ダンミッツ

噂には聞いていたがスゴいらしいグラビア界のホンモノ『壇蜜』をテレビで何度も見て、じっくりと観察したのがかれこれ一年前のコトである。
最近では壇蜜はダンミツバチというCMでしかお目にかからないが、おじちゃん人気は今も健在だろうか。

密かにそしてもちろん勝手に、私が「ビフォー文化人」と呼んで気になってしょうがないふたり、リリー・フランキーとみうらじゅんという、このジャストミートなふたりにキャッチフレーズのようなスローガンのような絶賛を吐かせるとは、何をか言わんや。壇蜜は壇蜜たる存在を知らしめるのを目的にターゲットをギュっと絞り、それがドドン・ド・ドンピシャリと合致をみていることは、このふたりの名が出ることで明らかであった。

壇蜜キャラをプロデュースしている黒幕がいても、壇蜜のセルフプロデュースであっても、ターゲットの絞り方が極端すぎて吉。この絞り方に俄然興味が湧くが、おそらく壇蜜という三十路の女は、世の女性からは、嫌われるか鼻で笑われるという反応しかもらえないことだろう。それでイイ。てか、そうでなきゃ。壇蜜は女の評価など眼中にないから。ポスト高岡早紀!今の高岡早紀ぢゃなくて、あの頃の。女に嫌われてナンボの頃の。その決断の潔さと切り捨ての思い切りの良さと、奔放な偏りっぷり。壇蜜が高岡早紀のように女に好かれようとしない姿勢でいてくれるなら、私は壇蜜を男以上に応援する。だが、壇蜜を応援していることは友人に公表しない。だってもともと少ない友人が減るのはヤだから。しかし、壇蜜が杉本彩のように後半で女性層に好感を持たす言動をするようなら、私は壇蜜を世の女性たち以上に嫌う。そしてそれを友人知人顔見知り、通りすがりのジジィにまで公表する。

そういう応援の仕方を一年前の私はしていた。
世の男たちの壇蜜に対する期待と私の期待は、度合が一緒だと思っていただいて結構で、私は壇蜜を『本能』というフィルターをかけて観ていた。そうゆう意味でしかみないが、採点基準はおっちゃんたちのように甘くはない。少しでも同性の目を意識したらアウトだし、周りの女のリクエストに応えてもダメ。

グラビアアイドルとして売り出して注目されるのはせいぜい1年、という意味だと思いたいが、かつて小池栄子がイエローキャブの野田社長に「オマエおっぱいで喰えんのは1年だぞ?その後からがオマエのチカラ」と言われた、というエピソードを聞いた時に、小池栄子も好きになったが、野田社長の見方が変わった。ただのエロオヤヂだと思っていたが、芸能界に夢を抱く少女たちの最後の踏み台として野田社長は寝そべっていたのかと、深く頷いた。イエローキャブの社長はフツーの感覚ぢゃない、という第一印象はそのまま変わらないが、プライドを持っていなければ出来ない覚悟をさせるひとだ、という付加価値が付いた。
捨て身になって頑張っているうちに本当に身を捨ててしまうひとは多いだろう。
それを絶対に捨てない、という意志の強さを見せる女がしこたまいるなら、女はこんなに簡単に夢見がちなトコロには走らないと思う。

ジェンダーフリーが叫ばれている中、男女同権を主張しない派で肩身が狭いが、私は女に産まれた以上おおいに女を利用してのしあがればええと思うし、男に産まれたからには出来ることを存分にやってみればええと思っている。
私が思う男女同権とは、男も女も無しにスタート地点が一緒だとか条件が一緒だとかいうことではなく、それが例えば仕事なら、男には男の、女には女の、それぞれをいかした適材適所があるから、それぞれがちゃんと向いている部署に就き互いに尊重しながら働くことだと思う。
言うは易いが行うは難し。
そのように機能しているほど世の中は甘くもない。

壇蜜は『おおいに女を利用しています』というスタンスを貫いた。古風なまでにね。女たちの好感を意識する、と踏んでいた私は浅はかだった。壇蜜が意識したのは男でも女でもなく「人間」だったのだ。知恵・知識・専門をプラスしていった壇蜜は、はばかりながらテレビから遠ざかっていったように思う。古風すぎて平成に距離を置かれたカンジだね。魂を売らないとテレビ界の需要に供給はし続けられないのだという現実を、壇蜜が教えてくれた。
テレビ以外のトコで壇蜜は生き生きしている、まさに適材適所を得た女と言えよう。天晴!
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by yoyo4697ru980gw | 2014-06-30 16:44 | +難℃ set key+ | Comments(0)  

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