼ぶこともなく、やって来た看護士さんに「コレ、○○はドコに入ってるんやったかなぁ?」と患者の前で訊く始末。
大きい病院だからスタッフの数も患者数もそりゃスゴい。
だが、いくつもの部屋に分かれたひとつの診察室に、居るのは男性医師と、その後ろのデスクで気配を殺している研修医らしき人物、看護士、の3人である。
何人もの看護士がいて、入れ代わり立ち代わりウロウロしていての「看護士さん」との呼びかけなら、わからんでもないが、その看護士ひとりきり、である。
私が問診を受けている間も医師の向かいに立って話しを聞いていて、時々は資料などを取りに姿をくらました瞬間もあるが、医師に呼ばれてやって来たのは、その看護士である。
今日の診察をひとりの看護士がサポートしているような環境で、同じスタッフの名前すら呼ばない医師に、私は自分の身体を診て欲しいとは思わなかった。
信頼関係以前の問題で、そのひとと何か関わりをもとうとするなら、それがましてや仕事上のことなら、何よりもまず名前を呼ばないと始まらない。
私が気休めに通ったお灸屋の院長でさえ、私の病状に匙を投げた院長でさえ、2回目の来院の際には「千徒さん、こんにちは」と名前を呼んでくれた。

私は私の顔を見ずにPCの画面を見つめている医師に、質問を投げかけた。
「今、お灸とマッサージやってみてるんですけど、どう思います?効果があると思いますか?」
お灸屋の院長が、やっていて害はないかどうか確認したほうが良いとすすめていたので、この質問をしたが、私には違う目的があった。
院長が言っていたのである「まぁ、やって良いとも悪いとも言わないと思いますけどね。病院の先生は東洋医学を毛嫌いしているひとが多いですから」と。
だから、この医師が毛嫌いしているのを、あからさまに出すか出さないか、ということの確認。
医師はあからさまに出すタイプ。
ハナで笑いながら私にこう言った。
「そ~れはアナタが一番わかるコトでしょ?効いてるか効いてないか」
「鎮痛薬を飲んで痛みが和らぐのと、お灸して痛みが和らぐのが、同じくらいの和らぎの具合やったとして…」
「どっちのほうがイイかって?」
「はい」
医師は、私の質問を私自身に最後までさせることさえ、しなかった。
「そりゃ、安いほうがえんちゃうの?」
「まぁ、それはそうね」
医学的に身体を考えての意見を言う気はサラサラないようである。
安いほうがええからすすめられた入院も拒否するし、キかないとわかってて激安の市販薬を服用するの。
だから安くなかったら、あとは自然に死ぬかな。
極論、そうなっちゃうよね。
金を出してきたら、身体一番の基準なんてひれ伏す。
一番安い方法は『ほっとく』てコトだから。

なんて患者の気持ちに寄り添わない医師なんだろう。
費用の工面が大変なのはわかるけど身体のことを思ったらこうするのがベスト、というアドバイスだったり、「自分が同じ状態ならこうする」という選択の基準を示すことくらい出来ただろうに、金にならない患者には何のアドバイスもしないらしい。
あぁかかりつけの人情クリニックの院長が恋しい。
頼まなくてもレントゲン写真を持たせて大きい病院に送り出してくれた院長。
必要か不要かがわからなくても、もしレントゲンをもっかい撮るようなことになるくらいなら、既に撮ってあるデータがあるんだからと持たせてくれる。
レントゲンの回数は少ないに越したことがない、ということを思えばこその判断である。
院長は患者に寄り添う医師だから。
患者のおばぁちゃんもどんなに待たされてもココに来る、てゆぅてた。「ひとがええから、大きい病院とかに行ってもみな戻ってくんねん。どんなに待ってもココがええねん、みんな」て。

大きい病院のメリットとは何だろう。
医大病院のメリットとは。
最新医療機器や最新医療技術の充実だろうか。
あと、研究成果の反映の速度だったりかな。
患者データの情報量が豊富だと、治療が適切か。
しかし、私は技術の高い医療を受けるためだけの通院を重視してかかりつけにする気はない。
病気の身体で気持ちが荒ぶのがイヤだ。
医師に会うのを楽しみにしたい。
私は人情クリニックの院長に訊くように、訊いた。
「動いたりせへんほうがええの?」
「仕事行くんでしょ?」
「行く。運動は?」
「じっとしといたら?痛いんでしょ?」
「痛い。お酒呑んだらあかん?」
「もちろんアカンに決まってるやん」
私のココロは決まったな。

同じ質問でも、人情クリニックの院長とのやりとりならこうなるはずだ。
「動いたりせへんほうがええの?」
「ええけどなぁ~どう動く?何したいん?」
「激しく踊りたい」
「楽しいの?」
「楽しいよ」
「ほなら、痛くないように頑張って」
「わかった。お酒呑んだらあかん?」
「あかんよ。呑みたいん?」
「最近、急に呑みたいねん」
「どのくらい?」
「ほんのちょーーーーーと」
「ホンマはアカンけどちょーーーーとだけ呑んでみるか?呑んだら今より3倍は痛いやろなぁ?それでいいなら呑んでみ?」
「えーーーーイヤやん。ガマンする」
「それがええ・それがええ」

C病院の触診のない診察が終わり、看護士さんが私に会計ファイルを渡し、後日受けるCTの説明をする。
「頭部ですね?」
「はぁ?」
「CTは頭部ですよね?頭?」
「なんで?頭、みます?」
「違いますっけ?少々お待ちくださいね」
診察室に入って出て来た看護士が言う。
「腹部CTでしたね」
「そうでしょうね」
脾臓が痛いってさんざん言ってたのを聞いてた看護士なのに。
PC操作を医師に教えてた看護士なのに。
腹部CTの確認だけをして去っていく看護士。
採血して帰るように言われてんのに、何してんねやろ看護士。
看護士が動かないので、私が動く。
診察室へ忘れっぽい看護士を探しに行く。
ちょうど慌てて出て来た看護士と遭遇。
「採血、でしたね?!」
「そうですよね」
「すいません…」
すいませんぢゃぁ済みません。
私は混み混みの待合室で言った。
「この病院、大丈夫か?というカンジですね」

病名を特定する前に、寄り添う医師を見つけなければならないやってられない状況で私のセカンドオピニオンは終了した。
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by yoyo4697ru980gw | 2013-07-23 08:14 | +YOU WIN!!+ | Comments(0)  

改心の痛

あれほど浴びるようにガブガブと飲んでいたコーヒーを、ちっともおいしいと思わなくなった。
病気で味覚が変わったのだろうか。
本来であれば6月上旬に飲み会が予定されていたので、そのために『安さの割にはおいしいワイン』をいくつか注文してあった。
それが手付かずのままあるのだが、そのワインがすこぶる飲みたいという気分なんである。
病気の身体は禁酒と相場は決まっているが、私は体が欲すサインは摂取OKと考える性質である。
身体に足りていないからそれを欲す。
身体は正直だし、自然治癒力もたいしたもんなので、こんな時に間違ったサインを出しそうもないと思うが、それにしても酒が飲みたいと思うのは不可解。
私は自宅で自ら酒を呑みたいと思うことが普段は無い。
クリスマスだから自宅で夕食をちょっと豪華にする場合と、年末年始だけに呑む。
それは『お祝いの席には酒』というトコロからきていて、自ら呑みたい気持ちがあって呑んでいるわけではなく、おいしいと思って呑んでいるわけでもない。
雰囲気を愉しむため、という要素が強い。

私はその時その瞬間、その場所で愉しみを見つけられるような生き方をしてきた。
それは今後も変わらないだろうと思う。
大病を患ってもきっと変わらない。
原因不明の病状を宣告された今もって、変わらない。
私は、今この時を楽しんで一日を過ごしたい。
それが私の、生きるという一日だから。

私の実母は病弱で、毎日のように辛い痛いと嘆きもって溜息吐き吐き日常生活を送るようなひとだったので、そのことが他に与える精神衛生上の悪影響を私は誰よりも実感してきた。
痛い辛いと言ったトコロでラクにならないのなら黙って耐えろ元気な人間の気力を殺ぐな、ということを私が言えば、母親はなんて冷酷な人間かと私を責めた。
そう思う、自分でも。
これまではそう思っていたが、今は違う。
実母は人間としても母親としても間違っていると私は思っている。
私自身が母親となり辛くて痛い同等の病状になって、改めて実母はなんて冷酷なひとであったかと思った。

私が救急車で運ばれる前日の夜中、弟から電話があった。
それは弟が、兄と母の二人とは縁を切るという決断をし、そうなるまでに至ったの原因の説明であった。
情に流されることなくひととして正しい判断をした弟を、私は尊敬する。
そして弟が、私に同じようにしろとは言わなかったことも、尊敬する。
弟はその電話で私に絶縁の意向を訊くことはせず、弟の意向のみを報告するに留めた。
それは、互いに大人なのだから感情的に結託するなどということで姉弟の絆を保つのではなく、それぞれの考えを尊重することで互いに思いやりを持っていこう、ということである。

「俺はもうあの二人と連絡を取ることも会う事も今後ないけど、気になることがあったら電話してきて。俺が答えられることなら教えるし」
そう言える弟が、私にいたことがありがたい。
しかし7才離れた男である弟と、私の考え方は同じではない。
私は即決で正しいことだけを選ぶほど、弟のように純粋に生きてきたわけではないのである。
弟とは違う種類の苦労をし、違う判断をしてきた。
この少しずつ少しずつ汚れた私は、ほんのこれっぽっちの情が邪魔をして『私さえ許せば』という気持ちが捨て切れない。
私が縁を切っても連絡を絶っても、私を産んだひとと私の兄は、生涯、私の母と兄である。
どうしたいのだろう、私は。
ひとりの人間として正しくありたいのか、娘として妹として肉親を許すべきなのか。
私は決断が出来ないまま、翌日、救急車で運ばれた。
そしてそこで私を診た若き女医が、かつて私がそうであったように「疑問があれば単刀直入に本人に問う」という性格であったことで、きっぱりと決断をした。

どうしたいのか、私は。

ひととして正しい判断の出来る人間でありたい。

それは、たとえそれが肉親であっても許されざることは決して許さない、ということである。
自分たちの間違いの結果、自分たちの言動の結果が、母には我が子ふたりを、兄には父親と妹弟を、失うことになったのだという事実にいつ彼らは思い至るだろうか。
そこに弟と私の心を痛めた決断があったことに、いつ気付くのだろう。

あぁ神様。
いるならどうかもうこれ以上、私を試さないで。
生き難すぎて、死を選んでしまいそう。

病状がこれまでの弱く汚い私を殺したのなら、私は与えられた再チャンスを今度こそ自分に強く生きてゆくことで、私の生き方を全うしていかねばならないのだろう。
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by yoyo4697ru980gw | 2013-07-21 17:40 | +YOU WIN!!+ | Comments(0)  

精密検査のいろいろ色

人生初胃カメラ・人生初CT・人生初造影CT・人生初外注血液検査を経てわかったのは『私の病気が特定出来ない』という事実。

五臓六腑のひとつである脾臓という臓器が腫れていることでこれらの検査は行われたが、脾臓が腫れること自体が病気ではなく、脾臓を腫らす原因になっている病気があり、それを特定出来ないという結果が言い渡された。

脾臓は古くなった血液を壊している臓器で、血の塊。
組織検査というものが出来ない臓器なので、胃や肺のようにちょっとだけ取ってきて腫瘍が良性か悪性かを調べる、ということが出来ないらしい。

「取るなら丸ごと?全部?」
「全部です」
「取って良性てわかったら戻せる?」
「戻せません」
「取って日常生活に何か支障あります?」
「免疫力が低下しますのでワクチンを打ちますが、絶対に必要な臓器かと言ったらそうでもないので日常生活にさほどの影響はないでしょう」
「でも、ワクチンを打たなアカンわけですよね?」
「そうですね」
私の日常にワクチン打つってのは大きな支障やけどね。
脾臓があればワクチン打たんでええってコトはそうゆう役割がある臓器ってコトで、だとしたら絶対に必要な臓器やねんけど、私はね。
「丸ごと取る必要ってあります?」
「今の段階では、悪性であることの状況証拠に乏しいといったところですね。悪性であろうと判断されるような検査では異常値が出なかった、原因となる病気がいくつかあるわけですけども、それらの病気の典型として現れる数値もないのでそれではない、とすると現段階では肺のCTは撮ってないのでそれを撮ったほうがいいのかなぁ、と思います。可能性は低いですが肺の病気が原因で脾臓が腫れた患者さんはひとりだけいました。しかしそのひとはもともと免疫不全でしたので、健康に問題のないひとの症状ではありませんのでねぇ…あくまでも肺をまだ撮っていないから撮るとしたら、という可能性です。あとはこれも可能性は低いですがカビの検査ですね。特殊なカビに感染したことが原因かもしれない、ということはあります。まずは病名自体が特定出来ないと治療のしようがないですからね、今は何もしてあげられないという状況です。出来るのは痛み止めを処方するくらいでしょうか」
「それね、痛みを我慢してて悪いコトってあります?」
「悪い…まぁ…今は歩かれてるんでまだマシなのかなぁと思いますが。この前はそれも難しいといった感じでしたからねぇ」
「じゃぁ歩けるくらいまであれば痛いのを我慢して仕事、てのは?」
「どのような職種でしょうか?」
「デスクワークです」
「だったら致し方ないのかなぁ、といったところですね」
「運動は?」
「もちろんダメです」
「飲酒も?」
「もちろん、もちろん」
「私、ちょうど今アレルギーが出てて、それを抑える薬をひとつ試してみようと思ってたんですけど、それは?」
「今は、特別なことは何もしんとって、と思います」
「へぇ~…そんなに悪いんですね」
「悪いというか…珍しいことです」
現役の医療関係者によると、勉強の段階でも脾臓は滅多に症状が出ない臓器としてササ~と流されるページらしいので厄介だ。
「脾臓がデカいって、その原因となってる病気が検査で出てないんでしょ?もともと脾臓がひとより大きいって可能性はないですか?」
「これねぇ…脾臓のCTですけどねぇ…だいたい4倍くらいになっています。ここ、腫瘍があるのわかりますよね、4個…5個…6個…くらいでしょうかね。もともと脾臓がひとより大きいといっても限度があります。これは明らかに腫れてますね」
「4倍…あら…そんなにでしたか。予想以上にデカいですね」
「滅多にないことですよ。まずは病気の特定をしなければ。今後考えられる検査としてはPETですね」
「そのペットとやらをやったら、絶対に病気が見つかります?原因が確実にわかります?」
「確実にわかるかどうかはわかりません」
「わからない場合もある、ということですか?」
「そうですね」
「それで、その検査はいくらくらいかかるでしょう?」
「4万ちょっとくらいですね」
「あぁ、そうですか。今月中は確実にそれは無理ですね、もっと安い検査で何か特定出来そうなのはないですか?」
「現段階で考えられるのは、肺のCT、それからカビの検査、その二つです」
「CTって撮るのいくらくらいでしたっけ?」
「5000円くらいですね」
「その二つの検査で何もわからなかった時は?」
「懐が許すのなら、PETですが」
「懐は入院もPETも許しませんので、今はそれ以外の方法で何か…」
「じゃぁ、肺の造影CTとカビの検査をしましょう」

こうしてA病院にて私は、最低限の検査を重ねるしか許さない懐具合と脾臓の痛みに泣くのであった。
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by yoyo4697ru980gw | 2013-07-20 15:36 | +YOU WIN!!+ | Comments(0)  

ヨコにシュシュシュ

ヨコログというヨコにスクロールするタイプのスキンに変更してみました。
夏なので。

これ、スマホだと便利な具合になっているのだろうか。
PCだと、とんでもなく見にくいし、面倒なんだけど。

早くいつもの縦スクロールスキンに戻したいので、スマホユーザーおよびPCユーザーの方からの、暑いクレームコメントをお待ちしております。

夏なので。
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by yoyo4697ru980gw | 2013-07-18 13:00 | +ミルニング+ | Comments(0)