どうでもよいことを考えはじめたらキリがおへん どうでもえぇのについつい考えてまう どなたサンもその状態が「ミルニング」どすぇ

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ダンミッツ

噂には聞いていたがスゴいらしいグラビア界のホンモノ『壇蜜』をテレビで何度も見て、じっくりと観察したのがかれこれ一年前のコトである。
最近では壇蜜はダンミツバチというCMでしかお目にかからないが、おじちゃん人気は今も健在だろうか。

密かにそしてもちろん勝手に、私が「ビフォー文化人」と呼んで気になってしょうがないふたり、リリー・フランキーとみうらじゅんという、このジャストミートなふたりにキャッチフレーズのようなスローガンのような絶賛を吐かせるとは、何をか言わんや。壇蜜は壇蜜たる存在を知らしめるのを目的にターゲットをギュっと絞り、それがドドン・ド・ドンピシャリと合致をみていることは、このふたりの名が出ることで明らかであった。

壇蜜キャラをプロデュースしている黒幕がいても、壇蜜のセルフプロデュースであっても、ターゲットの絞り方が極端すぎて吉。この絞り方に俄然興味が湧くが、おそらく壇蜜という三十路の女は、世の女性からは、嫌われるか鼻で笑われるという反応しかもらえないことだろう。それでイイ。てか、そうでなきゃ。壇蜜は女の評価など眼中にないから。ポスト高岡早紀!今の高岡早紀ぢゃなくて、あの頃の。女に嫌われてナンボの頃の。その決断の潔さと切り捨ての思い切りの良さと、奔放な偏りっぷり。壇蜜が高岡早紀のように女に好かれようとしない姿勢でいてくれるなら、私は壇蜜を男以上に応援する。だが、壇蜜を応援していることは友人に公表しない。だってもともと少ない友人が減るのはヤだから。しかし、壇蜜が杉本彩のように後半で女性層に好感を持たす言動をするようなら、私は壇蜜を世の女性たち以上に嫌う。そしてそれを友人知人顔見知り、通りすがりのジジィにまで公表する。

そういう応援の仕方を一年前の私はしていた。
世の男たちの壇蜜に対する期待と私の期待は、度合が一緒だと思っていただいて結構で、私は壇蜜を『本能』というフィルターをかけて観ていた。そうゆう意味でしかみないが、採点基準はおっちゃんたちのように甘くはない。少しでも同性の目を意識したらアウトだし、周りの女のリクエストに応えてもダメ。

グラビアアイドルとして売り出して注目されるのはせいぜい1年、という意味だと思いたいが、かつて小池栄子がイエローキャブの野田社長に「オマエおっぱいで喰えんのは1年だぞ?その後からがオマエのチカラ」と言われた、というエピソードを聞いた時に、小池栄子も好きになったが、野田社長の見方が変わった。ただのエロオヤヂだと思っていたが、芸能界に夢を抱く少女たちの最後の踏み台として野田社長は寝そべっていたのかと、深く頷いた。イエローキャブの社長はフツーの感覚ぢゃない、という第一印象はそのまま変わらないが、プライドを持っていなければ出来ない覚悟をさせるひとだ、という付加価値が付いた。
捨て身になって頑張っているうちに本当に身を捨ててしまうひとは多いだろう。
それを絶対に捨てない、という意志の強さを見せる女がしこたまいるなら、女はこんなに簡単に夢見がちなトコロには走らないと思う。

ジェンダーフリーが叫ばれている中、男女同権を主張しない派で肩身が狭いが、私は女に産まれた以上おおいに女を利用してのしあがればええと思うし、男に産まれたからには出来ることを存分にやってみればええと思っている。
私が思う男女同権とは、男も女も無しにスタート地点が一緒だとか条件が一緒だとかいうことではなく、それが例えば仕事なら、男には男の、女には女の、それぞれをいかした適材適所があるから、それぞれがちゃんと向いている部署に就き互いに尊重しながら働くことだと思う。
言うは易いが行うは難し。
そのように機能しているほど世の中は甘くもない。

壇蜜は『おおいに女を利用しています』というスタンスを貫いた。古風なまでにね。女たちの好感を意識する、と踏んでいた私は浅はかだった。壇蜜が意識したのは男でも女でもなく「人間」だったのだ。知恵・知識・専門をプラスしていった壇蜜は、はばかりながらテレビから遠ざかっていったように思う。古風すぎて平成に距離を置かれたカンジだね。魂を売らないとテレビ界の需要に供給はし続けられないのだという現実を、壇蜜が教えてくれた。
テレビ以外のトコで壇蜜は生き生きしている、まさに適材適所を得た女と言えよう。天晴!
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by yoyo4697ru980gw | 2014-06-30 16:44 | +難℃ set key+ | Comments(0)

バイキングーググー

笑っていいともの後番組として、その低視聴率ぶりが叩かれまくっている『バイキング』
ネット上でこれでもかと非を突かれているので、本当に非しか突くトコないんかなぁおもて、観てみた。

皆さんわからんやろうけどねぇ、今、私はとんでもなく起きているのが辛い状況下にあってやねぇ、起きておこうと思えばそれなりの調節が要るというなんとも可愛そうな現状なんやで。
貼る麻薬のおかげで船酔いのような副作用に慣れず、足元がフラフラでつまずきそうになる身体に、刺すような痛みを鎮痛するためのレスキューの麻薬を2袋飲んでいるせいで常にうっすら吐き気があるんやで~。
でもそれを飲むと約1時間痛みがマシになって起きて動けるので、動きたい時間を逆算して1時間半ほど前にレスキューを服用するんやで~、レスキューが効くのに15分くらいかかるんやで~。
そしてレスキューが効いたら50分間で用事を済ませないといけないんやで~。レスキューは急に効いて急に切れるんやで~。唸っていたのが急にラクになり、調子こいてスキップしてたら激痛が走る、というような効果・効能。キくのもキレるのも、突然なんやで~。ジワジワ効いてきてゆっくりと切れるとかじゃないんやで~、今この瞬間にキいて今この瞬間にキレちゃうんやで~。
こんな日常なもんやから自分を時間に合わせるのが非常に難しんやで~。痛みをマシにして動くつもりで飲んだレスキューで爆睡しちゃうこともしばしばなんやで~。
おっきいのがボインなら~ちっちゃいのはコインやで~もっとちっちゃいのんはナインやで~。こやってフザけて痛い痛いゆぅてるからまったく信じてもらえんのやで~。

そんなこんなだから12時に始まる番組に合わせて起きて視聴しておくために、ちょっと早めに昼食をとって食後の薬を服用して…と、薬の調整に気を遣った。その努力が報われなきゃならないぞ、と思いつつ観た『バイキング』

非しか、突くトコないね。
今は。

いかにタモリのライブのまとめかたが神業だったかってのがわかる、ということを再確認するための番組…まだ今はね。
『まだ今は』と書いたのは、番組自体が「模索中」なんじゃないかと思って。
いいともだって3ヶ月で終わる半年モちゃイイほうなんつって始まった、てタモさん言ってたし。番組ってやってるうちに出来上がってくるものかも、という可能性をもっての『まだ今は』なバイキングの今を観た感想ね。

ネット上では因縁の江角マキコとビックダディの火曜日だったけど「ダディを否定する江角マキコの図」てのは観ている限りではなかった。番組後半ちょっとクッキー焼く準備してて観てはいなかったけど、江角マキコのダディ拒否は聞こえてこなかった。私は普段あまりテレビを観ないので、観ている時はたいがい自分が興味のある番組を観ている。だから、座って観ていて番組中に席を立つということはない。だって面白いから。なので、私が『観よう』と思って観ているにもかかわらず、クッキーを焼こうと席を立つという行動を取ったという時点で、この番組はちっともおもしろくなかったんだと思う。個人的見解だけど私はEXILEのメンバーが出ていようが観ないかな。
小籔がいるから進行はなんとかなってるカンジなんだけど、小籔と絡む芸人がノブコブ・友近ってのは小籔のおもろいトコをコロシてるやんね~と、関西人なら思うことだろう。サバンナ高橋を投入してくれるといいのにな~それかスッチー、譲って千鳥。

『バイキング』ね。
バラエティなの?情報番組なの?
あぁ…笑いと情報をとりホーダイ…なの。
それにしてはどっちも中途半端になっちゃってる。
あれだね、激安ランチバイキングに行ったんだけど品数が少なすぎてお腹はいっぱいになっても気分が満たされない、って感覚。
何だろうかこの全体に蔓延している誤魔化しきれない遠慮感。
遠慮がある、というのを皆が感じているのが視聴者に伝わっているのかなぁ。

ヤフー検索ワードとリンクさせて情報としてお届けするの、いるかなぁ?
独自の情報を発信したほうがよくないか?
ヤフーで急上昇したワード『デヴィ夫人』がゲスト出演して話題の美脚を披露したり、イケメンすぎて急上昇したワード『真剣佑』という名の俳優までゲストとして登場する。
そんなだから、レギュラー陣たちが下手にリアクションとれないんだよね。
紹介されたワードの人物が来ちゃうから。
ネットのエンタメトピックをクリックしちゃってる私なんかは、ネットで既に見た話題をまた同じように今度は映像として観るわけで、わざわざテレビで観ている事の有意義さを実感するためには、デヴィ夫人の美脚披露に、何か別の切り口を探さねばならなかった。ただタラっと観ていたら『ネットで見たっちゅーねん』という気持ちにしかならないからね。検索ワード上位とリンクさせて情報発信する、ということはそうゆう事だ。多くの人が検索している話題なので、多くの人が目にしているわけよ。わざわざ取り上げる二番煎じへのリアクションのコトは考えていないのだろうか。出演者もまさか「ネットで見ましたけどね」とは言えないだろうし。
私は視聴者なので「またか」とは言えるけども、そんな私とてこうしてわざわざ観たのだから別の何かを探す、探す。こんなことに神経をとられたくないけど。煌びやかなローレグベアレオタード姿のデヴィ夫人の横幅を観れた事が収穫か。74歳らしからぬ美脚にトシは出ていないがお腹回りには年相応っぷりが出ていることを、ご本人も自覚されているようだ。

真剣佑は千葉真一の息子で海外育ち。英語ペラペ~ラだから、石田純一の娘すみれと英語で会話。ネイティブなのはわかるけど片眉上げたり口の端を曲げたりする「顔面外人色」とでも言おうか、ソウルがUh-huhなひとたちの喋り方を見ているとポカンとなるのは日本語しか話せない私だけだろうか。日本人の顔で日本人の所作でネイティブな英語を話すひとはいないのか。英語の日本訛りはそんなにダメかね。日本語の中国訛りやアメリカ訛りは、日本国内では全く問題ないけど。

渡部篤郎という最初からゲスト扱いのゲストがいるのに、すぐさま特別ゲストでデヴィ夫人が出てきちゃって、その後で注目のイケメン俳優として出てきちゃうゲストの真剣佑。この順番もどうかと思うな。検索ワードが急上昇しようが千葉真一の息子だろうがハリウッドで主役をしてようが、日本では無名の俳優ではないか、まだ。英語が出来るだけで役は取れないと思う。ハリウッドで日本人ってだけで役が取れないのと一緒でね、そのことがマイナスに作用せんとも限らない。俳優をしたいのに、英会話番組のアシスタントだったり、海外セレブが来日した際のインタビュアーだったりという仕事が来るかもしれない。これを俳優業への糧と思って下積みのひとつに出来るかどうかってのがポイント。「イケメン」ということを免罪符のように俳優志望の17歳の男の子に自覚させちゃって、自分がしたいコトしかしないようになったらどうするんだ。俺が俺がの俳優ばっかになったらどうするんだ。「何やってもキムタク」みたいな俳優になったらどうせ叩くクセして、イケメン・イケメンゆぅて騒ぎよんねなぁ…確かにイケメンやけど、俳優は演技力ちゃうんけ。

演技力で評価されている演技派俳優渡部篤郎はゲストなのに、本当にゲストなのだろうかと思うほどの遠慮をみせた。何がスゴイって、こんなどっちつかずな場の雰囲気でゲストなのに渡部篤郎が渡部篤郎として居たことに気付かないほどその存在を消せたっていう同化することの素早さ。…さすが役者だ。

もう何だろうなぁ…火曜日を1回のみ観ただけで『バイキング』を語る資格はないんだけど、バイキング~ゆぅてイチかバチかエドはるみをレギュラーに加えてはいかがだろうか。この際どっちつかずで不安定なカンジをウリにする。吉本内で先輩なんだか後輩なんだか上下関係がおぼつかないエドはるみ。『笑いと情報をとりホーダイ』のコンセプトとも合致するエドはるみは、コンピューターインストラクターやマナー講師という仕事をし、情報も笑いもかじっているではないか。遠慮感はますます強くなると思うけど、ひょっとすると面白くなるかもしんない。バイキング~が結果的に笑いに傾くといいな。ネットの事はネットに任せて、情報のことは情報番組に任せて、真面目にバカバカしい事を真っ昼間にやってたら、あまりのしょーもなさに国民のやる気が出てイイと思う。しょーもないコトを見たあとってな~んか『やんなきゃっ!!』て気になるもんね、だからそれ狙いで。
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by yoyo4697ru980gw | 2014-04-24 11:19 | +難℃ set key+ | Comments(0)

旬な女

女の外見的な旬はそう長くない。

しかし、女はしばしばオンナであることを利用する。

自覚がなければ良くて、自覚があったら悪い、のか?

世の女は100%何かしらの場面でオンナであることを利用して生活しているが。

若さや色気を使っているオンナもいれば、貧弱な筋肉にかこつけて荷物を持たないというオンナの使い方をする者もいる。
旬が過ぎれば若さを活用してオンナを利用するのに無理は出てくる。
しかしオンナを利用するのは一生やるだろう女なら。
外見的な旬を過ぎても、外見的な旬の時に会得した男のクセを掴んでコツだけでその後も旬を長引かせる賢いオンナがいる。
それに男がコロっといくかいかないか、て違いがあるだけでね。
コロっといかない場合が多いから、日常生活の些細なことにしかオンナを利用しなくなっていくのが普通だ。バイキングのパスタの前でカチ合った時に口元だけ微笑んで男に「どうぞお先に」と言わせる、とかね。

いま世間は小保方晴子女史に夢中かもしれないが、記者会見の謝罪の場で髪の毛をクルックル巻いているのを見、私は小保方女史には興味がなくなってしまった。
オンナであることを利用する女は見ていて飽きないものだが、次はどんなテで来るのか、という予想のつかない今を見せる女のほうが魅力的である。
その意味で、私にとっての旬なオンナは青田典子だ。

そう、玉置浩二のワイフ青田典子。
予想がつかないオンナの使い方をする女、青田典子。

玉置浩二と結婚してからというもの露出度が低くなってしまい、もともとあまりテレビを観ない私の目には、動く青田典子の言動が映らなくなってしまった。ブログで近況を知ることは出来ても、文章のみで青田典子の『今』は推し量れない。それにアメブロだしね。青田典子に限ったことではないけど芸能人のアメブロって営業の一貫ってカンジ。文章っていくらでも推敲出来るし、アメブロは芸能人への不都合対策サービスで管理体制が充実してるから、マイナス面とかキレイさっぱりお掃除できてるし。やっぱ言動からじゃなきゃ『ひととなり』ってのは探れないよね。

芸能人の場合はテレビで観るのが確実。本人が撮られてる観られてるのを意識した言動をしているほうが。『作ってる』ていうトコロにそのひとの本質って見えてくるものなのだ、実は。

本当にそうかどうかは知らないが、青田典子はその時々で常にオンナを活かしてキた。というキャラ設定でキた。
バブル時代には若きカリスマ経営者、バブルがはじければバブルの生き残りの会長クラスを相手にオンナを活かした。ように、魅せた。…と言ったほうがいいかもしれない。そういう“男を使って遊んできましたよー”というカンジをふんだんに出していたのがバブルと寝たオンナ青田典子である。
アイドルぶっちゃけ需要が高まればアイドルをいじめてきたイヤなオンナ、バラエティ需要が高まれば負け犬代表格のオンナ、整形も結婚も離婚も『バレた』というスタンス。都合の悪いことは自らカミングアウトなどしないオンナ、青田典子。でもバレれば、売れるために整形して何が悪い、と言えるオンナ青田典子。
売れたいのはみんなそうだろう、芸能界に行こうとするひとは、みんな売れたい。
その手段として「整形をする」ことにしたオンナ。そしてそれを「何が悪いの」と言えるオンナ。強気だ…そうまでして売れようとする新人がどのくらいいるのだろう。売れてからいじって整えようとするのとはワケが違う。金もなく売れる保証もないのにリスクを負ってまで整形をする。怖くて出来ないな、そんなこと。いくら自分の顔が気に入らないったってメスを入れるのには躊躇するだろうよ、痛さだってあるしさ不安だろうて。自分の気に入る顔になるかどうかわかんない、て考えがよぎらなかったわけじゃあるめぇよ。
ちょっと目をパッチリさせるダケ、みたいな整形じゃないのよ、奥さん。目・鼻・顎・エラを削って本格的に450万円も使うのよ、青田典子ったら。ハナシき~ただけで人相変わっちゃったわよ、アタシ。眉間にシワよってクチ曲がったわね、たっけー!ちゅうて。

外見で得するオンナ、てのを450万円で実践した青田典子。
その時々のニーズを察知して、旬なオンナを使う青田典子。
玉置浩二との夫婦っぷりをメディアは『ラブラブ』と言うが、『ラブラブ』に見えた人はいただろうか?私には、青田典子のひきつった笑顔しか浮かばない。虐げられてでもいるのか、と心配になるほど表情のない笑顔。それでも青田典子が玉置浩二を見捨てないのは、玉置浩二が「青田典子をキョーレツに愛している男」であるから。玉置浩二以外にコレをやれる男はいないと思う。「病的に愛されるオンナ」であることを活かすために、青田典子は妻として支えることに徹するようだ。
何が彼女をそうさるのだろう、と興味が湧いた。「何かのため」であることには違いない。青田典子には常に目的がある。その「何か」が知りたい。
売れるために整形をしてバブルを乗り越え負け犬にまでなったのに、愛のために芸能界から姿を消すだと?そんな事をするオンナなわけがないぞ、青田典子。
がしかし、青田典子は本当に姿を消し、玉置浩二の妻「愛されるノリ」の年月を経た。たまにテレビに映っても、青田典子としてのコメントはしゃべらなかった。

そして青田典子は芸能界復帰。
「結婚して2年たち、家庭も安定して落ち着いてきたし、主人の音楽活動も順調です。表現者としてもう一度芸能活動を行える環境ができたため、復帰させていただこうと思いました」
う~ん、そうか。
『表現者』ね。
よく聞くフレーズ『表現者』『アーティスト』ね。
ただのアイドルだったりタレントだったりではダメなひとたちのポジション『表現者』『アーティスト』ね。
そうか。
青田典子の玉置浩二使いは、『表現者』というオンナ度を獲得するための結婚ということか。玉置浩二は音楽をさせれば天才である。音楽しかさせるな、というほどの天才。音楽的才能は申し分ないが、人間的にこのひとは身勝手だ。誰もこの身勝手をコントロール出来るひとはいない。だから4回も結婚しちゃう。

それをコントロールすることが出来たわけだ、青田典子は。
あの玉置浩二をコントロール出来る才能、それは『表現者』でなくては持ち合わせていない才能であった。そしてその才能を、音楽的才能のある天才は認め、褒めちぎり、世に放つだろう。
青田典子がその気になれば、「絶対に別れない」と言っている玉置浩二のほうから離婚を切り出させることだって出来るくらい、完璧にコントロール出来ているはずだ、この2年で。
玉置浩二の奇行に振り回されることに耐えるなど、青田典子にとってはヘでもなかったのだと思うと、このひとはどれほどの辛いことに耐える力があるのかと思ってしまう。
青田典子の選択は直感的で、そしていつでも最短距離。
青田典子の「なりたいオンナ」はいつでも手を伸ばしたその先にあって、見えている。それに向かって行くのに青田典子は寄り道や遠回りなどしない女だ。
もしかしたら青田典子が離婚を切り出した途端、玉置浩二が改心するかもしれない。自分の悪い所を治そうとし、初めて自分と向き合うという作業をし始めるかもしれない。そんなことまで出来てしまうのかもしれない、青田典子は。

オンナであることをどこまでも利用する女、を演じ抜いて自分に価値を付けてきた青田典子。
このひとこそ天才だ。
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by yoyo4697ru980gw | 2014-04-16 13:39 | +難℃ set key+ | Comments(0)

バッシングを魅せる材料に変えた沢尻エリカ

沢尻エリカが宮沢りえに近づいてきている。
いいぞ沢尻エリカ、その調子だ。
女優という仕事が楽しくて楽しくて仕方がない、というトコロまで狂うように演じてしまえ。
そして30代後半で賞を総ナメ。
それからが、沢尻エリカの真骨頂だ。
踏ん張れ、沢尻エリカ。
自分の感情にウソをつくことを決しておぼえるな、沢尻エリカ。
いいひとになろうとするな、沢尻エリカ。

「別に」発言からバッシングされまくってきた憑依女優、沢尻エリカ。
世間が沢尻エリカを嫌っても、私は信じていた。
沢尻エリカは宮沢りえのようになる、と。
バッシングそのものを、自分を魅せるための糧に出来る根性があると。

芸能界で女優として成功しようという女の根性が、そんじょそこらの女の根性と一緒なワケがないのに『清純派女優』という言葉が存在する。矛盾してるっちゅーねん。
そして世間は清純を求めて高みにアげては、理想通りの言動をせねばこれでもかと叩くのだ。
芸能界で注目されることを職業とするオンナに清純派を求めるのがそもそもの間違いやねんて。
本当に清純な女優は、無名で終わる。
清純派女優というのは、作られるものなんである。
女優として成功するなら、清純でいてはいけない。
いろんな根性と後ろ盾を付けてカンも鋭くなきゃダメだろうな。
いろんなことをクリアにし根性で乗り越えた先に、それでも自分を見失わずに、確固たる信念を貫いたオンナとなった時『清純派女優』というものが誕生する。
あくまでも『派』だけど。

根性が女々しくない宮沢りえと沢尻エリカが、私は好きだ。
『芸能界に居る』ていう自覚が、それ以外にはないっていう根性の据わりよう。
キレイな女の人の姿カタチをした侠気の持ち主。もうほぼ男。
このふたりが一般人で友達だったら、付き合うのラクやろなぁ。
ランチとかの約束して当日に「どうも気が乗らん」て理由でキャンセルしても、笑って許してくれそう。



かつて宮沢りえがマスコミで連日騒がれ、りえママが槍玉にあげられていた時代があった。
やれ娘を芸能界に売った母親だ何だとりえママの叩かれっぷりはPTAが騒ぐのに申し分のない内容で、世間はりえママを完全なる悪者にした。
そんな最中、宮沢りえがインタビューを受けている時に、ひとりの記者から自分の母親が悪く言われることについてどう思うか、という質問が宮沢りえ本人に向けられたことがあった。
正式に設けられた記者会見、という雰囲気のテレビ画面から、その質問が聞こえてきた時に私は顔を上げて宮沢りえの受け答えを待った。
騒がれている宮沢りえ本人に興味はなかったが、その質問には興味があったのだ。
我が母がバッシングされているのを娘としてどう思うか、と聞かれて宮沢りえはどう答えるのか。
当時の宮沢りえはすったもんだの数々に、マスコミがいろんな場で関係のないことを根掘り葉掘り聞きたがるような状況だった。

彼女は印象的な答え方をした。
「自分の母親が悪く言われるのはイヤです。世間で言われているようなことはありませんし、私もそうゆう風に思ってないです。でも、それは私がわかっていればいいことなので」
言い回しがちょっと違うかもしれないけれど、印象的にはこのような答え方を宮沢りえはした。
母親は本当はこうゆうひとだと言うことも出来た。
報道されていることは違うと具体的に否定することも出来た。
時間をかけて何かを語っても編集の手が加わるのを宮沢りえは痛感していただろうし、だったら質問自体に無回答でもよかった。

しかし何をどう語ってもノーコメントでも、この言葉に勝る効果的な言葉は他になかったに違いない。

それは私がわかっていればいいことなので。

記者も二の句が継げなかった。
そうだろうとも。
ハタチそこそこの娘が親子関係は他人にどう言われようとも当事者である我々が分かり合っていればそれで良いと、ピシャリと言い放ったのだ。

何の噂に踊らされてなんぼほどの真相を追求したかったかは知らんが、この質問をした記者を通して、あの会見を見た茶の間の反応もその場の反応もまったくもってひとつだったと思う。結論はひとつしかなかった。

宮沢りえの周りが幼稚

そう思わせるオンナ、宮沢りえ。
と、いうことである。
宮沢りえの回答が周りの幼稚さを露呈させる。
宮沢りえのコメントが周りの騒ぎをバカバカしく見せる。
しかし、宮沢りえは決してあからさまに「幼稚」とは言わないし「バカバカしい」とも言わないし、態度にも出さない。
これを言動に出してしまうのだ、沢尻エリカは。

沢尻エリカは『根性のある流されやすい夢見がちな少女』であった。
ガッツがあったばっかりに『個性』という要求に、夢見がちな少女は応え続けてしまったのだ。
ズバ抜けて憑依するという才能を見出され変幻自在感を次から次に要求された沢尻エリカはガッツでそれをこなしていたのだが、ある日ふと我に返ってしまったのである。

夢見がちな少女は夢見がちなままなら要求にも応えるが、フワフワとした夢の中で自分がフワフワ出来ないと我に返ってしまう。
根性がある人間が我に返った時には、非情なほど情熱が冷めてしまうものである。
夢見がちな少女が芸能界に注いだ情熱と個性的であることの要求に答える情熱。
その情熱を失ってふと我に返った目から見えたマスコミは、バカバカしいまでに幼稚に騒いでいたことだろう。

「それがアナタのお仕事です」

そう優しく諭してくれる人物が、残念ながら沢尻エリカの傍にはいなかった。
りえママは、それが言えた人であっただろう。
夢を与える芸能界の華やかさ、ショービジネスの豪華さ、そういった世界の裏側には過酷さがある。
どんな仕事でも、ただ楽しいだけの仕事などありはしない。
仕事である以上、みんな何かしらに耐え、我慢して乗り越えて仕事をしている。
それが他人の目にどう見えようとも、自分がやりたいと思える仕事だからみんな辛くても我慢するのである。
その「やりたいと思える」理由が、「生活のために仕方なく」であったり「安定した職業だから」だったり「この仕事が好きだから」だったりする。
選んだ理由はそれぞれ違っても自分が選んだことなんだから、責任を持ってそれに付随することに耐えてこそ、仕事に携わる人間としての義務を果たしていると言える。義務を果たさずして権利を主張する自分勝手など、どんな世界でも許されない。
沢尻エリカは、それをした。
芸能界に生きるプロとして我慢せねばならぬことを我慢できずに、それが自分の個性なんだからと主張することだけをしたので、叩かれたのである。
これは、度を越した「若気の至り」であったが、その気付きのなさがいかにも若すぎて世間には受け入れられなかった。
どんなに若くても、働いてお金を稼ぐ社会人として通用しているのだから、この先の展開を読んだ言動をすべきなのに、それが出来ないのだから社会人として世間が認めるワケがない。
社会人としてのマナーもへったくれもない、という状況がまるでジャスティン・ビーバーのようで、痛々しい。
その痛々しさに沢尻エリカはもう気付いたが、ジャスティンはまだ気付いていないようだ。

今の沢尻エリカはその叩かれた原因をちゃんとわかっている。
バッシングが自分をどうゆう状況に追いやったかも、理解している。
それでも自分は女優をやりたい、と思っている様子だ。
その雄々しい根性に、俄然興味が湧く。
これは「清純派女優」を作れる逸材である。
沢尻エリカはただ好きだという理由だけで、いろんなことを吸収出来る女優となるに違いない。
劣化しない・錆びないカンジも、宮沢りえとそっくり。
並々ならぬ根性の持ち主なのだろう。
ふたりのこの根性はあとから付けたものではなく、生まれ持った根性なのだ。
稀にいるのだろう、男の根性を持ったキレイな女が。

沢尻エリカは性格が悪いままでも、口が悪いままでも、自分を魅せる材料に変えられる。
だからいい人になろうとしなくても、そのままでいいのだ。
どうぞそのままでいてほしい。
悪態をついてもキレイでいられる女優なんて少ないから。
自分がイヤだと思ったことを平気な顔してイヤって言える、感情に素直なところが「清純派」な「女優」を作ると思って、自分の感情を決して隠したりなんかするな、沢尻エリカ。
性格が悪いと言われ続けるだろうけど、それを痛くも痒くも思っていない沢尻エリカを、キレイだと思う人間のひとりである、私は。





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by yoyo4697ru980gw | 2014-03-30 18:23 | +難℃ set key+ | Comments(0)

付き合い大沢

私は学生の頃なんとなく女子的付き合いの流れに逆らえず、一時的に大沢樹生に手を出したことがある。その事を大沢樹生は知らないが。
そして二十何年の時を経て今、私は学生の時より興味を持って大沢に付き合っている。その事もまた、大沢樹生は知らない。

当時の女子中高生にとって「興味がない」と言う事など許されないアイドルグループ光GENJI。女子がキャーキャー言う相手、光GENJI。
『光GENJIの中で誰が好きか』という質問が当たり前に交わされる時まさに中学生であり高校生であった私には「キャーキャー言ってなきゃなんない」強迫観念みたいなものすらあった。『光GENJI』が好きか嫌いかとは聞かれないのである。好きなことが当たり前でその中で誰が一番か、ということで話はすすんでゆく。

高校生になり出席番号の席順でしばらくを過ごすことになった最初、出席番号並びでなにかとペアになることの多かったシノブは、わかりやすい光GENJIファンであった。
初対面の彼女は共通の話題として光GENJIの誰が好きかと問い、私は軽い気持ちで大沢樹生だと答えた。
これまでの質問でも使ったテである、付き合い大沢樹生。
大沢樹生という人物は光GENJIの中で一番、キャーキャー言わなくても許されるキャラだった。

シノブは自覚のある『異常なまでの光GENJIファン』であり、あまりの異常さに周りが引くほどであったが、その引かれている自分をも自覚して楽しんでいるような性格の持ち主であった。
シノブはありとあらゆる芸能雑誌を買い漁っていたので、あっという間に私の下敷きを大沢樹生で埋め尽くし楽しんだ。
私の「付き合い大沢樹生」をシノブがサポートするカタチで、光GENJIを介した友情はエスカレートし、とうとうシノブは、阿蘇キャンプに向かうバスの中で、芸能オーディションを一緒に受けようと誘ってきた。
はっきりと「付き合い大沢樹生」は危険だと、私は感じた。
ここまでの温度差はもう埋められないと思い、シノブとは距離を置き、その後は「付き合い大沢樹生」のテを使うのもやめた。
それからの私は付き合いで芸能界に手を出したりなんかしない正直者である。

シノブとの友情が光GENJIを介していなかったら、あんなにあからさまに距離を置くこともなかったと思う。
ただ、ガラスの十代で私も若かったし、シノブもまた若かった。
光GENJIが異常に好きだというだけで、芸能オーディションを受けようという発想になる十代の女の子の夢見がちな感情は、十分、理解出来る。
しかしそれを友人と共有するという女子感覚があることを、私は知らなかった。
それを学ばせてくれたのが、付き合いで手を出した大沢樹生だったと言えよう。
もちろん、大沢樹生はその事を知らないが。

ジャニーズ史上最も社会現象と化したアイドルグループ『光GENJI』
そのメンバーである大沢樹生が、喜多嶋舞と結婚したあたりから漂っていた、違和感。
その正体がずっとわからなかった。
わからないまま、でも変わらぬ違和感はアリアリで、これまでの大沢樹生の数々の報道を目にしてきたことはした。そしてこの度のDNA鑑定の一件で、私は大沢樹生への違和感の正体を突き止めた。

バブル時代に女たちが欲しがったティファニーのオープンハート。
それと同じような「クセ」が、大沢樹生から長らく抜けないのである。
『光GENJI』病とでも言い換えたらいいだろうか。
シノブが異常に好きすぎてその度を越したために、私が気付くきっかけとなった『光GENJI』病に、大沢樹生自身が罹っている。
私が光GENJIにキャーキャー言っておかなきゃいけないんだという強迫観念にかられたように、私には大沢樹生が未だに「なんでもかんでも桁外れ」の『光GENJI』に翻弄されてしまっているように見える。いちいちセンセーショナルでなければならないのだ、取り上げられ方が。それも、前の話題よりも今の話題が、今の話題よりもこの先の話題のほうが、より衝撃的でなければならないかのような。
それが、大沢樹生の「違和感」である。

ここに1本の試験管があるとしよう。
この細い細い試験管は『光GENJI』という液体で満たされていて、そこにメンバー
7名が投入され『光GENJI』は流れ出た、ジャージャーとね。
中でメンバーの誰かが、やれ手を振ったやれ足を上げたやれ微笑んだ、飛んだ跳ねたと動く度に、中の液体は流れ出てその度に大騒ぎになった。
しかし大沢樹生が入っている試験管は長細い。
液体『光GENJI』が半分量になれば当然どんなに動いても、ジャージャーと流れ出ることはなくなる。
そこで、よりいっそう暴れなければならなくなった。
そんな状況下で大沢樹生は『光GENJI』を脱退する。
その時、なぜだか『光GENJI』を脱退しなかったメンバーが、その試験管から出て行ったのである。大沢樹生のほうが試験管に残ってしまった。
いよいよ大沢樹生は暴れなくてはいけなくなった。
液体『光GENJI』は試験管の中に3分の1ほど残っていたのだ。
大沢樹生がヒタヒタになるくらいの『光GENJI』が入った試験管。
運動神経抜群だった大沢樹生がある日バランスを崩すと、立てかけてあっただけの試験管がはずみでコトンと横になる…。
じんわりと漏れ出る『光GENJI』液。
ジャージャーと流れ出なくともじんわりと漏れ出る一滴が、センセーショナルでさえあればよかった。
その最初の一報が、喜多嶋舞とのできちゃった結婚だったのかもしれない。
漏れ出る『光GENJI』液の滴は、どんどん少量になる。
もっと、センセーショナルでなければ…。
これが違和感の正体。

「ティファニーのオープンハートそういやバブル時代に流行ったよね~」
と懐かしむアイテムになっているオープンハートと同じ温度で、今や世間も『光GENJI』を懐かしむ時代である事を、マスコミが大沢樹生に知らせてあげるべきではないだろうか。騒ぎ立てるだけじゃなくて。

息子との父子関係について記者会見を開き、それに答える大沢樹生。
親子ではない事を認めておいて、息子に向けた言葉は「俺の子だったらアメリカで成功しろや」である。
このひとの言う「成功」とはいったい何なのだろうか。
何か大きな事を成し遂げることを「成功」と言っているのなら、16歳にして息子はだいぶ大きな事を既に成し遂げていると思う。
両親を含めこんなにも周りの大人たちを、許しているではないか。
手本となるべき大人たちがちっとも出来ずにいることを、16歳の少年がしている。
彼は、試験管がガラス製である事をわかっている16歳なのだろう。
その事が、同じ16歳の息子を持つ母親としてとても切ない。
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by yoyo4697ru980gw | 2014-02-14 23:48 | +難℃ set key+ | Comments(0)

ナンシー女史

2002年6月12日、39歳でこの世を去ってしまったナンシー関。

2014年の今年、私は39歳になる。

私と同じ39歳で、消しゴム版画家ナンシー関の芸能コラムを読んでいないひとなんていないのではないだろうか。
ナンシー女史の芸能コラムは今でも私を助けてくれる。
ドラマの話題についていけない私を、助けてくれる。
こっちでイイんだよ、キャーキャー言うほうじゃなくても、と思わせてくれる。
芸能人からうまく夢感を受け取れ切れなくて興味を抱けない私に、テレビ業界に対する違う視点を魅せてくれたひと、ナンシー関。

私は十代のまだ黄色い声が出せる時に、早くもアイドルにキャーキャー言えていなかった。
しかし世間はアイドルブームで、曲がりなりにも少女であった私はその雰囲気に抗うことができなかった。
キャーキャー言う気持ちがないことを同級生たちに悟られるのが怖く、キャーキャー言う努力もした。しかし、長くは続かなかった。
急速冷凍よりも早い冷めっぷりで芸能への関心が薄れ、同級生との会話が噛み合わず、骨董屋のジジィと帽子屋のジジィが囲碁を打っているのを眺めているうちに、自分が不正解のような気がしたものだ。

テレビドラマを毎週楽しみにして、イケメン若手俳優にキャーキャー言いたい。
アイドルのコンサートでもキャーキャー言うの。
それが、女子の健全な在り方に思えてならない。
のに、なぜに私はギャーギャーゆぅてしまうのだろうか。
キャーキャー言っても、ギャーギャーゆぅても、同じくらいのチカラを使うんなら、キャーキャー言っときたいのに。
なぜギャーギャーのほうをゆぅてまうねんやろな。
かっこええねんからそんでええやん『面白い』まで狙うなよキムタク、てゆぅてまうんやろうな。
性格が悪いんやな、きっと。



嗚呼ナンシー女史ならどんな風に書いてくれるのだろう。

そう思った39になる私。

だからカテゴリこさえました。

ナンシー関を模倣したくて。
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by yoyo4697ru980gw | 2014-02-12 16:41 | +難℃ set key+ | Comments(0)

RADと中也とダダイズム

RADWIMPSというバンドの『おしゃかしゃま』という曲を聴いていると、中原中也の顔が浮かぶ。
中原中也の詩に音つけてんじゃないかとさえ思えてくるのである。
しかし今の子供たちは中原中也という詩人の詩に触れる機会がないようだ。
授業でやんないの?中也。
授業でやったけどな、汚れっちまった悲しみに。
中学高校という年齢の子供たちの情緒教育の教材としてとくにキくと思うけど、チューヤ。

PCからRADの曲が流れているのを聴いてチョモが言う。
「なんでRADなん???オレRAD好きちゃうねよなぁ…」
「好き嫌いぢゃないんだよなぁ…最近非常に気になる…このひとたちの曲て中也と同じニオイがすんだよねぇ…」
「チューヤ?」
「中原中也。サーカスぢゃん、有名やろ?耳にしたコトあるやろ?…幾時代かがありまして茶色い戦争ありました」
「知らんっ」
まぁ冒頭は…あんま有名ぢゃないかもな。

『サーカス』中原中也(抜粋)

頭倒さに手を垂れて
汚れ木綿の屋根のもと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

それの近くの白い灯が
安いリボンと息を吐き

観客様はみな鰯
咽喉が鳴ります牡蠣殻と
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

ほら、RADの歌詞にありそうな言葉のチョイス。
もぅこの詩を知ったら、空中ブランコのあのブランブランに『ゆあーん ゆよーん ゆやゆよーん』以外の擬音つけらんないほどにバッチシだよね。
ゆあーん・ゆよーん・ゆやゆよーん。


『盲目の秋』中原中也(抜粋)

それはしづかで きらびやかで なみなみと湛え
去りゆく女が最後にくれる笑ひのやうに
厳かで ゆたかで それでいて侘しく
異様で 温かで きらめいて胸に残る
ああ 胸に残る
風が立ち 浪が騒ぎ 無限のまへに腕を振る
これがどうならうと あれがどうならうと
そんなことはどうでもいいのだ
これがどういふことであらうと
それがどういふことであらうと
そんなことはなほさらどうだっていいのだ

ね、RADっぽい。

RADが歌いそうな歌詞がリンクする詩を、大正・昭和と綴った中原中也。
どんな時代であろうとも、青年の中にはダダイズムが佇むものかと思う。

この詩人を語る時に必ず引き合いに出される高森文夫という御仁がおられるが、この高森文夫というキーマンは中原中也の精神を短い期間で濃くえぐった人物で、我が故郷、宮崎県東郷町の詩人である。
若山牧水が有名なばっかりに取り沙汰されることの少ない人物であるが、牧水記念館には高森文夫コーナーがあり、そこには中原中也が高森宅を訪れた際に撮られた写真が展示されている。
藁の山の上で孤独の塊のような中原中也が死んだように眠っている。
この異様さとゆぅたらないというほどの目を離せない一枚ったらない、と私は思う。中原中也をかじったひとなら同じ感情が湧くだろうから、検索して是非みられたい。「中原中也 高森文夫」で画像検索したら出てくるのでね。
中原中也とは思えない生身っぷりに、高森文夫に興味が湧いてくること請け合い。

お釜帽を被ったあのいかにも神経質そうな中也は今にも死んでしまいそうだが、死んだように昼寝をする写真の中也は確実に生きている。

どうしようもない男だなぁ~という勝手気ままな男は、酒豪の文人に多いが御多分に漏れず中原中也もそうだったようで、日がな一日呑みまくっては年少の友人高森文夫に毒づいた。
この写真を撮っている高森文夫の「やれやれまったくしょうがないなぁ」が聞こえるほどにしょうがない男、中原中也。
精神を病んでしまうまで、どうして自分を解放しないでいるのだろう。
昔の作家は気前よく死んだり精神を病んだりするけれど、そうでもしないと良い文章が書けないのなら、作家なんてとてもやってらんない。
だって日常生活に支障がある職業で喰ってかなきゃなんないとは、しんどすぎるではないか。
独り身ならその因果を恨めば済むが、家族を養うとなるとハナシは別。
そう思うのはきっと私が女だからなんだろうな。
作家の女房でなくて本当に良かった。

人間がダダイストでいる期間はとても短いと思う。
思春期の終わる頃から大人へと移行するその途中のギュッとした濃い期間の少年少女は傷つき易く壊れやすい。
その期間とそれから脱した病み上がりの1年ほどがせいぜい。
少年少女たちはいずれは大人にならざるを得ない。
イヤでもなってしまうのだ。
それを拒む根性があると精神的に長くはモたない。
ダダイズムを持ち続けて死に急ぐか、飼い馴らして芸術に昇華させるのか、その選択が自由で、自分次第なのだということを、中原中也から私は強く感じる。
だから中原中也に魅かれるのだろうと、思う。
同じ理由で、RADの曲にも魅かれているような気がする。

そしてこのダダイズムに長く没頭するのが決まって男で、そうゆう男の多くがど~~~~~しょ~~~~もナイってトコに、女の私は強く惹かれたりなんかするんである。
これまで『をぐら百人一首』以上に女々しく詠まれたウタなんかないと思っていたが、RADの『me me she』という歌の歌詞がどんだけ女々しいか。終始、女々しい。いちいち女々しい。百人一首を上回るまわりくどさで、遠回しに遠回しに含みに含ませ、一周グルリとまわっちゃって、最高のウタに聴こえてくるからハマりそうでコワい。
RADWIMPS…侮れん…文章には関係ないがこのバンドのボーカルのひとが着ているニットがどれもセンスが良い。ニットデザインの参考として『おしゃかしゃま』のPVを見たのがきっかけで、私はRADWIMPSのその他の曲も知った。ほかの曲のPVも見てみたらこのボーカルのひとはファッションアイテムにニット率が高いのだ。そしてそのどれもがセンスが良い。
私は決して悪口のつもりでこの文章を綴っているわけではないのだが、きっとRADWIMPSファンにしてみたら思いっきり悪口に読めるだろうから、明らかに悪口じゃないことも書いておきたかったので、もっかいゆぅけど、RADWIMPSのボーカルのひとのニットのセンスがすごく良い。

私が男ならダダイズムに長く没頭してみたい。
んで女に面倒がられて邪険にされて、あげく恋愛に失敗して、ますます悲観的になってとうとうダダから抜けられなくなってみたい。
ほんで精神的にボロボロになって、人間失格の生き方をする期間を経て、ある日ふと思い出したように人生を立て直す。
60歳を前に並々ならぬ包容力を身に付けて急にモテるの。
この包容力の魅力ってのはアラフォーくらいの女が嗅ぎ取るから、ワシは自分よりも20も若い女をはべらすのさ、うひひひひ。
土地はミカにやろう。
マンションはヒトミにやろう。
ユキエとアキとアイコには高級車を買ってやろう。
一番のお気に入りチエには店を持たせてやるかな。
なに?プラダ?エルメス?ヴィトン?
買いなさい、買いなさい。
ラーメンが食べたい?
自家用ジェットを飛ばそうじゃないか、ちょっくら博多まで。

包容力をつけすぎて相変わらずど~~~しょ~~~もナイねん、ワシ。
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by yoyo4697ru980gw | 2012-10-08 21:20 | +難℃ set key+ | Comments(0)
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