勤め人と商売人と職人と 船をみつけた船長と

思うに「勤め人」と「商売人」の大きな違いは、「稼いでナンボ」の意味合いが違うところにあると思う。
サラリーマンであるむーちんは、残業をすればプラスで稼げるが、就業時間内にサボろうが重労働をしようが給料は一定である。
しかし商売人は「売っただけ」が稼ぎ、職人は「やっただけ」が稼ぎである。職人には日当の計算が明確にあることもあろうが、例えば3000円の売り値をつけた細工物を作ったとして、それを1週間でやっても3週間でやっても3000円であるが、1週間で仕上げられる物を3週間もかけてしまったら、次の仕事に着手できずに稼ぎは減ってしまう。サボれば即、収入にひびくわけである。サラリーマンが怠けても「即、日給月給にひびく。」という事態にはならない。しかし、いつまでも怠けていれば出世にはひびき、怠け続けたなら首が飛ぶだろう。

以上を踏まえまして。

昼間のパートを辞めてから半年、私への風当たりが非常に、キツい。もともと、5時間以上は働かないと言い切って働いていた時から風当たりは強かった。商売人のマチ関西では、稼ぐ嫁が良妻である。我が子が中学生にもなり19時くらいまで帰って来ないとなると、何の理由があって働かないのかの「求職拒否原因」というものが要る。6年生であるヘイポーが中学生になり部活をするようになればこの風当たりは、真夏の台風をも思わせる集中爆風になること請け合いである。私は、どんな理由を用意しようか。今は「引っ越しを控えているので、引っ越し先で働き場所を探すから。」というもっともらしい理由を挙げることが出来るが、引っ越してしまったらその理由は跡形もなく消える。むーちんの親も私の親も「勤め人」ではないので「怠けモノ=稼ぎが無い」といった認識であるようで、働けアピールがスゴいの。「働いているとなかなかコッチには帰って来れないんじゃろう…?」と訊く宮崎の祖母サヨさんには「う…う、うん…、そ、…そうね…」と返事したあとで小さく「…辞めたの。」と言ってみた。
そりゃ、家だって狭いし「やりくり」という金勘定をして暮らし、時に何かの返済期限が一週間ほど遅れたりもする。口減らしをするか労働をするか、というニ択がある場合、働き手があるのならその選択「労働」でまず間違いない。しかしながら「借金」と名の付くものは1円たりともないので、いいぢゃないかとその「働き手」が思っている。明日の水にも困るような「喰えない生活」はしていないのだからいいぢゃないの、と思っている。…のは、私だけのようだ。
もし我が子が何かを習いたい、と言ったとする。その月謝に2万かかるとする。今の我が家の経済状況だったら、やりくりでその2万をどうにかできる自信が私にはある、なにも私が働かなくともネットとタバコをやめて、おやつを半分に減らせば2万は可能だ。それが月謝4万となれば無理である。その時は、週に2日、働く所存である。私はそのような計画で十分であるが…ダメかね。いるかね、蓄えが。月1万の貯金では、ダメなのか?

朝の激安セールへと出掛けた、歩いて。雨が降っていたからね。あきらめてもよかったが、これは私が仕事を辞めた分の「やりくり」のひとつであるので行かねばならない。これっくらいの努力で働いていた時の金額をカバー出来るのならオヤスイ御用である。時間はたっぷりあるのだから、歩くよ30分くらい。

と、行って買って帰って来るだけの買い出しのハズが、朝一だったこともありそのまま散歩へと発展。
ひとんちの裏とかを歩く。あ~ココ、引っ越し当初に散歩して迷っておばーちゃんに道きーた所やなぁ~…いや?ココぢゃなかったかな…もうちょっと向こうだっけそれは…いや?ココか?…とか思って懐かしむ。大丈夫かなぁ…私の方向感覚…どんどん鈍くなってる気がする…とか思って心配になる。やっぱ社会に出ていろんなコトを学んだほうがいいんちゃうかなぁ…いや待てよ?働いたからって方向感覚が鋭くなるわけでもねぇよなぁ…などと思って歩きながら働くことのメリットを挙げてみる。働くことのメリット、大きなメリットはだたひとつ「収入になる」ということだ。こないだ、「働く理由」という本が平積みされていてそれをみたヘイポーが私に「まぅ…働く理由が書いてるみたいやで、読んでみたら?」とススメた。ヘイポーと散歩に行くと今までは、途中でアイスを食べようかとかカラアゲを食べようかチョモには内緒やでとか駄菓子屋に寄らない?とかおやつ込みの散歩といった娯楽であったが、最近では「夕方になってから買い物のついでの散歩」というパターンが増え、「なんかすっごく今アイスが食べた~い」と言うヘイポーに「もう帰ったらすぐ夕食にするから買わない。仕事辞めたし、節約・節約。」と私は呪文のように毎回、唱えている。70円のコロッケ2個を節約する経済状況だということをおやつで理解しているヘイポーである。コロッケのために私に働けというアピールであろうか。
「あのさぁ…ヘイポー。私…『働く理由』ってもう知ってると思う。働く理由ってのは『お金が欲しい』やと思わへん?職種を選んだ理由、やったら『この仕事をやりたい』やと思う。働く理由ってな、ハッキリしてる。私、『働かない理由』のほうが知りたい。生活費が稼げないのをわかってて働かないって言うならその理由は『かなり深い』か『かなり浅い』かのどっちかやな…。人によって理由も違うやろし…そっちが、知りたいわ。」

働く、と私が決める時、その時の理由はハッキリとしている。「生活費が3万円以上足りない」と感じる時である。この3万円が無いと喰ってゆけない、そう実感していれば、喰うためなのでどんなに辛い仕事でも耐え抜くべきだ、と思えるのである。しかし「おこづかいとして3万円欲しい」と思って働いた場合、私は辛い仕事に耐えた試しがない。こんなに辛い思いをしてでも今3万円が必要か?とすぐに思ってしまうのだ。時間が欲しいか金が欲しいか…時間だ。だから時間だけがあって金が無い。貧乏な暇人というどーしようもないポジションについてしまう。何をしてヒマを潰そうかな~と考える時間が無いということが、何よりも酷である。そんな私なのだから「働きたい」という気持ちになるには、自分がやりたいと思っている職業に就くことがベストであるように思える。どんなに辛くても耐えられるのは、その職業が好きで好きでたまんないからである。仕事というのは何だって辛いことが起こる。好きだったら耐えられる、だって好きなんだもん。ほかに理由が…あるのか?
豪華客船に客として乗るのと、漁師として漁船に乗るのと、海の上にいるのは同じでも喜びの種類が違う。かたや娯楽としての喜び、かたや労働の喜びである。漁師の豪快さを見るにつけ私は「このひとはこの仕事が本当に好きなんだなぁ~」と感じる。好きで好きでたまんない、というカンジが豪快さによく出ていると思うのだ。好きな仕事をしていると、人間って豪快になるのかも。やりたくもない残業を終えて終電に間に合った、というようなサラリーマンに豪快さはないが、仕事がうまくいって打ち上げで呑みまくったサラリーマンは、終電に乗り遅れてもかなり豪快である。その豪快さが続くよう普段の実務も好きならいいのだか、コツコツとした仕事に向かうため毎朝毎日豪快に通勤電車へ乗り込むというサラリーマンに、私はお会いしたことがない。だったら自分のやりたい職務に、就きたい。「働きたい」と思えるように、私は労働に喜びを感じる自分の船を探したいのだ、きっと。しかし、条件は厳しい。
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私の船は、なんと笹舟『模造丸』である。浮かんでいるのも水溜り。
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似せて作った船なので、モロい。
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櫂で漕げども漕げども水が無い。
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ちゅ~かなんぼほど昔に座礁してんねんっ。
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by yoyo4697ru980gw | 2009-06-13 23:42 | +開楽館+ | Comments(0)  

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