どうでもよいことを考えはじめたらキリがおへん どうでもえぇのについつい考えてまう どなたサンもその状態が「ミルニング」どすぇ

いわなみサン

4月のチョモの誕生日に「欲しいものが思い当たらない」と言うのでじゃぁ思いついた時に買おうかということになり、半月経っても思い当たらないので「ガムでいいや」と言っていたのだが、5月になって「欲しいモノのカミ」が突如、降りてきた。国語辞典である。
チョモの辞書使用中に「ジショ。」と私が一声を発すると、一も二もなく字引き途中であっても即刻返却せねばならない。だってその国語辞典は私の持ち物であるから。小学生の時に「学校に持って行きたい」と言う事があっても、持って行くことはならない、私は毎日引くから持って行かれては困る、と決して貸さなかった。そこで、知人から不要の国語辞典を譲り受け専用として用意したのであるが、あれはドコに隠し持っているのだろう。引いているトコロを見たことがない。熟語の意味を調べることの多くなったチョモは、隠し持っている小学館の辞書でなく私の岩波を引く。
「ジショ。」
「…はい…」
「ジショ。」
「…へい…」
「ジショ。」
「あー…待って…ち…」
「ジショじしょ辞書!!」
「あいー…。あ・辞書にする、誕生日プレゼント。」
中断させられる厄介から「欲しいモノのカミ」降臨。

辞書は採録総語数の多さ、と主張するチョモに「引きやすさ重視やで」と意見すると、確かにソレはあるよなぁ…と同感するチョモ。
「あの『あかさたな』が書いてナイだけでひきにくいもんやねんなぁ…?」
と言う。我が家以外で辞書を引いたことがあるのだろう。ちょいと古めの国語辞典だったに違いない。
「…自分で書きゃいいぢゃん。私の辞書な?アレ自分で書いたんやで?」
「え?アレ自分で書いてんの??」
「自分で書いた字してるやろ?ザツで汚くていかにも小学生みたいな。」
「えーーーーまぅが小学生の時?!…長いこと消えへんもんやなぁ。」
油性マジックだからな。
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私の言う「引きやすさ」とは「全く読み方がわからない漢字をいかに手間無く引けるか」である。よって「部首検字」が出来なくてはならない。しかし漢字によっては自分の思っている部首と実際の部首が違うということがままある。「うかんむり」かとおもてたら「あなかんむり」とかね。そうゆう時でも岩波は「引くと思った~」と言わんばかりに「うかんむり」の部に「空」があり「空→穴部」と親切に道案内してくれるのだ。岩波の「やるぢゃん」な道案内はこれだけに留まらない。弓で引けば「弓→一一二八6」とページ数まで教えてくれるのだ。これは1128ページの6段目にその部首の漢字と読みが書いてあるということである。そして1128ページ6段目を引けば「彌→ミ(九五八上)」とある。958ページ上段に「彌」の意味があると教えてくれるのである。そしておまけとして、こういったあまり使わない漢字にはその漢字を使った熟語がいくつか出ていてその読みまで書いてあるので、ウマくいけば最小回数の部首検字2回で「彌勒」が「みろく」と読めるのである。とりあえず読みだけを知りたい時などは非常に便利である。さすが広辞苑の岩波、引き手の腕の短さをよく知っておいでだ、孫の手なしでもかゆみがおさまる。この孫の手いらずの岩波で引き慣れてきたせいか、中学か高校の時に学校が薦めた「新明解」の辞書にどうも馴染めなかった。我が家はおこづかい申告制度であったため「ドコドコに行き何をするのにいくらいる」という計算を出してそれが認められなければ現金をもらうことが出来なかった。申告した金額より少なめに渡されることが多かったので本当に必要な物しか買うことの出来ないおこづかい環境であったのだが、本と文房具だけが例外で「ただ欲しい」だけであっても買ってもらうことが出来た。この時も「辞書は既にあるのだが学校がススメているから一応買い替えてみよう」という動機だけで買ってもらえた「新明解」であったのだが、私にとっては引きにくくハッキリと無駄な出費となった。早々にして岩波の辞書に切り替えたのであるが、私の第二版の岩波はもともと祖母の持ち物であったため内容がだいぶ古く、載っていない語句があった。引き易さで岩波を取るか採録語数で新明解を取るか、迷うトコロであるが引き易さの岩波でイった。私は「新明解」に手が伸びたことはない。「あっても引きにくかったら手に取らない」それが私の結論だ。手に取らなければ辞書は嵩張る紙である。函無しカバーなし本棚になし、この三拍子が揃わなければ私にとっての辞書はその役目を果たしてはくれないのだ。
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以上の経験を踏まえ、「新明解か岩波やな」というポイントを絞った国語辞典捜索が始まった。手に取ってそのカンジを掴んでこそ辞書であるので書店へと赴いたのであるが、どうゆうわけだか店頭から「岩波」が消えていた。市内の心当たりの書店は全て行ったが、一カ所にだけ、横組みの岩波があったのみ。
「横組みってナンやね~んっなんで横やね~んっ」
とこれには世代を超えたブーイング。市内の高校オススメの「新明解」だって縦組なのに。岩波は横になったのか?!ラクな姿勢をとっているばやいぢゃないぞ岩波っ!起きるんだっ!今こそ立ち上がれっ!!

ネットで調べたら確かに「縦組の岩波」が存在する。私たちは大阪にまで足を延ばし「縦組岩波」の捜索をした。4F3F2Fと、ジャンルを分けるのに階まで分けたデカい書店にも行った。が、ない。2日もかけて探し回ってナイのだから注文するか、という案まで出た。しかしモノが辞書だけに、手に取って繰るという「試しパラパラ」でわかる「手ごたえが」があってこそ「やっぱ岩波」という確信が欲しい。ソコがどうしても諦めきれないチョモ。
「要は最初にドコの辞書で引いたかってコトやねんよな、引き易さってサ。」
と私が言うと、
「そうやねんよなぁ…もうまぅの岩波で引いちゃってるからなぁ…」
それが「慣れ」ってヤツだよなぁ…「引いちゃってる」って後悔でもしてんのかよっ。
「やっぱ…岩波か…」
「…うぅむ…もう次でなければ『新明解』にするわ…とくべつ引きにくいってコトもなかったし…」
ほとほと疲れたチョモは妥協し始めていた。何十年と岩波で引いてきた私にはもう「岩波回路」が出来上がっているだろうが、たかだか何年のチョモはまだ「岩波回路」を「新明解回路」へシフト出来るだろう。そう悪くはない選択に思える。

最後の書店は非常にスリムな佇まいであった。スーパーの書籍コーナーくらいの規模。
「うー…なさそう…」
私たちは入店する前からそんな感想を抱いた。誰かが立ち読みをしていたらすいませぇーん…と小声で言って斜めにすれ違わなければならない通路、ラックの壁面以上の幅を取らない平積みスペース、大きな書店の半分量も無い辞典のラック…望みが…小さい…と!!思いきや二段目にひとつだけ燦然と輝く縦組岩波。
「チョモ…い…いわなみ…」
まさかこんな場所でお目にかかるとは。誰が予想できたであろう、岩波がひっそりと埃をかぶって存在しているなんて。いつから…いつからココに居たの、いわなみサン。いわなみサン…そんなに…売れてないの…?
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「最初から小さい書店を探せばよかった…」
マイナーな辞書だったのだろうか、岩波。岩波の辞書をお探しの皆さん小さな書店から探してみてください、大きい書店にはありません。
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これが私の岩波。第二版。
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これがチョモの岩波。第六版。

編んでいる人物が全く変わっていないことに驚いた。変わることなく改訂。
岩波はずっと変わらず、二色刷りでもないしイラストでの説明もなくシンプルなことこの上無いスタイルを崩していないようだ。
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しかし『あかさたな』を自分で書き込まなくてもよくなった。
引き易さを高めていっている岩波よ、間違いなく我が家は未来永劫「いわなみサン」に惚れることであろう。
『あかさたな』を書かれちゃぁね、玄孫の代までメロメロさ。
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by yoyo4697ru980gw | 2009-05-07 10:43 | +in the sky?+ | Comments(0)
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