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ダイアン吉日の大安キチジツ

「これ。参加表明、学校に出しといて」
「えっ?!来るん?!」
「行くよ」
「古典芸能やで?落語やで?」
「わかったうえで行くねんや、枝雀の息がかかった落語やから聴きたいんや~。話し掛けへんがな心配すんな、そっと行ってとっとと帰るから出会うわけがない」

去る大安吉日、創立記念日のイベントとして古典芸能を観賞するという企画を立てたチョモの学校では、その案内を保護者にも出した。
公立高校と言えどこんなにも地域色豊かなものだったのかと、チョモが三田の高校を選んだことで私は学んだ。この高校は、外の世界へ向けての視野をバッカバッカと開かせることをするようだ。
校外授業で京都に足を延ばしてみたり、夏休みを使ってのホームステイや週末を使っての宿泊をともなう国際交流課外など、しょっちゅう参加申請書を持ち帰って来るので私はチョモの学校の教師には休暇があるのかと心配になる。休息って必要やで。しっかしまぁやりもやったり、把握できない数で次々に届く申請書や参加申込書。地域との交流行事や、“この学校ならでは”的な授業内容の説明会も多く、生徒のやっていることを『保護者とともに』理解する場を持とうという姿勢がべらぼうに強い学校なんである。
私の通った公立高校では保護者に参加を募るような行事など皆無であったし、親は我が子がドコでナニをしているかなど知る由もなかった。
高校とはかくもその学校の特色というものが濃いことであったか…。
それを知っていれば、私はもっと真剣に高校を選んだかもしれない…いや…高校に行く気がなかったなそういえば。
私、そういや高校は親に言われて強制的にイヤイヤ行ってたな。

基本的に公共交通機関を使って来校せねばならんチョモの高校は、駐車場完備である。基礎よりも応用力を発揮するタイプの私は車で学校まで行っている。さすが三田よね、土地が豊富。それはチョモの学校の外観と敷地の広さからもわかる。
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コレ、高校。大学ちゃうで。
まるで私学のような公立高校。
平屋で教室が建っているイメージを持つほどどれもこれも建物が低く、教科ごとに棟が設けられている。
体育館も食堂も講堂も図書館も独立して建っているし、いつ行っても「土地…余っとんな…」と思う。通路が長いねんね、常に。ドコに向かってもね、遠い。
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敷地内に池と森まである。

駐車場に駐車して、会場の体育館まで徒歩5分以上。
800名の全校生徒大移動の波にのまれる。
途中、通路に出ている教師に「こんにちは」と挨拶をする。
その挨拶に気付いたひとりの女子生徒が、私に「こんにちわ~」と挨拶をしたが、それ以外に生徒や教師からの挨拶はなかった。
生徒や先生が挨拶をしない校風というわけではない。
私は夏に学校を訪れた時、歩けば歩くだけ挨拶が飛ぶことにびっくりした。
すれ違う生徒全員が挨拶をするので、途中から私は「こんにちは~~~~~~~~~~~~~~~~」と息が続く限り語尾を伸ばし、すれ違う10人ばかしとの挨拶を一回の「こんにちは」でまとめた。
生徒にとってはひとりの保護者かもしらんが、私が800名の違う生徒ひとりひとりと挨拶を交わすのは正直ホネやでなぁ。

しかし今回は、紺ブレザーの制服の生徒たちにのまれた私は、ほとんどの生徒よりも背が低く、全身を黒でかためた雲隠れファッションであったために、体育館で保護者席に着くまで保護者だと気付かれることがなかった。
体育館までの通路の脇に、全校生徒のロッカールームが別館として建っている、なんせ土地が余っとるからね。
そこから上履きを持って出て来た生徒が私を保護者と気付いた以外は、誰一人気付かなかったと言ってよいだろう。
「お~見覚えのある顔やないか~こんなところで会うとは奇遇やなぁ~ココの学校に通てるんか?」
「…ホンマに来たん?保護者なんかひとりやで」
「あら…そらさびしいのぉ…。お母さんこーへんの?自分ら?」
「…あ…ハイ…来ません…」
「そっちのコも来ないの?」
「…来ません…」
「そぉなん~趣味の合う友達を作ろうおもとったのに残念やなぁ~」
話しかけない約束だったので私はズンズンカツカツと早歩きをして、聞き耳を立てつつ彼ら3名を置いてけぼりにした。
「…誰?」と友人に訊かれたチョモはイヤそうに「…オカンや」と答えていた。
計画的に会ったわけぢゃねぇよ、偶然やないか。
私が渡り廊下を歩いているのと、チョモがロッカーから出てくるタイミングが、たまたま一緒だっただけぢゃねぇか。それなのに無視をしろと?あまりにすんなりと出会ったもんで驚いて反射的に話し掛けてしまって悪かったな。めんどくせぇなぁ反抗期ってヤツは。
オマエもいつか我が子に邪険にされて知れ、この面倒臭さを。あぁ、めんどっちー・めんどっちー。
別にタイミングを見計らったわけでもないのに、こうしてこの土地バリバリ余っとる敷地内で800名の生徒の中にまぎれてんのにカチ合うなんて、縁を感じませんか。血でも繋がってんぢゃないかと思えてきませんか。まるで親子みたいですよね。そう思いません?アナタはおイヤかも知れませんけどDNAから漏れ伝わる情報は侮れませんね。行動パターンが似ちゃうんですよね、それが血だから。

会場間もなくはザワついてなかなか席に着きそうもない生徒たち。
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チョモの予想は外れ、保護者は私ひとりではなさそうだ。
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しかし、そう多くもなさそうだ。
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高校説明会の時に司会進行をしていた先生がオネェ口調だったことに私は大変感銘を受け、この学校は3年間飽きんかもしらんと思ったものだが、この日もあのオネェ口調の司会進行で始まった。
いつもは口うるさく壇上で小言を言っているのだが、今日は記念行事で楽しく過ごして欲しいから小言を言いません、と宣言したものの、生徒たちは私語をやめない。
それを壇上の先生はこう表現して窘めた。
「800人のカラスがおるね。ほ~ら、すぐしゃべる!チャイっっ!」
やはり最高だ。
マイクを使って、怒る。
小言は言わない、だって今日は楽しむ日だから。
でもいつものようにピーチクパーチクとカラス達はダベリング。
チャイっっ!!!

チャイって~~~~~~!
マイクつこて『チャイっっ』って~~~~~!!
勿論、会場内はザワつく。
先生はそのザワつきをまた窘める。
「ほら。チャイで騒ぐなっ!」
知っててか。
知っててゆぅんか。
この先生は愉しみ方を知っている。
楽しんで欲しいから小言は言わないと言って小言を言った。
けれどもこの小言の言い方は、生徒たちの楽しい気分を台無しにはしなかっただろう。
指導者にとって『叱る』という行為は必ず必要となる。
指導対象者が男なのか女なのか、年齢がいくつか、性格がどうか、ということで指導者の『叱る』ことの意味合いも違ってくるが、どんな場合でも共通して言えることは、叱られた人のテンションは下がる。
楽しい気分を台無しにすることなく叱れるということは、指導者として高いレベルにいると私は思う。
しかし、そうゆう教師は得てして生徒にナメられているものである。
10代のペーペーにはこの叱る技術の高さがわっかんねぇんだろうな。
おやぢギャグでダジャレる教師や、何かっちゅうと同じエピソードでウケを狙う教師と一緒に思えんだろうな。
ちみたち、チャイ先生は違うぞ。
何が違うということはハッキリとは言えんが、そしてまた、尊敬すべき教師だという意味ともちょっと違うが、チャイ先生は『叱る』こと限定ですんばらしい指導が出来るということは確かだ。
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ダイアン吉日の落語が始まるまでの場繋ぎとしてフリートークをしていたチャイ先生は、「せっかく僕が話しをしているんだからこっちを見てよ、悲しくなるから」と言ってまたもや会場を湧かせ、底冷えのする広い広い体育館を前座としてきっちりあっためた。

イエローサブマリンの出囃子で登場した、ダイアン吉日。
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女性だとは思っていなかった。
落語家と聞いて私は男性を想像していた。
以前に寄席チケットが当たって落語を観に行った時、その時の出演者だった桂あやめ女史が、女性落語家は現在9名であるから今、弟子入りをすると漏れなくトップ10に入れると言っていた。『よし、落語家になるか!』とすぐに思ったが、帰宅した私は女性落語家としてトップ10に入りたいという希望はとくにないということを思い出し、現在に至る。
私の認識の中では、女性落語家は非常に少ない。
ましてや英語落語をするという外国人落語家。
外国人落語家と言えばヘンなガイジンのパイオニア、快楽亭ブラック(初代)で、男性である。
古典芸能でそもそもまさかの外国人なのに、まさかまさかの女性である。
しっかしガイジンが揶揄する日本人の島国気質って笑えるね。
落語を英語でやっちゃう枝雀が作った笑えるネタだけども、ガイジンであるダイアン吉日が演じると日本人より諷刺度が高くなるという視的効果。
それほど、ハッキリしたガイジンの外見をしているダイアン吉日女史。
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日本人の外見でいくら巧くこれを演じても、こうはならないと思うな。
日本人をよう知っとってやで。
ちょいちょい、日本人のアクションを挟んでクる。
すご~い!ゆぅて、顎の下あたりで指先だけの高速拍手、するね?
となたさんも、女性はとくにしますやろ?
ダイアン吉日、目の付けドコロがsharp DE show!
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by yoyo4697ru980gw | 2012-11-25 01:11 | +朝臣寺+ | Comments(0)  

キュウクツ

中学生の時とっても生きていくのを窮屈に感じていた私は、その捌け口として、心に響く詩人の心打たれるフレーズを油性マジックで自分の机に書く、というアッパラパーなことをしていた。
心に響かなくなったフレーズは消し、また違う詩集から抜き書きする。
ツルツルしている面に書いた油性マジックは消しゴムで強くこすると消えるんである。
自宅の勉強机で勉強はせずに、黙々と詩人の言葉を書く。
私がポケットに入れていた青色のマッキーは、机に詩を書くための筆記用具である。
じきに天面は詩で埋まったので、今度は机の下に潜って寝転んだ姿勢になりカキカキ。
机の脚や抽斗の裏にまで抜き書き範囲は広がった。

これは大人になって人づてに聞いたハナシだが、カキカキと抜き書きをする姿に『高校に行かないと言ってまぅは机に落書きばっかりしている』と、当時の母は悩んでいたそうである。
机の隅々にまで書くのでこれを父親タカボは「まぅはま~た“耳なし芳一”か、飽きんのぉ~」ちゅうて悩む妻に「ほっとけ・仏~」と言うので“フザけてるっっ…!”と母は激怒。

私の勉強机はとうとう書くスペースがなくなった。
それでも詩人の詩は私の心を打つのである。
そこで私はポケットから青色マッキーを取り出して、学校の自分の机に書き始めた。
その抜き書きの数が多くなってきたので担任が、朝のホームルームでとくに誰と名指しするわけではなくこう言った。
「学校の机や椅子に落書きをしているひとがいますが、消しなさい。皆さんは自分の家でゴミを廊下にポイと捨てたり自分の机に落書きしたりはしないでしょう?学校でも同じ行動を取りなさい。自分の部屋と教室は一緒です」
「先生!」
私は鼻血を出した生徒が保健室に行くことを申告するくらいの速やかさで手を挙げ反論した。

私は学校の机だから書いているのではない。
自分の机に書き切れず、自分の物と思っている学校の机にまで書いてしまった。
よくよく考えたら学校での私の机ってダケで卒業したら後輩が使う。机に書いたことは間違っているので消すけれど、先生が“自分の机には落書きをしないのに学校の机には書く”と思っているのならそれは先生が間違っている。
先生にとっては落書きかもしれないけど、私にとっては違う。
私は自分の勉強机にも書いている。
ウソぢゃないから家に私の机を見に来て。

「今日、学校の先生から電話があったぞ?机の落書きを見に来い、てたてついたらしいな?」
自営業だから100%電話に出ちゃう父タカボが言う。
先生は“たてついた”と思ってんだ。
髪の毛を脱色した前科者の私の言葉はなんでも親を呼び出す対象にするんだな、卑怯者の大人のやる事がこれか。
私がウソついてると決めつけやがって。
「学校の机に書いたヤツは消した。私は間違ってないし、たてついてもいない。それからウソもついていない」
「ん。お父さんもそう思う」
「へ?」
担任は放課後ウチに電話をかけてきて、タカボに確認を取った。

今朝、まぅさん本人にというわけではなかったのですが、クラス全員に向けて、学校の机に落書きをしているひとがいるが自分の机には書かないだろう?学校の机も自分の机と同じように扱えと指導しましたら、娘さんが手を挙げて、自分の机にも同じように書いてある、私にとっては落書きではない、家に見に行ってくれ、と言うもんですから確認なんですけれども、娘さんの勉強机はどのような状態でしょうか。

「あいつの机はマジックで字がびっしり書いとるわ。アレはもう机ぢゃねぇな、ノートじゃ。もうずっと前からそうじゃ。じゃけん、学校の机に書くのは間違っちょるからそれはオレも注意しとくばい」
耳なし芳一は耳に経文を書き忘れた和尚さんの『返事をしてはならぬ』という教えに聞く耳を持って従った。
しかし経文を書いていない耳は亡霊にもがれてしまった。
けれども芳一のことを心から心配する和尚さんの言葉にちゃんと耳を傾けることをしたからこそ、その魂までをも持っていかれることはなかったのである。
あぁ芳一よ…大人はみんな卑怯者だと私は卑屈になっていた。
聞く耳を持っていないのは、私のほうだったではないか。
ひとの言葉に傾けることをしない耳だけがいくら残っても、ひととしての心がもがれてしまっては、私の耳は何も聞かないのと一緒ではないか。

「ま・そうゆうハナシになったから、オマエ学校ではノートに書け、机には書くなよ」
翌日、私は学校で担任に呼び止められた。
「まぅ!昨日、先生な、お父さんと電話で話しをしたんじゃ」
「はい、父から聞いています」
「家の机にもびっしり書いてあるとお父さんから聞いたしな、お父さんもまぅの言ってることはウソじゃないし間違っちょらんて思う、とゆぅちょられた。まぅには落書きじゃなかったんやな?先生が間違ぅちょった、悪かった。でも机に書くのはイカンぞ、ノートに書け、ノートがあるじゃろう?」

先日ヒー坊が国語のノートの余白に、偉人の言葉を走り書きしているのを、教師が見つけた。
「ノート提出があってそのノートが今日返ってきたんやけどさぁ…メモ帳が挟んであってさぁ…国語の先生から…コレなんやけど…」

A.ショーペンハウアーの名言ですね。
私は彼の言葉の中で、“船というのは荷物をたくさん積んでいないと不安定でうまく進めない。同じように人生も、心配や苦痛、苦労を背負っているほうが、うまく進める。”というのが一番好きです。
辛い気持ちを知っていれば、その分だけ人にやさしくなれるものだと思ってます。
(でも、もし本当に辛いのなら、一人で抱えこんだらあかんよ!)
良かったら、千徒君の好きな言葉、また教えてください。
新米国語教師より

「A.ショーペンハウアーてひとの言葉やったんやなぁ…いい言葉やなぁ~書いとこ~っと、て思ったダケやのに…こんなオオゴトになってしまって…」
「どんな先生?」
「大学を出てすぐの新任の…まぅは知らないと思うけど…」
「若いということはこうゆうことを言うんやろうなぁ…より気持ちがティーンに近いんやろな、この先生。話しやすい先生だったらこの先生にいろいろ話したらえんちゃう?包み込んでくれるとか解決してくれる、ということには向かない若さやけど、ともに痛みを分かち合ってくれる、という点ではこの先生が適任やと思う、このメモを読むかぎりではね。心強い味方がおるもんやなぁ…アンタはホンマに恵まれてんなぁ…必要な時に必要なひとが目の前に居てくれるありがたさやなぁ…ありがたや…ありがたや」

子供にとって「親だから」というのが理由で不十分という時期がある。
まさに今、思春期の我が子たちには、親のアラばかりが目につき、私の存在は頭のテッペンから足の先まで全身全霊、不十分である。
こんな時期は親ではない違う誰かが、親以上に自分をわかってくれることを欲す。それが、反抗期の正体だ。

私は中学の時の窮屈さと中学の時の反抗と家出の数々と、別居を繰り返す両親のもとでの複雑な家庭環境と、冗談のような引っ越しの回数と、あれやこれやの雑多な問題、それら全ての経験が今に活きていると、つくづくそう思う。
その時々で良くも悪くも出逢ってきたひとびと全てが貴い。
そのことに気付くのに37年もかかったなぁ。
おそらく、かかりすぎ。
ええ、ええ、これからのちの世代へと辛抱強く同じようにしてゆきますので、どうぞどうぞ期待しておくれやす。

私がいつか気付くはずだと根気よく諭してくれた、あのころ私が一方的に敵視していた皆さんの恩に報いるためにも、私は道を踏み外していないか時々、ちゃんと立ち止まって振り返ろう。
そして自分の足がしっかりと地に着いているか、行こうとしている道が真っ直ぐかを、確認しようと思う。
人間は窮屈さを経て己の至らなさを学ぶもんだったんだなぁ。
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by yoyo4697ru980gw | 2012-11-24 00:54 | +YOU WIN!!+ | Comments(0)  

ブリティッシュスタイル

春の終わりや秋の始まりというとっても短い期間にブリティッシュスタイルで過ごすことがあるが、1週間も着るか着ないかのためにスクール系ニットを買うかといえば、私は買わない。
そこまでの需要が自分自身にないから。
しかし幸いにも我が家にはスクール系男子が2名おり、この2名が黒や紺といったスクール色のニットを着る。
そしてこれまたラッキーな事に3年ほど前からこの男子たちが私と同じようなサイズになり、長いこと伸び悩んでいて今もって私と同じサイズなんである。

「雨上がりから急に寒くなったから借りてたニット返すわな。明日は着て行ったほうがええよ、ごっつぃ寒いから」
「確かにむっちゃ寒いよなぁ?今日も寒いし」
少し前から夜に乾いた咳をしているヒー坊から借りているニットは紺の綿ニットで、暖房がキいている室内でラフに過ごすには1枚で着れるなかなか使い勝手の良いニットである。
土曜日の室内でまだまだ着ていたいアイテムだが、ヒー坊にまた肺炎になられても困るので返却。

するとヒー坊がこう言う。
「カーデガンとかセーターを着ていいのは12月1日からやねん…やからカイロにする…」
「学校もアホならオマエもアホかっ!私が学生の時からな~~~~んも変わらんな学校の校則は。そんなに日にちが大事か?あ?学校は日にちが大事やろうけど、私はヒー坊が大事。着て行きなさい。12月1日からじゃないと校則違反やと先生が言うなら母親を呼び出すように言いなさい」
ルールを守ることしか頭にないヒー坊は、臨機応変な対応というのが苦手なので、ニットを着るのは12月1日になってからでないとダメだと学校が決めていると訴える。
「オマエはイエスマンか。ヒー坊、おかしいと思わんか?デブとガリ、寒さの感じ方は同じか?体感温度は人それぞれやし、季節の変化は一定ぢゃない。11月だろうが寒い日は寒いねん」
「でもぉー…学校が12月1日…」
詰襟を脱がなければ下にニットを着ていることなんてバレないから着て行けと、夜中にコンコンコーンと咳をしていたヒー坊を説得したが、体育があって脱ぐからバレると言って結局ニットを着ずに登校した。

学校よ。
12月1日から皆が一斉に寒さを感じると思っているのか?
ウチは9月の終わりからコタツが出ているが、数日前にはコヤモで半袖で闊歩しているおっさんとすれ違った。
衣服で体温調節をして各自で自身の健康管理をすることと、セーターを着る日を守ることと、どちらが学ぶべき教えかを学校は考えたほうがえんちゃうか。
こんなバカげたルールでやってんの日本くらいのモンやで。
先進国がきーてあきれるっちゅーのね。
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by yoyo4697ru980gw | 2012-11-16 11:21 | +丁猫犬堂+ | Comments(0)  

考えるトイレ

そのトイレはまず個室に入る前の狭いスペースにコルクボードが置かれてあり、そこに不用品を高価買取するというリサイクルショップの宣伝と、スタッフ募集の募集要項ペラがボードに貼ってあった。
物事の大半を穿って見ている私はこう思った。
使いモノにならないスタッフをリサイクルショップに高価で買い取っていただき、使える人材に育ってからお得に買うというのはどうだろうか。
使いモノになる、ということは、そのひとが働く必要があるかないかで決まる。
生活のために働いているひとは、必ず使いモノになる。
それが生きていくということであるから。
生活費を稼ぐ必要のないひとが働いてモノになる条件はただひとつ。
そのひとに、働く意欲があるかどうか。
必死になっている人間は、必然的に賢いものだ。

さぁ
考えるアシたちよ
考えたまえ

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ココのインターホンはどこのだれにつながってしまうのかを

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正しい。
私は常々、自由と責任はセットだと思ってきた。
自由を求めるならばしかるべき責任を果たさねばならず、
責任が持てないのならば自由にやるべきではない。

つける。
私は常々、スイッチをポチと押す電気を使っての電灯は『点ける』だと思ってきた。
『ともす』の灯すの場合は私の中では火が燃えている。
ロウソクを灯す、というようなカンジで。

考えるアッシは考えはじめると、いつでも最終的に、
わけがわからねぇんだよなぁ。
人生はいつでもそうさ。
考え始めると、キリがねぇ。

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アッシはねぇ…
ものすごく難しい事を、お願いされているような気がするんだかな。
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by yoyo4697ru980gw | 2012-11-12 01:24 | +武道便所 グレージー+ | Comments(2)  

社員教育教材用パロディテキスト『美少女戦士セーラームーン』

1990年代、高校生だった私は放課後のある日、当時既に社会人として実家を出て自立し、だいぶ羽振りの良い生活をしていたスポンサーである兄に1000円を手渡され、こう言われた。

「あ・オレ忘れた!今日セーラームーンあるから帰るわ。何か食うて帰れ?じゃー」

自転車で峠を越えて1時間かかる自宅まで、バイクで送ってくれるという約束をドタキャンされた私は、開いた口の顎関節がパキてゆぅたね…兄の奇行に振り回されるのはいつものことだが、そんな中でも記憶に残る奇行中の奇行『セーラームン観るからバイバイ』事件である。

社会現象と言ってもよかった『ドラゴンボール』と『セーラームーン』
私の周りではいい大人までもがこぞって水曜日に在宅率をアげにアげた。
ドラゴンボールをリアルタイムで観るためにザルがこぞって飲み会を断わり、学生やパートが残業をしなかった。
ビデオが普及していたにも関わらず『すぐに観たい!』という衝動にかられるのを抑えられないアニメだったようだ。
5時以降の就業時間延長は割増の時給が支払われることになっているので、いつもはたった一人の残業枠を巡ってアルバイト学生のジャンケンバトルが繰り広げられるのだが、ドラゴンボールの続き観たさに学生バイトもパートのおばちゃんも、みんなが帰りたがってうちのオカンの不戦勝。
「みんなに人気があるみたいね、学生の男の子も女の子もパートのおばちゃんもよ、ドラゴンなんとかちゅうアニメ」
ドラゴンボールをドラゴンとボールで分けた場合、ボールのほうがダンゼン残りやすいので“なんとかボール”になりそうなもんであるが、人生うろ覚えで生きているコケさんに“ドラゴン”のほうを残させたなんて、鳥山明も隅に置けないな。

ドラゴンボールとまではいかなかったが『美少女戦士セーラームーン』も大人にまで人気があった。
しかしドラゴンボールにハマるひとよりもセーラームーンにハマるひとのほうが、よりマニアックを究めるタイプの大人たちだったカンジがする。
そんなワケで私が揶揄を込めて『セーラー戦士』と密かに呼んでいるひとたちは、まるでヒーローの世界の住人かのごとくフワフワしていて、その基準が私の思う『普通』ではなく、私の思う『常識』からは逸脱していまっている戦士たちのことである。

このファイターたちが何よりも常識を必要とする普通の社会で通用するためには、月にかわってお仕置きが必要なのだ。
感情の起伏が激しいという共通点のあるファイターたちはしばしば理性を失い、冷静さを欠いて感情的に仕事を処理してしまい数々の尻拭いを同僚に与える。
セーラー戦士たちにはビジネスの基本的仕組みから教えるのがよいだろう。
金銭を得て仕事をするということは、基本のキを軸に動くことを最低限すべきなのだという認識を持っていただきたい。

以下、セーラームーンの決めセリフをビジネス色を濃くした常識をからませた文例として作成することにしよう。

テキストを作るのに先立ち、このネタがヒー坊のひとつの質問から成ったことを書いておく。
「なぁなぁ…ボクよく知らんのやけどセーラームーンってあるやん?」
「あるねぇ…」
「あれさぁ…月にかわっておしおきよーとか言うみたいやん?」
「言うねぇ…」
「月ってお仕置きするっけ?そうゆうのあったっけ?月でウサギが餅つきするのは聞いたことあるけど、月にお仕置きされるっていうハナシは聞いたことない…」
確かにそうだ。
お地蔵様が閻魔様の代わりに日頃の私たちの悪事を監視しているのは聞くが、ウソツキの舌を抜いてお仕置きをするのは閻魔様で、月にまで制裁を加えられるとは聞いていない。
月の名を出してきて己の独断サンクションを誤魔化すつもりぢゃねぇだろうな。
月にそんな実力行使に出られる覚えもなければ、代理を立てて間接的に暴力を振るわれるのを受け入れる気もない、私は。
…ないが、テキストとして使わせていただくことにした。
なんせ平成の子供たちにも人気みたいだから。

『愛と正義のセーラー服美少女戦士セーラーマーズ
ネコの恋路をじゃまするものは火星にかわって折檻よ』


驚いた…セーラーマーズという美少女戦士は火星に代わって折檻するらしいが、私は火星から折檻されるほど親密な関係を築いてはいないぞ。
地球人代表として月面着陸をしたひとが12名いることになっているわけだから、月からお仕置きされるのは甘んじて受け止めよう。
しかし火星にはそこまでされる覚えがない、地球人として。
覚えはないが、ビジネス的なフレーズでこれをテキストにしておこう。
なんせ平成の子供たちにも人気みたいだからな。

わたくし愛と正義のセーラー服美少女戦士をさせていただいておりますセーラーマーズと申します、よろしくお願い致します。
ネコの恋路をじゃまする事案に関しまして、当方と致しましては火星からの代理として折檻というかたちを取らせていただく運びとなりましたことを、どうぞご了承くださいませ。


ビジネスのメールでは、ちゃんと自分を名乗りましょう。
取引先はアンタだけとちゃうねから。

『愛と正義のセーラー服美少女戦士セーラームーン!
月にかわってお仕置きよっ!』


関係者様 各位

前略、
愛と正義を以って対応させていただいております中で、
この度はお仕置きを考えております。
取り急ぎ、ご連絡まで。

草々

月代理
セーラー服美少女戦士セーラームン所属
月野うさぎ


ビジネスのメールでは、最後に署名を付けましょう。
取引先はアンタだけとちゃうねから。

『愛と正義のセーラー服美少女戦士が
 月にかわって徹底的にお仕置きよ!』


貴殿は、当方の愛と正義による再三のお仕置きにもかかわらず、
本日に至るまでご改心がなされておりません。
ご善処いただけない現状には、誠に困惑するばかりです。
つきましては弊社代表月の代理としまして甚だ遺憾ではありますが、
しかるべき法的手段に訴える所存ですのでお含み置きください。

セーラー服美少女戦士 一同


まずは内容証明郵便の送付となります。
近日中に法廷でお会い致しましょう。
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by yoyo4697ru980gw | 2012-11-04 21:51 | +ミルニング+ | Comments(0)