見返す記録とココロザシ

「リンゲンの言葉にカチンとキた。」
陸上の試合の、2つか3つしかない1年生の選抜枠に絶対に入ってやるとチョモは言い捨てた。
「絶対、入ったんねん。絶対に。」
「はぁ…。…頑張れば?」
1年生だけで20人はおろうかという陸上部で、試合に出られるのは2名か3名である。もちろん上位2名・上位3名という、記録を出せた者のみの枠で弱肉強食。走りの早い1年生が4名ほどいて、うち2名は「走るためのカラダ」が相当に出来上がっており顧問のリンゲンからの期待も大きい。チョモは背が低くて体も細身なのでたいした期待はされていないようだ。
「ミズオがリンゲンから『千徒クン速いで』てきーたゆぅてたやろ?アレ、完璧、お世辞やったみたいやな。」
あぁ、そぉ?なして?と訊くと、リンゲンの期待する2名のどちらかと一緒にタイムを競って走っていた時に、リンゲンはその期待大の生徒に向かってこう言ったそうである。
「お前、ヘタすると千徒に負けるぞ?」
僕の頑張りって…ヘタした結果かよっ。
そう思ったチョモはカチンとキて、リンゲンを見返したるっ!と選抜枠をトりに行くことに燃えはじめた、というわけである。「リンゲン、頑張る生徒は応援するって言ってたのに…ヤル気を挫く言い方すんねなぁ…。」そう感想を言ったが、ひとつ思い当たるフシが私にはある。
チョモは、非常に努力家である。いったい誰に影響を受けたのかと思うほど、何が楽しいかは知らんが努力をするヤツなのだ。そこまでヤったら逆に無駄だろうて、というほど努力を惜しまない。しかし、その努力を決して他人には見せない性格をしている。みんなで頑張る・共に頑張る、という姿勢でなく、ひとりで頑張る・ひとりで努力、の個人集中型である。他人がひとり加わったダケで、120%努力している姿が「無気力」に見える、という厄介な見た目の努力をするのだ。どうしてだろうか、原因は全然わからない。照れとかそうゆうことだろうか。わからないけど、チョモが頑張れば「手を抜いている」ように見え、チョモが努力すれば「とりあえずカタつけた」ように見えるのだ。どう見ても「言われたからカタチだけヤってます」という風にしか、見えないのである。本人は、フルの力で取り組んでいるのに、だ。
オンチのチョモがすごく努力して音をつかみ発声したのに、音楽の先生が「君から頑張ってるという感じを受けない」と言って、ピアノのフタまで壊してご立腹したという話を聞いた時にも、同じように思い当たった。そうなのだ、チョモ。アンタは頑張ろうとするほどにテキトーにヤっているように見えてしまう、ヘンなヤツなのだ。先生の言葉にチョモは「一所懸命、音を聴いたし、こうかな~ああかな~って声も出してやってみて、もうこれ以上どうやったらいいかわからんまで考えて『あ~~~~』ゆぅて、『君は一所懸命にやってないんよなぁ…』やで?どうせぇっちゅーねんやし…ピアノ壊して…アレ高いのに…。」…う、うん。ピアノの問題はどっか置いておこうか。そもそも考えすぎてんぢゃないか?考える前にもっと声を張ったらどうだろう、音が合っていなくても。自信のなさがボリュームを下げているとは、考えられないだろうか。伝わらない一所懸命さ、って何が原因なのだろう。

逆のパターンのひともいる。何も頑張っていないように見えるのにヤれるひと、である。サボっているのにデキるひと、である。陰で努力をしているか、それとも才能か。実は、どちらでもないのである。学生の時の私自身が、まさにそう見えている生徒だったのだ。私は努力をしなかったし、才能なんてなかった。ただの、意地だけである。そりゃ、意地だけで記録が出せるということはない。それなりの素質はいる。けれども、自ら陸上をしようというヤツが「運動会ではいつもビリ」ということはありえない。「走りなら得意」という自覚があって陸上を選択するのである。部活を陸上にする時点でそれなりの素質は入部する全員が持っていることになる。高校生になってもチビでヤセの私が、選択希望者がひとりだけという「ハードル」を選んだ時にコーチは「オマエはひとりでやれ」と指導放棄的な態度であった。すすめられた種目を選ばなかったことが反抗と取られたのかもしれない。オマエはハードルでは記録が出せないと言い切られ、このコーチを見返したいという意地だけで取り組んだ。しかもコーチがいる日は練習に出ないという反抗的なやり方で。予選落ちだと思われていたので予選落ちだけはヤだ、とコーチがいない日にだけモーレツに頑張った。結果、試合でどこまでイったかは忘れたが2回か3回くらい勝ち進み、予選落ちはしなかった。ちょっとした努力では、ちょっとした結果しか出せないのは道理である。試合後にひとりひとりがコーチに呼ばれ反省点の指導をもらうのだが、コーチは私の試合のベストタイムを告げてからこう言った。
「練習をサボってこのタイムなら上等なんじゃないか?満足したか?」
私はこの言葉で退部を決めた。褒められず認められなかったことが理由ではない。コーチが、記録を出すような先輩でも決して褒めたりはしないことなんて誰もが知っていることであったし、この日は山のような反省点がダダダーと雪崩を起こさないだけマシだったほうである。私はこの言葉に「コーチを見返してやるーーーキィーーーーっ!」という思いしか今後も持たないな…と、思っている自分に気付いてしまったのだ。浅ましい…。なにがスポーツマンシップだよ…思いっきり、クサっとる。ほら思春期ってサ、打算から遠いトコロに居るからネ。十代の私には、向上心や志を持って走ることが何より重要なことであった。「青い」てヤツである。なにクソという思いでしか走れない、見返してやるという思いでしか記録が出せない。そういった陸上をやりたいとは、当時の私は思わなかったのである。今になって思うのだが、コーチは私の性格を当時しっかりと見抜いていたのである。向上心や志を持って私が取り組むことは、まったく上手くゆかないのだ、何においても。向上心や志を前に置いて「こうでなくちゃ・こうでなくちゃね~」とルンルンしていると私は、現状に甘んじているのに満足する、といった性格をしているようである。負けず嫌いで意地になる私の性質は、悔しさをバネに伸びるのである。なんてイヂ汚い気質であろう。あぁ穏やかに…あぁ上品に…あぁ生きることに美しく…、そんなコトにこれほど焦がれているというのに、私の気性がそれを求めるのを許さない。そうだった…所詮…私はそうだった…。忘れていたわけぢゃないのに…見て見ぬフリを…かましたなぁ…。

性懲りもなく、でも私は未だに思っているのだ。
向上心や志で走るのと、なにクソの精神で走るのと、どっちでも記録を出せたとして、この二つには「残ったもの」の違いがあるのだと。
その「残ったもの」から何を学ぶかは、個人の受け取り方の違いだろうと思う。自分さえしっかりしていれば、何が残っても悪いものにはならないだろう。しかし私は、向上心や志で走るほうが断然、自分をしっかり保てるのだと思えてならない。
しかしこれは私の場合の考えかたである。どれをよしとするのか、なにをどう感じるかは、自分で経験して気付くほかない。だから私は、チョモに何も言わなかった。本人が見返したい根性で走り記録を出した時に、何かが残って何かに気付くのなら、それが一番よいのだろう。

「ぅあーーーー…しんどい…一位になってきたー…次も絶対…一位になるー…絶対…選抜トる…」
一位になったチョモは、前かがみになって命からがら帰って来た。…そうなるよな…あの背のた~かいコの誰かを相手に一位をトったとすれば…そうゆうカラダに…なっちゃうよな。私もチビだったから経験あるよ…倒れたことが何度も…吐いたこともあったし…。なにクソの精神は早速チョモに記録を出させたようである。…見抜いてんなぁリンゲン、チョモの性質を。
「なぁ…選抜トれたら、2万円のスパイク、買ってくれる?」
「買ってくれない。褒美を与える陸上をさすつもりはない。その8千円スパイクの記録をまず出せよ。記録を出してやっと当たり前のコトをしとんや。」
リンゲンに「ヘタすると」と思われないくらいに、記録を維持することだね。
性質を見抜かれていることには、ヘタすっともう気付いたか?
そのちんこい体だと人一倍の努力が必要だろうて。
身長は一気には伸びてくんないだろうから、なにクソの気力でフォローするのが記録への近道ってコトなんだろうな。
記録が出せてもよい選手にならなくば、おかーさん…シバきますよ。アンタはヤればデキるコぉやでぇ~。
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by yoyo4697ru980gw | 2009-05-29 11:15 | +開楽館+ | Comments(0)  

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