大変化なし

阿川佐和子女史のエッセイを読んでいたらこうゆうエピソードが出てきた。アガワ女史が若かりし頃、大変な結婚願望にとり憑かれていたことはご本人もそして周りも読者も「うん、うん」と頷く決定的な事実であるが、アワガ女史は幸か不幸か独身でいらっしゃる。いまさら結婚などという願望は神のイタズラでもなければ持つ気もござらん、という心情であることが文面から窺える昨今のアガワ女史であるが、その若かりし「結婚こそ女の道」と信じて疑わなかった時代に結婚についてのインタビューで「なぜ結婚したいか」という問いに、回想するとなんとも偉そうでお恥ずかしいとは言いつつも、当時の本気の回答をこう述べておいでだ。

もちろん自分を大事に思ってくれるパートナーが欲しいということもありますが、いちばんの理由は子供が欲しいからです。子供を産むという産みの苦しみを経験し、自己を犠牲にしてその子を育てれば、必ずや人間的に大きくなれそうな気がする。母親って子供のためなら自分のしたいことも欲しいものも我慢してニコニコしていられるでしょ。女にとって、そういう経験をすることは、自分自身の成長のためにも必要だと思うから(「サワコの和」我慢よいずこ より抜粋)

なんともはや、アガワ女史の母上は母性の塊のようなお人だったに違いない。
そうか…母性溢れる母親がいれば厳格な父のもとで育った娘はアガワ女史のような考えを持つのか…と唸った。結婚願望を持ち、子を育て、自分自身の成長の糧にしたいと望むのである。

とくに結婚願望もなく成りゆきで結婚、間もなく妊娠出産を経て、現在。確かに、産みの苦しみと痛みは経験した。まだ出産経験のない女子を怖がらせるようで恐縮だけれど出産の痛みとはこの世のどの痛みとも、格が違う。「鼻にリンゴを詰めるくらい」や「下唇を頭のテッペンまで引き伸ばすくらい」といくつもの比喩表現は私も耳にしたが、そんなナマ優しいモンじゃ、ねぇ。そんなん、何ゆぅたってただのお慰み。各国の言語の限りを尽くしても、比喩は無理だね。私は出産するまでこの世の痛みの最たるものは骨折であったが、今では迷うことなくこの世の痛みナンバーワンは「出産」である。しかも、えれぇダントツ。なんならあの世を入れたって断然トップ。地獄の針の山なんて素足で駆け登れるほど、比じゃねぇから。しかし少女たちよ、恐れるには値しない。女というだけで、その痛みに耐えるだけの根性は既に備わっている。「産みの苦痛」はどえりゃぁヒドいもんだけど、格の違いは「忘れる早さ」である。早いの早くないのって、翌日にはカンペキ忘れてる。私って…もの覚えがいいから…なんて心配も無用だ。私は20歳の一番記憶力の確かな時に8時間も苦痛に耐えたが産んだ瞬間、忘れたね。それがええ証拠に私は翌年、また産みの苦痛に13時間も耐えた。一年前の苦痛がありありと体に残っていたら、年子を産むひとなんていやしない。長時間にわたるすんげぇ苦痛なのに、その苦痛の具体的な辛さを何ひとつ覚えていられない、それがこの世の苦痛のベストワン「出産」である。

娘は、フツーに結婚願望を抱き、フツーに子供が欲しいと思う。…ものなのか。なんせ19で結婚しちゃったもんだから、結婚願望を抱いているヒマがなかった。子供も「出来たなら産むけど」程度で出来たから産んだまでである、欲しいと思うヒマがなかった。現在の状況に於いて誤解を恐れず言うなれば、私は子供が欲しいと思ったことは今まで一度だってないのだ。だからって我が子二人をイヤイヤ育ててるってわけでは、ないんだけど。そりゃ親としての責任を持って楽しく育児に励んでいるつもりである。そう、楽しく。
私にとって子供とはいつ何時も「おもちゃ」であった。6才年下の弟なんて生まれた時から現在も「えぇオモチャ」感覚である。幼児がヨチヨチ歩くのを見て「きゃ~かわいい~」と近寄って行ってはこうゆう子供を産みたいと興奮する女友達が山ほどいたが、「うーん…」とはぐらかしながら私は心の中で「おもちゃだ・おもちゃだ」と興奮していた。わ~おちょくりてぇ~・わ~泣かしてみた~い。ヨチヨチ歩いていた幼児がバタン、とこける。2秒、固まる。「うぇええぇええ~ん!!」雄叫びをあげてのち5秒、無言。その間、呼吸は吸ってばっか。全身で泣くって、コレだな。しかし幼児の目から涙は流れない。あ・ウソ泣き、ママが来るのを待ってんな、アレ。確信犯やな、やるでねぇかっ。…よく言われる、私は根っからの「いぢめっ子体質」だと。…しかしこれだけは信じてもらいたい。私は言葉でおちょくって人を傷つけたことは多々あるだろう、しかし危害を加えるような行動をとったことはない。防御の手がつい相手に当たってしまったことはあるけれど自ら暴力をふるって人を痛い目に遭わせたことはない、集団でひとりに威圧感を与えたこともないし、呼び出しには応じるけど自分から誰かを呼び出したことは一度もない。「10円ちょ~だ~い」と数人にお願いしてその合計金額でパンを買ったことはあるけれど、断る選択肢を持たせずに金品を狩ったことはない。私が使った道具は言葉だけである。傷つけたつもりはないけれど、傷つけていたとしたら謝りたい、言葉で。言葉は傷つける道具なだけではないのだから、使い方を正せばいいではないか。相手にとってよい道具となるよう、言葉を選ぼう。私が所持でき且つ共有できる無敵の道具というわけだ。励ます道具であり慰める道具でもあるのが言葉である。そう思うと便利だなぁ~言葉って。おちょくったりすることも、出来てね。

正直、私は自分の子供をおちょくらずに育てていけるのかなぁ、と思っていたが、産んでみたらバッチリおちょくっていた。しかしそのヘンはウマいこと出来ていて、結婚するともれなく父親と母親が倍になる。ダイの大人が6人もいてみ?ひとりくらい、おちょくるヤツが居ても、ど~ってことあらへん。また幸運なコトにはぢめての子供が物心つくまで、私ったら同居である。わからないとアタフタすることもなく、指南役がちゃんと居た。私は…子供のために自己犠牲をしたことがあっただろうか…我慢してニコニコしていたことがあっただろうか…それが、母親なのかもしんない。母親は、我慢してることにすら気がつかないものなのだ。こんなモンだと思って過ごしている。周りからは私も何かしらを我慢しているように見えているかもしれないぢゃん。しかしどう見えていようと当の本人は「へ?自己犠牲による人間的成長?」くらい。これは…結婚がどうの出産がどうの母親がどうのというよりも、個人の性格とその時の環境によるんじゃないか…。私は、結婚する前に考えてみればよかったようなことをいまさら唸っているのである。…長男がもう13才じゃねぇか…しまった…チョモの身長が私に追いつくほどの年月が経過した…。私自身は人間的にさして成長がみられない13年だったような気がする…大きくなりそびれた感がある。どうぞ私を慰め、励ます気があるのならこう言っていただきたい。
「変わらないよね~」
もちろん私はいい意味で受け取るが。
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by yoyo4697ru980gw | 2009-04-22 11:42 | +ミルニング+ | Comments(0)

どうでもよいことを考えはじめたらキリがおへん どうでもえぇのについつい考えてまう どなたサンもその状態が「ミルニング」どすぇ


by MA