和して同ぜず

病気が発覚して、真っ先に退いたのがボランティア活動。
仕事を辞めるよりも先に、ボランティアの代表に相談してお稽古から退いた。

ボランティアには様々なジャンルがあるだろうけれど、私のやっているボランティアは『皆さんに楽しんでもらうための余興』という意味合いのオファーをいただいて参加する趣旨のものである。
そこへたった2時間の踊りも満足に出来ずに息があがってしまうような踊り子が来て見ているひとが楽しめるか、と考えた時、私だったら楽しめないというハッキリとした答えが出た。
気分でも悪いのかしら…と心配させてしまうような、見ていて痛々しいボランティアではせっかくの余興は台無しである。
自己満足のボランティアほど、迷惑の押し売りはないと私は思う。
サークルの仲間にしたってそう。本番に参加しない私の身体を心配しながらお稽古をしているだなんて、私は踊りが好きだからそれで楽しいだろうけど、サークルの本来の目的からはズレている。

問題なく元気だった私が復帰がいつかわからない状況で休めば何の重病かと疑問に思うだろうし、話題にも当然のぼるだろうから、私の病状を代表の口から伝えるというカタチで皆に告げてもかまわないので判断はおまかせします、と言うと、代表は『病気を治す間はお休み』とだけ伝えておく、とおっしゃった。私よりも皆とは長い付き合いの代表がそう言うのだから、右に倣え。

力仕事のボランティアや災害復興のボランティアなど、若い世代のその若いパワーを活用してボランティアをしている若者も当然いるだろうが、私がやっている余興タイプのボランティア界に10代や20代の若者は私の知る限りでは皆無。
なぜならば、聴いたこともないような民舞を扇を持って踊ったりするから。
『平日2日はゲートボールに勤しんで休日の早朝は太極拳』てなライフスタイルでなければ、伸ばした指先に広げた舞扇をスーっと持って来てピっと止めることに、シビれることなどとても出来ないことだろうと思う。
シビれなくとも若い体力とキレでよしんば扇を操れたとしても、それを愉しいと思えるかどうかは甚だ疑問である。
30代の私でもじつは扇を使って舞いながらも、その愉しさの半分も理解してはいない。
この理解度というのは明らかに年齢が関係している。ジジババが演歌や時代劇を好むのと似ているの。まだまだ個性や奇抜やを好むような世代が、愉しみを理解出来るような嗜好ではないのね。
人生経験を豊富に積んだ年齢のひとが、様々なひととの関わりとそれに付随する悲喜こもごもを越えて超えて最終的に行き着く嗜好。そこには『定番』にも似た安心感があるものである。それでいてその舞いにはそのひとが歩んだ人生のストーリーが含まれているようなね。

私は子供の頃に祖母が三味線を弾くのを見て、その曲が何なのかも歌なのか語りなのかもひとつもわからなかったが、ただ祖母のバチが三味線を弾く時にはなんて凛としていることかと思っていた。
小学生だからその姿が『凛としている』とわかったわけではないが、小さいながらも三味線を弾いている祖母にはなんとなく近寄るのが憚られた。その理由が祖母が『凛としている』からに他ならなかったことに、高校生くらいで気が付いた。
凛としている姿がカッコイイのは中年以降の年齢の特権ではなかろうか。
若さでは勝てないが、我々には『凜』がある。小娘がいくら表面的に『凜』と見せても、40代の『凜』には勝てようはずがない。胸を痛めた回数が多いほど、凛とした姿にハクが付くってもんだからね、勝てまい小娘よ、おぬしの涙はまだまだ清いわぬはははは。マスカラが流れ落ちるのも気にせず黒い涙を流さんかいだはははは。

…と、小娘を罵ってしまったが、老人ホーム慰問が中心であるボランティア活動の世界では、37歳である私は『元気の塊』のような若さである。
ボランティアを始めた当初、慰問先のお年寄りから「いろんなボランティア団体が来ていろんなことをしてくれるけど、全部の中でアンタが飛び抜けて若い!一番、若いわ~!」と言われた時には、そんなにボランティア界に若者がいないものかと思ったが、本当にいなかった。
どこへ行っても私が若く、我が親よりも目上の方々と活動しているのが現状である。
『一番若い』が、実際はホルモンバランスも崩れだし大病を患いはじめるアラフォーの域なのだ。昭和50年産まれ、37歳。
見た目には出ていませんでしょうが、なかなかガタ、キてますよー。21歳から腰痛患ぅてますねん、毎年のように足の指は骨折しよぅし、ええトコゆぅたら性格と顔くらい。あとはドコもカシコも難アリですねや。

夏の病み始めに少々体重が減って見た目が病人らしかったんだけども、それからみるみる元気になっていったのを期に、ひとつだけのつもりで、ボランティアを個人的にやってみた。
知人の働いている介護施設で初めて夏祭りをやってみるということで『盆踊りをして盛り上げて』という気軽なオファーだった。
一番カンタンで知名度の高い炭坑節と東京音頭を踊って帰る予定が、その場が盛り上がりすぎてしまい、施設のご老人がカラオケで歌う河内音頭に合わせて踊ったり、職員さんが輪の中に混ざって踊ったり、盆踊り曲のリクエストが出たりと、騒々しいほどになって予定時間を大幅に過ぎる。
それでもご老人たちの盛り上がりはやまず、最後のほうでは各テーブルの合間をぬって踊り、アッチにコッチにとテーブルに座ったご老人と手を合わせ肩を叩き目を合わせ腕を振り、さぁ次は何かといった具合である。

そうやって盛り上がる中、おひとりの老媼が私に向かっておいでおいでと手招きをしているのが目についた。
施設に来られているご老人たちには、もちろん健康である方はいない。
車椅子の方、半身麻痺の方、視力・聴力・握力・脚力、様々な箇所に程度の差はあれど障害を持っておいでである。
手招きの老媼は、声がなかなか出ないようであった。クチをパクパクとさせながら私に向かってしきりに手招きをするので、私は踊りながら近づいて行き、老媼のクチもとに耳を添えた。すると老媼の微かな声は、私の耳にこう囁いたのである。

「たのしい、たのしい」

私はその瞬間、自分がいかに自分本位に物事を考えていたことかと思い知った。
「たのしい」は、私のものでもなく誰かのものでもなく、共有するものであった。
私は自分が「してやる側の人間」だという傲り高ぶった考え方をしていたのだ。
だから私が元気でなければ意味がなかったし、ちゃんと出来なきゃダメだった。
一緒にたのしむ気があるかどうかなだけでよかったんだな、ボランティアって。
それに技術があとから付いてくればそれでいいんだと思う。
やってゆく中で順を追っていろんなことがわかり、学び、実践して、経験にし知識にし技術にしていけばいいんだと思う。
病気だったら病気のままで出来ることが何かをしてみたらよかったんやな。
「たのしい」を共有できる方法でやればよかったことを、たのしめないと決めつけて。

今、私はボランティアのお稽古に行っている。
しんどい時には正直にしんどいと言い、2時間前まで行くつもりだったけど土壇場になって「鼻血が出ているからどうも行けそうにない」と言ったりもする。
「アンタそんなに続けて踊って大丈夫かいな~」と心配されながら「今日は調子ええから大丈夫~」と大丈夫な時にはここぞとばかりに踊っている。
誰も出るなんて言ってなかった今日のボランティア発表会に「出ようや~ほんで新規メンバー募集中って宣伝しようや~」と言い出したのは私である。
「まぅちゃんが出たいってゆぅなら、ほな出ようか~」と意を決してたった2回しか出来ないお稽古でも出ることに賛成してくれたハムさんとモリッチ。
ボランティア界で私は『若モン』なんであるが、このボランティアの世界で学べる奥深い人間の在りようを、私は私よりも若い世代に是非とも感じ取ってもらいたいと思う。

ボランティアの世界は一筋縄ではいかない。直面している問題点のほうが多い。
人間関係に於いても通常の社会より何倍も複雑で、何倍もややこしい。
このたった1年の間ですら、私は何度もやめてしまおうと思ったし、溜息を吐きながら動いたことも数え切れないくらいある。
それでも、これだけの数々の苦労を束にしても、たった一回の出会いやたった一度の感動がそれらをチャラにした。
このつまづきくらい何やねんまだまだやれる、と思わせてくれた。
このような経験があるとなしとでは、何かが違うような気が私はする。
それが何かはわからんが、若い世代が持っていて損にはならない、ということだけは言える。

若いうちの苦労は買ってでもしろと言うけれども、買うくらいなら、ウチのボランティアで活動することをオススメする。
なんたってボランティアだから年会費がないうえに、漏れなく様々な種類の苦労が付いてきますのでね、一石二鳥です。
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by yoyo4697ru980gw | 2013-10-27 10:16 | +ミルニング+ | Comments(0)  

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