どうでもよいことを考えはじめたらキリがおへん どうでもえぇのについつい考えてまう どなたサンもその状態が「ミルニング」どすぇ

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二十八円マシ

いつもより28円高いヨーグルトを買った、魔がさして。

プリンとか食べるよりかはカラダの事を気遣ってますよーというポーズで食べてるヨーグルトだから、いつものプライベートブランドプレーンヨーグルト91円で十分なのよ、よかったのよそれで。
バナナと麦チョコを入れて朝ごはんの代わりにするから、いいのよそれで。

それなのに何故か横の『ちょっと違う働きします』という菌が配合されたワンランク上のプレーンヨーグルト(プライベートブランド)119円を手に取り、カゴへ入れてしまった。虫の居所でも悪かったんだと思う。その差、28円。

この28円増にヨーグルトはどれほどの違いをみせつけるものかと思い「どうせ味の違いなんかないんだろうな」と決めつけてレジの順番を待ちながら28円高いほうのヨーグルトを買ってみたら、まぁビックリするほどの味の違いに、卓上カレンダーを破り捨てようかと思ったね。7月がまだ半分以上残ってるからやんなかったけどさ。それくらいやろうかと思う衝動にかられるおいしさ。28円ぽっち、と思えるほどウマいのだ。

28円でそこまで望んでいなかったほど、なめらかなヨーグルト。
28円で出しちゃいかんほどのコク、28円で実現してはいけない口当たり。
28円で抑え切れたことが奇跡のような酸味、28円で足せたことが逆に怪しいほのかな甘み。
なんなんだ?28円でこんなに変えられるのか?
私は28円という金額を甘く見ていた。
世間はこんな事になっていたのか?いつからだ?

種類豊富に商品陳列棚一面にキレイに並んでいる、そう言えばどの商品も。
牛乳も肉も魚も豆腐も納豆も、上から下・右から左ズズズイーと、ちょっとずつ値段がランクアップして並べられているわけだ。
これまでは迷うことなく一番安いのに手を出してきてたけど、この28円差の驚異を知ってしまったからには今後、スーパーの商品陳列棚の前で男気溢れる商品のチョイスが出来ないような気がしてならない。あれにしようかしらこれにしようかしらそれにしようかしらヤダこれもいいじゃないの、と時間がたっぷりある主婦なみに女っぽく優柔不断に迷いそうだ。私はこれまで最低価格商品を男よりも男らしくスパスパ購入してきたからこそ、ツッチー曰く「ブログする人いるけど何の得があってするんやろな~金にもならんし~」との何の得にも金にもならないブログを更新する時間が作れているというのに。

既に私はこれまで通りのヨーグルト91円を捨ててしまった。もう戻れない。金銭面のことからまずどうにかしよう。28円ぽっちのことなら、私は昼間の電気代を節約する。クーラーをかけない蒸風呂のような室内で、せっせとくだらない文章をタイプしてブログを更新するまでよ。時間の損失はどうしよう。よし、ネタはスーパーで頭の中で考えて帰ってからタイピングの速さでカバー。いつもより余計に指をせっせと動かしてくだらない文章をタイプしブログを更新しよう。ヨーグルトの種類に関係なく、どのみち更新することになりそうだな。何をそこまで、ってカンジ。

でもネ『そこまでして』に匹敵するのヨ奥さん、侮れないワ。
28円高くてこのおいしさってことは、どーヨどうなのヨ、奥さん。
奥さんの知らない世界が広がってるワ、きっと。

50円高いちくわ、穴までウマい。
100円高い卵、割った時に殻が入ってしまった場合食べてしまっても問題ございません。
200円高いめんつゆ、麦茶と間違ってもおいしく飲んでいただけます。





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by yoyo4697ru980gw | 2014-07-14 16:53 | +ミルニング+ | Comments(0)

あなたの前向きはいかほどですか

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前向きにまいりましょう
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これほどでも足りぬほどの前向きさで
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by yoyo4697ru980gw | 2014-06-30 17:52 | +ミルニング+ | Comments(0)

【お知らせ2】自宅から愛を込めて。

先日のいきなりの記事削除。
十分な説明の時間も与えられないまま、病院側から退院前に立ち会いのもとの削除を半ば強制的に求められたので、その理由などなど、詳しく書く時間が持てませんでした。
ニッポンの表現の自由とはこんなに制限されたものなのか、と思いましたし、誰ひとり患者たちがドーノコーノゆぅてないのに、病院側だけがドーノコーノゆぅている事実にポカンとなりました。

例えば、こんな患者さんがいます。
嫁いだ娘さんが離れて暮らしていて、父親の病状を気にしておられる。
ここのブログでそのお父さんの記事が、画像があって、それをご覧になって、元気な姿が見られて安心している、ということ。
そんな活用法として、表現の自由があるのではないのか。

こんなこんな小さな小さな個人のブログが、何かの検索の折にヒットするなんて本当に可能性としては低い低い低いものなのよ、私は有名人でも何でもない単なる一般人なわけでね。名前も知られていない、誰も探さない、しんみりとしたこのブログは、探そうとしたって見つからないのに。
誰かがURLを漏らして、それで見られるという状況。
このURLを私からでなく、誰からもらったら、見られるというのでしょうか。
私しか、知らないのに。

とにかくこの入院ではダメダメダメダメ、と言われることが多かった。
食事制限があるわけでないのに『アイスを食べちゃダメ』とまで言われた時には、それはおかしい、お腹を壊した子供ぢゃあるまいし、とアイスを食べた全員が言ってたくらい。そのくらい病院は『ダメ』と言う。そして、そやって『ダメ』と否定される事が、患者からいかに前向きな気持ちを殺いでいくかということを味わった。頑張っていこうという気持ちを持たない患者に闘病しろとは酷なハナシではないか。後ろ向きな気持ちで闘病することのないよう、患者に希望を持たせて欲しい。楽しみを持たせて欲しい。

そんな中で、いつも前向きで明るく、そして笑っていられた、患者の皆さん。
あなたがたと同じ時間を共有出来たことを、ありがたく、そして嬉しい気持ちで振り返っています。
一緒に過ごした時間の記録が、何もなくなってしまったけれども、この気持ちはなにものにも変え難い、大切な大切な私の、記憶です。

これから先も、とうぶんは闘病するわけですが、くじけそうになった時、ちょっと辛くなった時、入院中のあんなことやこんなことを思い出して踏ん張れる、そんな力をいただきました。

皆さん、ココ見てますか。

皆さんのことが、大好きです。

お大事に。

またいつか会えるかなぁ~と、思いながら。

BYまぅ
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by yoyo4697ru980gw | 2014-05-30 17:02 | +ミルニング+ | Comments(0)

【お知らせ】記事削除について

これまで、ココに記してきた『入院のススメ』シリーズは、個人情報の流失になるということで、記事削除を行うことといたしました。
画像表示や記事やこのブログを応援してくださった皆さん、記事は削除されますが、同じ闘病する患者として、皆さんの回復と未来を応援しております。頑張ってネ!!BYまぅ

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by yoyo4697ru980gw | 2014-05-29 15:48 | +ミルニング+ | Comments(0)

まぁるい

私は2日からすでに養生の床についている。
初詣のみくじが『養生すれば治る』と言ったからではない。
4日に、仕事が入っているからサ。
実は過去5回の就労のうち2回、ブッ倒れている。

家事が出来ないほどの爆睡をかまし起き上がることが出来なくて、そんなことならば辞めろとお叱りを受けている次第でありまして、だから4日の仕事に向けて体調を万全にしておこうと、出歩かずじーっとする。
おかげで日中に活動量がないもんだから眠れなくて夜更し。
まったく意味がないんじゃないかなァ~と思いながらの養生でございます。

2日の昼間に何度か故郷に電話をするも出てくれず、LINEでメッセージを投げかけてみても同居の弟からの返事もない。
叔母のイネさんちの電話も数回、ひつこく鳴らしてみたが留守番電話にすら切り替わらない。
「みんなドコ行ってんだよ~~~~っ!今日も正月気分か~~~っ?!世間はまだ正月なんだなぁ?おまえもかぁ~~~おまえもなんだなぁ~~~???」
とひとりプンプン丸して、後回しにしていた年賀状を書いたり、SDカードの整理をしながらついつい遊んでおりますと、実父タカボからリターンコール、キたーーーー(゚∀゚)!!

「どした~?」
「どした、って。新年のご挨拶だよ」
「そうか。で?調子はどうよ?」
「ダメだね。高い薬飲んでても痛い、お手上げだね。我慢するのみ」
耐えるが美徳、ザ・日本人。

そんな私の精神論に、タカボのアドバイスは意外なものだった。
私の病気はよくわかっていない病気なんだから、twitterでつぶやいとけ、って。
ヤフー知恵袋でこんな症状に困っていると書いて、経験者の方からのアドバイスが欲しい、と助けを求めろ、て。
そしたらいつか、経験者が知恵をくれるかもしんないから、て。

ネットってのは世界中の人とつながってるんだろ?世界中にはいろんな経験をしているひとがそれはもうたくさんいるんだから、そうゆう人の中には同じ経験を先にしている人がいるはず。その人が何か教えてくれるかもしれないだろ?同じ経験をした人にしかわからない事って、あるからな。

びっくりしちゃった。
メールのメの字も無視してるアナログなひとタカボが、twitterや知恵袋の存在を知っていたこと自体もそうだけど、それを活用しろってすすめてくるとは思わなかったから。あのタカボがねぇ…ひとに頼ることの大きさを説いてくるとは思わなんだ。

65歳のタカボはもぅ死んでもええかと思えるトシだけど、オマエはまだ死ぬには若いし母親としてもうちょっと生きているほうがイイ、って。単に生きるんではなくて、誰に対しても安心感を与えるような生き方をしていけ、って。油断するとつい自分中心の考え方をしてしまうから、それに人間性を加えて冷静に考える一呼吸を置けるように、て。

「ちょっと~~~オトン、丸くなったなぁ?」
「そうじゃろう?」
我が故郷でタカボの名を出せば『不良』の筆頭株主、一流の不良を育てることで有名な工業高校に進学致しまして、果てはエリート中のエリート。
道を歩けばチンピラが頭を下げるような顔をしてございますそれがタカボという男。
そんな父親の子供は決してグレません。怖いから。
威嚇が趣味で威迫がおともだち、威圧があとから付いてくるそんなタカボが、安心感を与えるように生きてゆこうぞ、と対等に言う。

「そうよ、それが本当よね…て思うわ。トシくってまぁるくなって、さ」
世界平和が最終目的かのように、誰に対しても優しくなってゆくもんよね。
それまでの生き方で、やせ我慢や強がりを繰り返して、我慢も辛抱もしてね。
若い時の苦労と挫折と憤りと後悔と、若気の至り、空回り。
責任感を不安で飲み込まれたり、衝突があってわだかまりを抱え、問題にぶつかって乗り越えてね。
そうゆう経験を経た人間は、そうやって人間的にまぁるくなるのが本当なのよ。

それでも人間とは未熟なもので、やせ我慢や強がりが頑固な自分を作り、我慢や辛抱が猜疑心を生む。卑屈な自分になっていることを、ことさら誰かのせいにしたがるの。ラクなほうに身を任せたくなってしまうこの自分よ。

成熟した人間には安心感が溢れてる。
だから黙っていてもひとが寄ってくるし、困った時には誰彼ともなく力になってくれるひとが次から次へと集まってくる。
安心感とはそうゆうことなんだろうと思う。
その安心感をつけろということなんだろうと思う。
要するに、未熟なままでいずに今から成熟に向かえ、という意味である。

いま、出来るだろうか。
とても未熟さを出してしまいそうな状況の私である。
これは状況のせいにする、ていう未熟さかなァ。

人間性プラスの一呼吸、冷静に・冷静に。
このワタシという人間は、まぁるく、いれる素質があるだろうか。
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by yoyo4697ru980gw | 2014-01-03 23:46 | +ミルニング+ | Comments(0)

円周率記憶劇場【第二話】激おこプンプン丸しかり

20XX年 ギャル語は回り回って50%ほどが古語になっていた。
飛んで火に入る夏の夜、道祖神の招きにあって心をくるはせたギャル達は、かつてはガイドマップに「ナンパ通り」と載っていたが、進む再開発でナンパのメッカではなくなって久しい千葉駅周辺をうろつきながら、さもありなむな会話をするのであった。

「あのメンズ、良いくな~い?」
「ムクムクサンキュー、くね?」
「みな~!恋おこややにくし丸、くね?」
「なめし~!」
「具してしかり~!」

草食男子と思いきやロールキャベツなメンズだった時代から、メンズはまたも退化した。
自分からナンパするというような肉食行動を取るものはもはやおらず「なんか違うってカンジぃ?」という理由で一方的にフラれた男たちは、ただただ、夜が明けたら明けたでシクシクと泣き暮らし、夜は蛍のもえこそわたれと、いたって女々しいのでありんした。

そんな男子群を物色しては、その本質を見抜くギャル達。
パっと見ではイケメンに対し『ムクムクサンキューくね?』(イケテルスマイルじゃない?)という肯定的な意見が出るものの、すぐに群れているただの女々しいメンズだということに気が付いてしまう。
あなかしこ~ギャル候。
観察眼のレベルがお高けぇギャル達は『みな~!恋おこややにくし丸、くね?』その不快感を口にする。

『恋おこややにくし丸』とは『激おこプンプン丸』や『ガチしょんぼり沈殿丸』などの活用形程度ギャル語に属し、『恋愛おハナシにならない度』を示している。
『ややにくし』は、しだいに気に喰わなくなる様子で、程度としては六段階活用のうちの真ん中にあたる。
ちなみにもう一段階おハナシにならないと『ムカ着火むべなし』と変化し、最上級は『恋おこ好きがまし不覚なり風流ドリーム』となるが、まして易からず実用的でないために普及はしていない。
ちなみに、ギャルが2人でいる場合、ギャル達は互いを「そなた」と呼び合う。
3人以上10人以下に同時に呼びかける場合は「みな~」11人以上のギャルに招集をかける場合などは「皆のもの~」目視で100人以上いる場合は「皆の衆~」となる。
おおかた3万人である場合は特別に「うぢゃらでおじゃる」と言う。
したがってTGC(東京ガールズコレクション)は、うじゃらでおじゃる。

ギャル達は相槌の殆どを古語から取り入れており、彼女たちの秀逸な単語選びのセンスは古今にその変化は無いのである。
ギャル達の独自文化は更新スピードが速く、年寄りが使われ方を覚え、その意味を理解する頃には、とっくにそのギャル語は廃れていることであろう。
しかしこの頃のギャル語は古語なもんで、なかなかさしもあらぬなどもありかし。
平安時代のお年寄りであっても理解が容易であるので、世代間ギャップなどという問題は存在しない。
『なめし~!』や『具してしかり~!』などは、古い人間ほどその意味が正確にわかることだろう。
平安時代のお年寄りが現代に生きていないこと以外には、何の問題もない。

上記ギャル達の会話を口語訳すると以下のようになる。

「あの男の子たち良くない?」
「笑顔が素敵じゃない?」
「みんな!しっかりするのよ!見てみなさいよ、そのうち気にくわないことしでかすんだから、ほら」
「無礼ね~!」
「誰か連れてけ~!」

メンズたちは一体なにをしでかしたというのだろうか。
ショーウィンドーに写る自分の姿の、前髪の流れ具合や、後頭部の毛束感をクシュと気にしているメンズたちよ。
そんな細かいトコロなど、誰も注目すらしていない。
見られているのはキミたちの愚行のほうだということを、如何に況むや肝に銘ずと然るべし。

では、古語ギャル語の会話をリピートアフターミー、くね?
これで円周率の小数点以下36桁目から60桁目までが書ける、的な。

 4197  1
良いくな~い?
 6 9 3 9 9
ムクムクサンキューくね?
3 7
みな~!
5105 8 2 0 9
恋おこややにくし丸くね?
7 4
なめし~!
94 4
具してしかり~!


小数点以下35桁までが書ける【第一話】はゑずトリア研究所の円周率記憶劇場イーパ!『幻の滴「クナ」を求めて』でご記憶くださいませ。
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by yoyo4697ru980gw | 2013-12-31 00:29 | +ミルニング+ | Comments(0)

週イチ介護

「まぅが介護職なんて想像できひんわァ…出来るん?」
「…出来るかなァ?私も自分で介護職なんて無理ちゃうか~て思ってる」
「え?!採用されたんやろ?」
「うん、された。なぜかされた。週1やのに。コネってスゴいよね。フツーの求人募集で面接に行った知り合いのひとは落ちたんやで、ヘルパーの資格を持ってるのに。私が縁故採用されたばっかりに…すまんな」

紹介してくれたミッチーの顔を潰さないためにも、誰よりも努力して週1とは思えないスピードで仕事を覚える所存です。
病人だけど、資格もないけど、ましてや経験すらないけど、ボンブー仲間のよしみで『まぅちゃんなら』ちゅうボンブー信用で採用してもらった38さい新人でっす!がん、ばり、まっす!
私の身体の具合を知っているミッチーが自身の勤める介護施設の偉いさんに、週1だけれども一生懸命に働くであろう人間がいると話をしてくれたのである。
私が処方されている痛み止めはとても高く、薬代は2週間で3000円近くする。その薬代をせめて稼ぐために、働く必要があるのだ。

紹介された介護施設でもうひとりの新人サンと一緒に、施設説明と入社に際しての書類一式を受け取る。同日に入社をする同僚というわけなんだけど、この新人サンはヘルパーの資格を持つ週5スタッフ。肩身が狭い…私…働く気あんのかって…きっと思われてる…。
書類説明でもちょいちょい「あ、この書類は千徒さんは関係ないです」とか「あ、千徒さんの場合は要りません」と偉いサンが挟む。
なんせ週1やから、保険関係とか源泉徴収とか扶養なんちゃらとか、そゆの、ナイの。

帰り際、週5新人と自転車置き場まで一緒になり「週1なんですか?」とやっぱり突っ込まれた。「ええ。そうは見えていないでしょうがこの体は病気に蝕まれておりまして治療中なんです。週1の仕事に耐えるかどうかをみないことには就業時間を増やすわけにもいかないもので」と若干の脚色を加えて正直に打ち明ける。
治療はまだ始まってないけどいずれ始まると仮定して語りました。
今後、試用期間6ヶ月をともに同期として働くわけだしね。半年の間には治療も始まると思うし…そう願いたいが。

面接の時から髪も黒く戻したし、爪も切り当然ネイルなしで薄化粧。
完璧なる週イチ介護のオンナ。私なんでもカタチから入るタイプ。
私の思う『介護職』のイメージで整えました。ピアスも外して、靴下は白。
ところがである。
偉いサンにこう言われた。
「制服の下に私服を着ていただくのは構いませんが、色だけ規定があります。白か、それに近い白っぽいもの、なるべく色の薄いものを着用するように、それだけはご了承ください。これは利用者様がどこか怪我をされて血が出ている、といった場合に色の濃い服ですと血がついていることが瞬時にわからないので、スタッフの制服は白いものにしています」
へぇ~~~~っと思ってね。
白い制服にそんな理由があったなんて。
清潔感から白と単純に考えてた。
もちろんそれもあるんだろうけど、実用的な理由があったなんて。

そしてである。
私は一応、わかっちゃいるけども、自分のカットソーの確認をしてみた。
見事に、黒・紺・茶・カラシ・緑・ワイン・赤・グレー。
一枚も白はおろか、淡い色がない。譲ってアイボリーもなかった。
いかに私が『さわやか』なイメージで売れないか、ということである。
厳密には一枚だけ白のカットソーはあった。
それは冠婚葬祭用の準礼装テイストのレイシーカットソー。
いくらなんでも、やがな。
持ってはいるけど、着た覚えがない。
おそらくだが、準礼装の機会に着てはみてるがそんなイメージじゃないので結局シャツとか着てんだと思う。

さっそく入社が12月だったので、白いカットソーを買った。
ついでに夏物が処分値の500円だったので2枚ほど買ってみた、もちろん『淡い色』2枚である。
さわやかな週イチ介護のオンナで売るからな、これからは。

治療費に困っている私に夕方、ゆきちが電話をくれて、春の3ヶ月間週末に中学校で制服を売るバイトせぇへんか~と言う。
さわやかに制服の採寸もしちゃおうかな。
夜な夜なコラムも書いちゃうしね、さわやかに。
これからは「さわやか」に何でもこなすのサ。



「アナタ、私の孫に似ているなぁとおもて、こないだもずっと見てたの」
「あ~~~そうなんですか?すいません気付かなくって。お孫さん、おいくつですか?」
「もうオトナになって結婚したの。結婚してからは全然来なくなっちゃって、会ってないの。結婚したら会いに来てくれないのね。アナタ、本当に良く似てる」
週イチで介護職に就いてから、二度目の出勤日。
まだ利用者さんみんなの顔を覚えていない新人の私は、ひとりのおばあさんに、孫に似ていると声を掛けられた。
たった一度の私の顔を覚えてくだすった理由は、孫に似ているからである。
座っているおばあさんの前に肘をついて屈むと、おばあさんは私が左胸に付けている名札を手に取った。
「まぁ、アナタまぅちゃんって言うの?私の孫はまぅみで、まぅちゃん・まぅちゃん、ゆぅて可愛がったのよ。ご飯をしてあげてね、プールも。今はもう行けないけど、公園、遊園地、水族館、いろんな遊びに連れて行ったのよ。アナタはまぅちゃんなのね、一緒なのね、次はいつ会えるの?」
「私、週に1回なの。次の月曜日に会いましょう、月曜日がまぅちゃんの日やね」
「あぁ、そう。そうなの。まぅちゃん、いい名前。私の孫に本当に良く似てるわ」

同じように私も、祖母に『マゥしゃんマゥしゃん』ゆぅて可愛がってもーたなァ。会いに行こうかなぁ~…宮崎遠いなぁ~…。

月曜日の孫に似た「まぅちゃん」を待ってくれるあのおばあちゃんがいる。幼い時から「マゥしゃん」と私を大事にしてくれた祖母が遠い宮崎で目が見えなくなって不便な生活を送っている。
私の返せるものとは何だろう。せめて欠勤をしないことくらいだろうか。
痛みくらいなんのそのだな、こんなことこれから先いくらでもあることだと思うし、慣れる意味でも痛みくらいで欠勤しないよう心掛けようっと。
よしっ!明日はオキノームの量を増やすぞっ!便秘になったら下剤で出すぞっ!吐き気があっても飯喰ってやるっ!!
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by yoyo4697ru980gw | 2013-12-22 18:39 | +ミルニング+ | Comments(0)

非秘密主義者の手間好事家

「わ~~~~まぅ思いっきり顔出しちゃってるやーん」
私のブログをiPodで閲覧しているらしいひー坊が私の横で感想を述べた。
「あぁ…歌劇のね。…まァ…そうやなぁ…歌劇に感化されて出しちゃった、てコトにするわ。最近おなじような感想をシオさんからも聞いたな、ブログに顔出してたやん、て。そんなに顔隠してることもないねんけどなぁ、チラ見せのセンを狙ってるダケで」
「今の今までいろいろやって顔隠してきてたのに、丸出しにしちゃってるやんか~悪用されんで~」
「悪用されるほどの知名度がないわ、残念やけど。まァそれを見たトコロで私ってカンジがするか?私はあんましないケド」
「すごくまぅってカンジがしてるで」
「そう?」
ひー坊にとって私のイメージってこうなんだな。
この、なんと表現すべきかわからないロングジャケット…ソフトゴシックパンクなロングジャケットコートだから『シェゲナベイベー』略して『シェゲナ』とでも言おうか。このシェゲナを着ているのって、年に数回あるかなしかくらいの頻度。コート着るほどじゃないけどマフラーは要る、短い丈のジャケットじゃ薄ら寒くてショーパン穿く、みたいな限定的な季節の時に着るシェゲナ。ソフトにパンク調だから場所も選ぶしサ。それなのに私ってカンジがするなんて、私ってもしやハード系なのかな。
そう言えば前の職場のひとにも『ドラゴン・タトゥーの女』に似てると言われて、知らなかったので画像検索をしたら、自分の想像を超えるほどのハードなモヒカン女優がヒットした。自分自身でそんなイメージはこれっぽちもないが、死神系統であるらしい。

タネ明かしをすれば、最後の最後で面倒になって『もぉこれぐらいええやろ』てコトだったのだ。
画像は、読んでいるひとにしてみたら最初の一枚かもしれないが、この画像は結構な後半でやった処理である。
歌劇の文では33枚の写真と1枚のスニッピング画像を使用しているが、これらほぼ全ての写真は画像処理をしたうえでアップしている。
ブログに使用している画像は今回に限らず、カメラで撮影したそのままを載せているわけではなく、影が出来ていれば修正し色合いを微調節したりモザイクかけたりトリミングしたりサイズ変更をしたり、数々の編集をしてようやくアップしている。
しかも1つの写真が1枚ってことはまァ稀で、真正面・斜め・立て・マクロといった具合で別アングルなんかを予備で撮っておく。
その中から使えるモノを取捨選択するところから始まっていて、じつはおっそろしく時間のかかることをしているのである。画像をアップしなくてもすむ文章表現力があれば問題ないのだけど、それがないからこんなしちめんどくせぇことをしてるわけなのねー。

私はブログに顔を出さないという秘密主義者でもなんでもないのだけど、文字で顔が隠れるようにはしている、これはわざとね。
モザイクかけるほうが手っ取り早いし、もっと処理を簡単にしてペイントで塗りつぶせばそれでええわけ。顔にスタンプ乗すだけでも、それはそれで「顔を隠す」ていう目的は果たすわけでね。
でも、よそのブログとかで、ペイントで塗りつぶしていたりスタンプを乗せていたりするのを見ると、文章の匿名性がすんごく強調されてしまうのを感じるんだよね。私だけかもしんないんだけど。
それってね、どうゆう負の効果があるかと言うと、せっかく文章が面白くて内容も充実しているのに、それをわかりやすく伝えるはずの補足の写真で、文章を書いたひと本人の顔がペイントで塗りつぶされていると、途端に「自分の書いた文章に責任を持ちたくない」という印象を与えてしまう。
これをどうにか出来ないモンかなぁ~と思ってチャレンジした結果が、画像の説明テキストを写真の中に入れてその隙間から顔や全体的な雰囲気をチラ見せする、という方法だったというわけ。
ペイントで塗りつぶしたりモザイクかけるよりも、私はこっちのほうが文章を邪魔しないし、写真はあくまでも補足っていうポジションを守れると思うんだけど、コレって私感なのかな?
どうすか?
律儀にこの文章を読んでいるソコのアナタ。
アナタにはこの方法はどう感じられてますか?

私はプロとしてこのブログを書いているわけでないので、記名原稿にする必要もないし、責任を取んなきゃなんないような立場にいる人間でもないんだけど、自分が読んでいてガッカリする文章のポイントってのがいくつかあって、それがたとえ素人の文章であってもガッカリするもんはガッカリしちゃうもん。プロの文章であればなおさらガッカリするし。
だからココにわざわざアクセスしてもらい、こうやってわざわざ読んでもらうからには、せめて自分がガッカリするようなポイントでガッカリさせるような文章は書くまいぞ、とそれだけは心に留めて、書く努力はしています。そうは、思えないことでしょうがね☆
私の二大『ガッカリするポイント』が、補足であるハズの写真でガッカリすることと「某○○」の文章。
その二大ガッカリポイントの轍を私が踏んでなきゃイイんだけど。
踏んではいないつもりでおりますが、もし踏んでいる場合はどうぞご叱責くださいまし。
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by yoyo4697ru980gw | 2013-11-21 23:26 | +ミルニング+ | Comments(0)

和して同ぜず

病気が発覚して、真っ先に退いたのがボランティア活動。
仕事を辞めるよりも先に、ボランティアの代表に相談してお稽古から退いた。

ボランティアには様々なジャンルがあるだろうけれど、私のやっているボランティアは『皆さんに楽しんでもらうための余興』という意味合いのオファーをいただいて参加する趣旨のものである。
そこへたった2時間の踊りも満足に出来ずに息があがってしまうような踊り子が来て見ているひとが楽しめるか、と考えた時、私だったら楽しめないというハッキリとした答えが出た。
気分でも悪いのかしら…と心配させてしまうような、見ていて痛々しいボランティアではせっかくの余興は台無しである。
自己満足のボランティアほど、迷惑の押し売りはないと私は思う。
サークルの仲間にしたってそう。本番に参加しない私の身体を心配しながらお稽古をしているだなんて、私は踊りが好きだからそれで楽しいだろうけど、サークルの本来の目的からはズレている。

問題なく元気だった私が復帰がいつかわからない状況で休めば何の重病かと疑問に思うだろうし、話題にも当然のぼるだろうから、私の病状を代表の口から伝えるというカタチで皆に告げてもかまわないので判断はおまかせします、と言うと、代表は『病気を治す間はお休み』とだけ伝えておく、とおっしゃった。私よりも皆とは長い付き合いの代表がそう言うのだから、右に倣え。

力仕事のボランティアや災害復興のボランティアなど、若い世代のその若いパワーを活用してボランティアをしている若者も当然いるだろうが、私がやっている余興タイプのボランティア界に10代や20代の若者は私の知る限りでは皆無。
なぜならば、聴いたこともないような民舞を扇を持って踊ったりするから。
『平日2日はゲートボールに勤しんで休日の早朝は太極拳』てなライフスタイルでなければ、伸ばした指先に広げた舞扇をスーっと持って来てピっと止めることに、シビれることなどとても出来ないことだろうと思う。
シビれなくとも若い体力とキレでよしんば扇を操れたとしても、それを愉しいと思えるかどうかは甚だ疑問である。
30代の私でもじつは扇を使って舞いながらも、その愉しさの半分も理解してはいない。
この理解度というのは明らかに年齢が関係している。ジジババが演歌や時代劇を好むのと似ているの。まだまだ個性や奇抜やを好むような世代が、愉しみを理解出来るような嗜好ではないのね。
人生経験を豊富に積んだ年齢のひとが、様々なひととの関わりとそれに付随する悲喜こもごもを越えて超えて最終的に行き着く嗜好。そこには『定番』にも似た安心感があるものである。それでいてその舞いにはそのひとが歩んだ人生のストーリーが含まれているようなね。

私は子供の頃に祖母が三味線を弾くのを見て、その曲が何なのかも歌なのか語りなのかもひとつもわからなかったが、ただ祖母のバチが三味線を弾く時にはなんて凛としていることかと思っていた。
小学生だからその姿が『凛としている』とわかったわけではないが、小さいながらも三味線を弾いている祖母にはなんとなく近寄るのが憚られた。その理由が祖母が『凛としている』からに他ならなかったことに、高校生くらいで気が付いた。
凛としている姿がカッコイイのは中年以降の年齢の特権ではなかろうか。
若さでは勝てないが、我々には『凜』がある。小娘がいくら表面的に『凜』と見せても、40代の『凜』には勝てようはずがない。胸を痛めた回数が多いほど、凛とした姿にハクが付くってもんだからね、勝てまい小娘よ、おぬしの涙はまだまだ清いわぬはははは。マスカラが流れ落ちるのも気にせず黒い涙を流さんかいだはははは。

…と、小娘を罵ってしまったが、老人ホーム慰問が中心であるボランティア活動の世界では、37歳である私は『元気の塊』のような若さである。
ボランティアを始めた当初、慰問先のお年寄りから「いろんなボランティア団体が来ていろんなことをしてくれるけど、全部の中でアンタが飛び抜けて若い!一番、若いわ~!」と言われた時には、そんなにボランティア界に若者がいないものかと思ったが、本当にいなかった。
どこへ行っても私が若く、我が親よりも目上の方々と活動しているのが現状である。
『一番若い』が、実際はホルモンバランスも崩れだし大病を患いはじめるアラフォーの域なのだ。昭和50年産まれ、37歳。
見た目には出ていませんでしょうが、なかなかガタ、キてますよー。21歳から腰痛患ぅてますねん、毎年のように足の指は骨折しよぅし、ええトコゆぅたら性格と顔くらい。あとはドコもカシコも難アリですねや。

夏の病み始めに少々体重が減って見た目が病人らしかったんだけども、それからみるみる元気になっていったのを期に、ひとつだけのつもりで、ボランティアを個人的にやってみた。
知人の働いている介護施設で初めて夏祭りをやってみるということで『盆踊りをして盛り上げて』という気軽なオファーだった。
一番カンタンで知名度の高い炭坑節と東京音頭を踊って帰る予定が、その場が盛り上がりすぎてしまい、施設のご老人がカラオケで歌う河内音頭に合わせて踊ったり、職員さんが輪の中に混ざって踊ったり、盆踊り曲のリクエストが出たりと、騒々しいほどになって予定時間を大幅に過ぎる。
それでもご老人たちの盛り上がりはやまず、最後のほうでは各テーブルの合間をぬって踊り、アッチにコッチにとテーブルに座ったご老人と手を合わせ肩を叩き目を合わせ腕を振り、さぁ次は何かといった具合である。

そうやって盛り上がる中、おひとりの老媼が私に向かっておいでおいでと手招きをしているのが目についた。
施設に来られているご老人たちには、もちろん健康である方はいない。
車椅子の方、半身麻痺の方、視力・聴力・握力・脚力、様々な箇所に程度の差はあれど障害を持っておいでである。
手招きの老媼は、声がなかなか出ないようであった。クチをパクパクとさせながら私に向かってしきりに手招きをするので、私は踊りながら近づいて行き、老媼のクチもとに耳を添えた。すると老媼の微かな声は、私の耳にこう囁いたのである。

「たのしい、たのしい」

私はその瞬間、自分がいかに自分本位に物事を考えていたことかと思い知った。
「たのしい」は、私のものでもなく誰かのものでもなく、共有するものであった。
私は自分が「してやる側の人間」だという傲り高ぶった考え方をしていたのだ。
だから私が元気でなければ意味がなかったし、ちゃんと出来なきゃダメだった。
一緒にたのしむ気があるかどうかなだけでよかったんだな、ボランティアって。
それに技術があとから付いてくればそれでいいんだと思う。
やってゆく中で順を追っていろんなことがわかり、学び、実践して、経験にし知識にし技術にしていけばいいんだと思う。
病気だったら病気のままで出来ることが何かをしてみたらよかったんやな。
「たのしい」を共有できる方法でやればよかったことを、たのしめないと決めつけて。

今、私はボランティアのお稽古に行っている。
しんどい時には正直にしんどいと言い、2時間前まで行くつもりだったけど土壇場になって「鼻血が出ているからどうも行けそうにない」と言ったりもする。
「アンタそんなに続けて踊って大丈夫かいな~」と心配されながら「今日は調子ええから大丈夫~」と大丈夫な時にはここぞとばかりに踊っている。
誰も出るなんて言ってなかった今日のボランティア発表会に「出ようや~ほんで新規メンバー募集中って宣伝しようや~」と言い出したのは私である。
「まぅちゃんが出たいってゆぅなら、ほな出ようか~」と意を決してたった2回しか出来ないお稽古でも出ることに賛成してくれたハムさんとモリッチ。
ボランティア界で私は『若モン』なんであるが、このボランティアの世界で学べる奥深い人間の在りようを、私は私よりも若い世代に是非とも感じ取ってもらいたいと思う。

ボランティアの世界は一筋縄ではいかない。直面している問題点のほうが多い。
人間関係に於いても通常の社会より何倍も複雑で、何倍もややこしい。
このたった1年の間ですら、私は何度もやめてしまおうと思ったし、溜息を吐きながら動いたことも数え切れないくらいある。
それでも、これだけの数々の苦労を束にしても、たった一回の出会いやたった一度の感動がそれらをチャラにした。
このつまづきくらい何やねんまだまだやれる、と思わせてくれた。
このような経験があるとなしとでは、何かが違うような気が私はする。
それが何かはわからんが、若い世代が持っていて損にはならない、ということだけは言える。

若いうちの苦労は買ってでもしろと言うけれども、買うくらいなら、ウチのボランティアで活動することをオススメする。
なんたってボランティアだから年会費がないうえに、漏れなく様々な種類の苦労が付いてきますのでね、一石二鳥です。
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by yoyo4697ru980gw | 2013-10-27 10:16 | +ミルニング+ | Comments(0)

捨てるために買うゴミ袋 お荷物になるエコバッグ

私は最近とてもヒマなのでちょっくらそのヘンを無駄に歩いたりするのだが、まァすごいねぇ、スマホの普及率。それに比例する首カックン率の高さね。まァそこ100mを歩く間に、何人の『スマホ画面を見ているひと』を避けるとお思いか。10歩に1人は避けている有様だけど、全員が全員とも私がアナタ様を避けていることに気付いてもいないの。スマホの画面を見ているひとって首をカックンと下げて自分の足先の30㎝くらいの範囲しか見てないんだね。

そのヘンを歩いている時に私はおおかた手ブラで、ジーンズのポケットに800円以下のチャリ銭を入れている。日によって小銭の持ち合わせが違うので金額はまちまちだけど枚数はいつも3~4枚。
散歩先で農家の畑で100円野菜が売られていたり、途中のスーパーの軒下ワゴンでバナナが88円で売られていた時に購入するためのチャリ銭であり、これはどんなにバカバカ農家やスーパーが出て来ても、買い物の額が800円を超えることはない。
だって800円以上買ったら重くて散歩をやめる羽目になるからね。
散歩だけして何も買うことなく帰ってくることも勿論あって、そんな時でも3~4枚のチャリ銭は何の枷にもならない。

問題は、エコバッグのほうである。
このエコバッグというヤツは、結局なにも買わなかった時の散歩では最初から最後までただのお荷物なんである。
私のエコバッグは背負える。
エコバッグ的には背負える形状で作られてはいないだろうし、私以外のひとで同じタイプのエコバッグを背負っているひとにお目にかかったことはないが、私は背負っている。ソコがスーパーの袋とは違うトコロで、スーパーの袋とほぼ同形状ではあるが、取っ手の部分が長く、腕を通してまるでリュックのように背負えるとても便利なエコバッグなのだ。

この私のエコバッグのことを家族が「モーモー」と呼ぶ。
「エコバッグ持ったか?」という意味で「モーモー持った?」と言い、「まぅのエコバッグ貸して」という意味で「まぅのモーモーどこ?」と言う。こないだは実家のオカンまで「まぅちゃん、モーモーは?」言ったので、さすがに今更だが訂正しておきたい。
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みんなが乳牛模様だと思っている、私のモーモーはパンダである。
ウチに乳牛模様の毛布があって、それをずっと「モー毛布」と呼んでいるから、これも見た目でモーモーとなったかと思うが、実はパンダである。私だけが知っている事実だと思うので、ここでちゃんと言っておきたい。
パンダです。
が、私は今まで通りモーモーと呼ぶ。

ペペペと折りたたんでクルクルとやってパチとゴムで留めるとコンパクトになるようになっているモーモーは、そりゃ広げているよりはコンパクトにはなるけど、ジーンズのポケットには入らない。
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だから何も入っていないエコバッグを背負って出掛けるのだが、そもそもリュックでも何でもないので肩に沿わず、落ちてくる。
荷物が入って重みのある状態では、荷物の重みで後ろに重心があるためガバガバの取っ手は重力もええカンジに加わって肩にフィットしているが、行きは完全にカラのスーパーの袋を背負っているダケなので、なんか歩きにくいなぁと思うと背負ってるエコバッグの取っ手が落ちて肘の曲がりを阻止していたりする。音も負荷もなく落ちてくるのが厄介の種で、なかなか落ちてきていることに気がつかない。
背中に何か霊的なイヤな違和感を感じると思って立ち止まると、背負ったエコバッグの両方の取っ手が手首まで落ち切って、歩いて自然に振っている両腕が加圧トレーニングを受けていたりするのだ。

エコバッグがかさばる。

ゴミ袋を買う。

私の中で今このふたつのコトが『腑に落ちない行為』として首位争いをしている。
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by yoyo4697ru980gw | 2013-10-21 22:19 | +ミルニング+ | Comments(0)
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