番台

私が「番台」と呼ぶ文机は傷だらけである。
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傷というよりも明らかに切り込みが入れてある。
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この切り込みが何かの作業をするのに都合がよかったのであえて彫った、と思わるるような切り込みなんで気に入っている。誰かが故意に切り込みを入れたのだ。持ち主の仕事か趣味か、ともかく主人の生活と共にこの番台は年月を経たものということであろう。
この「番台」は私の祖父母が毎日通っている銭湯の番台として使用されていたものである。私も幼少の頃からその銭湯へ入った。離れの窓際に置いてあるこの文机の前におじいさんが座っていて、ここで湯銭を払う。シャンプーを忘れた時に祖母がシャンプーを買ったことがあった。一回分個包装のヤツである、たしか30円。おじいさんは、番台の抽斗からそれを出した。この時の抽斗の音に惚れて私は次から毎回シャンプーを忘れたが、どうゆうわけだか祖母の荷物には出しても出してもシャンプーが戻っているのである。風呂の時間になれば、滅多に入ることのない家の風呂場にまで持って行って隠したのに、祖母はシャンプーを見つけ出す。仕方がないので母親コケさんや叔母イネさんと一緒に銭湯に行く時に忘れることにしたが、この親にしてこの子やねぇ、シャンプー見つけ出しはんねん長女も次女も。イネさんと二人で行った時に私はこれぞチャンスとシャンプーが欲しいと駄々をこねた。シャンプーなら持って来てるからと言ったイネさんに買って買ってとせがむと目論見通り、身内で一番のスポンサーであるイネさんは私に30円のシャンプーを買ってくれた。イネさんはそれまでも私にいろいろ買ってくれた。ポテトを買ってくれたこともあるし、洋服を買ってくれたことも、帽子を買ってくれたことも、いろんな所に連れて行ってくれたこともある。我が親よりもイネさんとはつながりが深い。姉であり母であり仲間である叔母、イネさん。そのイネさんがきいてくれた私のワガママの中で、この時のシャンプーほど嬉しかったことはなかった。子供心に「イネさんならわかってくれる」という確信があってねだったのだが、本当にイネさんはわかってくれた。シャンプーがあるのにシャンプーを買ってくれた。その後、せがむ私に根負けした祖母が一度だけ、シャンプーがあるのにシャンプーを買ってくれた。その時は番台のおじいさんに「髪を洗いますシャンプーください髪を洗いますシャンプーください髪を洗いますシャンプーください」と言い続ける作戦に出ていた。大人数で行っていて男衆は全員もう風呂へと消えたが、私がねばるのでクミさんとコケさんとイネさんが足止めを喰らい、とうとうクミさんが買ってあげようと言いだした。コケさんは我が娘のワガママを咎めクミさんに買ってやる必要はないとえらい剣幕で反対したが、クミさんはこう言った。
「これだけひつこくシャンプーシャンプー言うのだから何か理由があるんじゃろうて。」
誰も私にその理由を問わなかったが、子供のしつこさにはいつだって大人から見たらどーでもええようなれっきとした理由があるもんである。私はシャンプーシャンプーゆぅててからにそれを使わなかったので、二度とシャンプーは買ってもらえなかった。しかし三たび聴いた抽斗の音に、私はすっかり骨抜きにされ「ゾンタの机が欲しい」と思うようになっていた。

社会人になって独り暮らしをするようになり文机を買おうかと見に行ったこともあったけれど、新品の文机には当たり前のことだが傷一つ無い。どうも私は「ボロボロの文机」というものに憧れているらしい。新品を買ってボロボロまで使い込みたいわけでなく、最初からボロボロのヤツが欲しいのだ。いや、たぶん「ゾンタの机」以外の文机に興味はないのではないか。思い出があるからこそ欲しい「ゾンタの机」なんである。それから私は結婚し子供を産んで、しばらく兵庫県に住んでいたわけだがちょいとよからぬ事情が出来て、一家総出で家出。行くあてがないので私の里である宮崎へ行き、そこで2年ほどその日暮らしで食い繋いだ。その2年間の宮崎在住中に、ある日コケさんが私に電話でこう訊いた。
「アンタさ、ゾンタの机、欲しくない?」
欲しいけど…なんで?と訊けば、番台に座っていたおじいちゃんがお亡くなりになっておじいちゃんの持ち物を親戚の方がひきとっていたのだが、その親戚の方とどうゆう接点を持ってだかはわからないが、「必要な家具があるならウチに処分しようと思っているものがあるから、いるものだけを持って行ったらええよ。」と、離婚して独り住まいのコケさんへお呼びがかかったらしいのである。私は聞いていて鳥肌が立った。運命というか縁というか不思議というか、目に見えない何らかの力があるように思えたのだ。ゾンタのおじいちゃんがお亡くなりになったことも知らなかったが、コケさんがその形見分けにお呼ばれしていることも私は知らない。そして私が宮崎に住んでいるのがそもそも予定外の突発的な出来事であって、私は自分の記憶ではシャンプーは欲しがったけれど、番台を欲しい欲しいと口にしたことはなかったように思う。
「…それであのゾンタの机があったもんやから、もしかしてこれもいただけるものかしら?って訊いたら古いから捨てるつもりだって言うの。ウチの娘が欲しいかもしれないから確認してみる、て言って捨てるのを待ってもらってるの。いるんやったら、もらってこようか?」
「欲しい欲しい欲しい、もらって。でもさ…私、コケさんにあの机が欲しいって言ったことあったっけ?」
「いやー…おぼえんけど…なんか見た時に『あ~コレはまぅが欲しがりそうじゃぁ…』て思ったもんやから。兵庫におるんやったらもらってもねぇ、届けられんけど?今なら届けられるからね、ほならもらっとくわね。」
「嬉しいわ、ありがとう。…嬉しいけど…今…すっごい不思議な気持ち。なんでこのタイミングで私…宮崎に住んでんねやろ…」
「さぁ?それは知らんわ。」
ごもっともー。
こうしてこの不思議な縁により、ゾンタの番台は形見分けというかたちで私のものになったんである。

しかし宮崎の仮の住まいは「その日暮らし」に見合った狭さであったため、番台を置くスペースがなかった。それでとりあえずはコケさんに預かってもらっていたのだが、そうこうするうちに私たち家族はさすがに食えなくなってきた。職の無い宮崎に定住することは、流離いの生活をするような人間にとっては金が無ければ不可能。むーちんの両親に100%の世話をかけて再び兵庫県へと戻ることになったのである。お金の無い私たちは引っ越しも自分でする。単身パックで荷物をむーちんの実家へと送り、残りはトラックに積んで車もろとも船に乗る。乗らない荷物は処分する。引っ越し貧乏とはまさにこれである。捨てて買う、捨てて買う、捨てて買う。大半の物を私たちは捨てなければならなかった。兵庫に戻るからとコケさんに形見分けの番台を届けてもらっていたが、どう考えても番台が乗るスペースは無い。兵庫からわざわざ引っ越しの手伝いに来てくれていたおかーさんは、私に諦めるよう説得した。「どうしても、いるの?」「机なんて、向こうで買えば?」「わざわざ持って帰る価値ないでぇ?きったないきったない…いるか?」と、その諭しの文句に私は深く傷ついた。しかし、おかーさんの言っていることは正しい。必要な物は必要だ。積んだものの中からどれかを捨てるという選択は出来ない。不必要なものはすべて捨てているのだ。もったいないとは思いつつも捨てて、荷物は一回で運べるようにすべきと選んだ物だけを積んでいるのである。机ならどこにだってある。番台が我が家の唯一の机というわけでもない。多額の金を使わせてわざわざ宮崎ぐんだりまで足を運ばせた挙句、嫁は手垢にまみれた落書きのひどい、抽斗の取っ手がぐらついているようなやたらと重い文机を、トラックに積んで欲しいとぬかす。私が姑なら嫁に言う。「てめぇ…背負って走って帰って来いっ!」
実は形見分けはもう一品「揺り椅子」があった。コケさんがもらったものであったが、譲ってもらったのである。これも積んで欲しいと希望していたのであるが、「もし積めたとしても、どっちかひとつしかムリやで…」と言うおかーさんの選択は「揺り椅子」であった。揺り椅子やったら和室でおとーさんが使っても…という基準である。

良い嫁なら、おかーさんの意見に従うべきであったろう。しかし、誰の目にも価値など無い机であったとしても私には揺り椅子よりも価値があったのである。「良い嫁」の評価欲しさに自分の気持ちを偽ってしまったら、私は生涯、後悔すると思った。この時のことを事あるごとに思い出し、そしてそれは後々、自分の気持ちを偽らざるを得なかった状況だったのだと認識することになるのだ。後悔はやがて恨みになるだろう。その矛先をおかーさんに向けることは想像に難くない。どんなにおかーさんの言っていることが正しくても、だ。ひとは「そうなった自分」を決まって誰かのせいにする。自分が立場の弱さから諦めたことを、権限のある者のせいにするのである。自分自身が弱気になって先に手を引いたくせに「許されなかった」のだと思うのだ。自分の偽らざる気持ちは尊い。それを口にし主張したならば、たとえそれが許されなかったとしても誰をも恨みはしないだろう、全力を尽くしてのちの後悔の気持ちは時間と共に自分の中に消化されるように思う。私はこのことひとつでおかーさんを恨みたくはなかったのである。私が駄々をこねることで、血の繋がりのないおかーさんとは摩擦が起こりはするだろうが、諦めれば最善を尽くさずしての後悔である。私から手を引いてそれを「諦めさせられた」という風に思うのだけは嫌だった。私の口からはもうこの一言しか出なかった。
「揺り椅子をあきらめるので…この机は…持って帰りたい…。」
私の返事のあと、溜息と沈黙が同時にあった。そして動いたのはむーちんだった。私に「積むぞ。」と言ってむーちんは、一度積んでしまった荷物の位置をどーかこーか変えて番台のためのスペースをこさえ、一番上に揺り椅子を積みあげた。そうすることで運転しているむーちんは後ろが見えないということになるのだが、形見分けの二つは縄でガッチリと車に固定された。私は、偽らざる気持ちは尊重されるということを痛感した。

私たちはむーちんの実家へ戻り、おかーさんは私たちの引っ越しを手伝うために休んでいた仕事へと行った。おかーさんが帰って来たらみんなでおやつを食べてから私は夕食準備のお手伝い。おかーさんは花嫁修業を一通りしたひとなので、料理の苦手な私が「何かお手伝いを…」と言っても「今日はもうカンタンにするからええで、子供と遊んだりー。」と言うことが多かった。おやつの時にいろんな話をしながら、夕食のメニューをおかーさんは言う。「今日はカレイを煮つけよ、おもて。サラダもすぐ出来るし、あとはもうカンタンやからな、準備も、なしっ!」そんなカンジ。
私たちが同居してから数日経ったおやつの時間だった。
「まぅちゃん…ゴメンな。私、今日、みんなに怒られたわ。」
と謝るのである。
「…へ?ナニがでしょう?」
おかーさんは笑いながら、あのまぅちゃんのきっちゃない机よな~、と言う。職場で昼ごはんをみんなで食べている時に、息子さん夫婦の引っ越し終わって今は一緒に住んでるんやんね~?という話題になり、その時におかーさんはみんなに披露したそうである。
「それがウチのヨメさんが、傷だらけのきっちゃないきっちゃない机をどーーーーしても持って帰りたいゆぅねやがな~。荷物ももう乗れへんし諦めぇゆぅたけど、ボロボロのその机が諦められへんゆぅてなぁ…。」
高級品でもないねやで?いくらでも机はあるし、同じようなん買ぅたるがなゆぅても、その机がええゆぅてきかんさかい、しゃ~ないからそのボロボロの机、積んで帰ってきたがな~、捨てていきーゆぅても捨てられへんゆぅねからなぁ…何の価値もあらへんのに~っ。と話したトコロ、「アンタ、そら、ヨメさんが可哀想やで。」と言われ、おかーさんは驚いたそうである。
「私、『ええ~~~~?!』ゆぅてな?どんだけきっちゃない机やおもてんのん?ほんまボロボロやで?そない価値あるもんにも見えへんねけどなぁ…ゆぅたんや?そしたらな、『そらアンタはそうおもとっても、ヨメさんには価値のあるもんやねんやろ。そんだけ捨てられへんゆぅてんねから、大事なんやと思うで?ボロボロでもきっちゃなくても、ヨメさんがええと思うんやったらヨメさんには価値があってやわ。それを『捨てぇ』ゆぅて、ヨメさんが可哀想やで~。』ゆぅねん。私…汚いしボロボロやし価値ないわおもてあの時、捨てぇてゆぅたけど、悪かったわゴメンな。まぅちゃんにはまぅちゃんの価値が、あったんやな。」
「あるんですっあるんですあるんです、私には価値が。いいんですいいんです、あの机、ココにちゃんとあるんですから。」
夕食準備免除の午後の時間、私は二階の番台を撫でくりまわしながらジワリと泣いた。出戻りしてからの同居生活、目に見えた摩擦など姑と嫁の間には無かったが、少なからず気にはしていたのである。おかーさんにとっては邪魔でしかないものを、我を通してまで同居生活に持ち込んだわけである。無論、私にはその価値があって傍に置きたいと思ったからの行動ではあるが、おかーさんを呆れさせるほど大切だと言い張ることが果たして「よい」と言えることなのか。
おかーさんに「私には私の価値があった」と認められたことで、私はあの時、自分の気持ちを偽らないでよかったと思った。そしてそれを報告して「ゴメンな」と言ってくれたおかーさんに主張したこともよかったのだと思えた。だって、職場での出来事をおかーさんは私に報告することなんてしなくてもいいのだ。それでも話してくれた。それがおかーさんの偽らざる気持ちである。きっちゃない机に価値はない、って思ったこともおかーさんの偽らざる感想である。そしてそれを同僚から怒られたことを「怒られたわ」とおかーさんは偽らずに口にした。偽らざる気持ちは尊い、そのことを私はまた実感した。

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こうしてこの番台は今、伊丹の狭い狭い文化住宅にドデンとある。引っ越し当初は最低限の生活が出来るだけの荷物しか持って来られなかったので泣く泣く諦めたが、捨てるのではなく預けているだけなので実家に帰ればいつでもそこにあった。たまに行けば抽斗を開けて「やっぱいいな」と思う。そうすると手元に置いておきたくなるもんで、週末に子供らが泊まりに行った時に「帰って来る時に番台を持って来て欲しい」と頼み、届けてもらった。運搬を手伝う羽目になるチョモはその重さデカさに「ドコに置くねんっ」と頼んだ時からイヤイヤだった。「まぅが持って帰って来いゆぅねんアレ。家せっまいせっまいのにー、どんだけ重いおもてんねん、あの机…」と愚痴っていると、おばーちゃんは笑ったそうである。
「こんなんが要るゆぅてんのんかぁ?またあの家のドコに置くつもりやろなぁ?置けるんか?て、おじーちゃんがゆーててんけどなぁ?僕が、やろぉ?まぅが置けるって言うねん置けへんのにっ、てゆぅてたら、そら~あんだけきっちゃないのを宮崎から持って帰るゆぅくらいの価値がママにはあんねから~でもドコに置けるんやろなぁ~?ゆぅておばーちゃんわろてたで?」
私の価値はすっかり笑いのタネになっているが、思い出がうんと詰まっているその笑いは、今の私には清々しい。
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by yoyo4697ru980gw | 2009-06-24 16:06 | +開楽館+ | Comments(2)  

Commented by ポバヤシ at 2009-06-29 08:16 x
昔はその番台、オレの身長より高いとこにあったなぁ~。

おっちゃんは肌着に甚平の下みたいなの履いて、ウチワ片手に野球観戦。

風呂あがりのつぶつぶオレンジが好きだったなぁ。
Commented by MA姉 at 2009-06-29 08:50 x
あったねぇ…番台を見せてあげようとよかれと思って抱き上げて、突き出た木の板台にガコーンて脳天打ちつけさした事、二度や三度ぢゃなかったんじゃないか?
サンAかどっかの、つぶつぶオレンジな。
レトロな缶のな、ぁあ~懐かしいねぇ。

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