どうでもよいことを考えはじめたらキリがおへん どうでもえぇのについつい考えてまう どなたサンもその状態が「ミルニング」どすぇ

セカンドオピニオンの危うさ

A病院の担当医に電話をかける。
まずは電話受付が電話に出てそれから内科の看護士につなぎ、そこから担当医、という面倒臭いシステムなのだが、まずは受付のひとが「内科の看護士につなぎますのでお待ちください」と言って、電話は切れた。

2回目の電話で受け付けに言う「電話が切れました、内科の看護士につながる前に。」再度、名前を訊かれる。内科の看護士に繋がり私の意向を告げる「とにかく、阿部先生(仮名)と話しができませんか?」と申し出ると「少々お待ちください」と言って、また電話は切れた。

A病院へまた電話。
受付が出る。
名乗る(3回目)

「何度も電話が切れて3回目なのね、痛いし辛いから何度も同じことしたないねん。このままダイレクトに担当医と話すこと出来ませんの?」
「担当医はどの先生になりますかね?」
「血液内科の阿部先生です」
「それでは先生にお繋ぎしますのでお待ちください」
と言って、電話は切れる。
私もキレる。

A病院の電話に出た受付に、言う、名乗るのも4回目。
「先ほどから何度も何度も電話を掛けてその度に切られて掛け直している千徒馬丁です、何度も言わせないでねちゃんと聞いて。大きい病院で違う先生に診てもらうために検査データをもらい紹介状を書いてもらいたいのと、検査予約のキャンセルです。内科の看護士を通さずにこの電話を直接担当医である血液内科の阿部先生に繋いでください。私が直接、会話をします、今すぐに」
「大変申しわけございません、お待ちください」
3分ほどして担当医阿部先生が電話に出る。
この3分ほどの長い時間で、切れに切れまくった電話の状況把握に努めていたことだろう。
私が伝えた話の統合も出来たことだろう。
はい阿部です、と電話口に出た医師に私は言った。
「あぁ、阿部先生ですか?看護士のかたから話は聞かれました?」
「ええ。大きい病院への紹介状ということですよね?」
やはりか。
情報収集に3分かけたんか。
私が直接、会話をすると言ったのに。
又聞きよりも本人と話すほうが確実だし、看護士から聞いたとしても同じ内容のことを私に確認するのに、この3分に医者は私という患者の何を尊重してくれたのだろうか。
「そうですねぇ…どうしましょうか。ドコの病院とかの希望はございますか?」
「先生が脾臓の専門医をご存知ならその病院を紹介して欲しいと思いますし、おすすめの病院があるのでしたら、そこを紹介して欲しいと思います。こないだの検査のデータを持って他の医者の意見もききに行きたいです。何度も同じ検査をするのは体の負担が大きいので。」
「それは、そうですね」
「知り合いの看護士さんによると、B病院それからC病院、少し遠いですけどD病院が挙がりましたが先生はどう思われます?何科というのが他にありますか?」
担当医はドコと言われて思いつく病院も専門医も心当たりがないらしく、行くのであればC病院だと総合内科宛てに紹介状が書き易い、と言った。
他の病院だと、何科に紹介状を宛てていいものかが難しい、と。
「では、C病院の総合内科にしてみます」
こうして私は資料作成料をA病院に支払い、そのROMを持ってC病院の総合内科に半日の無駄骨を折りに行くことになる。

セカンドオピニオンが声高に叫ばれて久しいが、その現状はとても危うい。
セカンドオピニオンはひとを選ぶ。
厳密には医者を選ぶ。
何科のどの医師がセカンドオピニオンをどう捉えているのかで、扱いは全く違う、というのが私の印象である。
患者を生きる意味のある人間だとみているか、支払いの時に財布から金を出す客とみているか、その違いがわかるまで、患者は痛い患部を撫でながら、セカンドもサードもフォースフィフスとオピニオンしてかなきゃなんないのである。
そしてオピニオンの条件は回数を重ねるだけ、残念ながら悪くなるのだろうことが予想される。
どの医師に、その病院のどの医師を紹介してもらえるか、というのが重要なのである。
素人が自ら動いて人間味のある医師に辿り着こうとしたら、病人に評判の良い医師を痛みに耐えて10人ほど会う覚悟が要る。
悲しいことに、それが健康である私の身の回りの現状である。
病気とは無縁なためにかかりつけに行くのも5年に1回ほど、知り合いも健康そのものでお見舞いにすら滅多に行かない。
そんな医療と縁のない私がある日、突然に稀な症状を発症してもそれを相談する相手がいない。
ゼロからのスタート、ということになるのである。
しかし幸いなことに私には、看護士の知人が存在した。
そしてその知人が幸運なことに世界レベルの肝臓の専門医の病院に勤めていたのである。
私はセカンドオピニオンで出遭った最低の医師のことを、涙ながらに知人に話すことが出来た。
そしてその知人が私が医者不信に陥る前に、救いの手を差し伸べてくれたのである。

セカンドオピニオンのつもりで行ったC病院では年配の男性医師が診る前に研修医による予診を受けたが、予診を受ける意味が全くわからない。医学生の経験実習ということなのだろうか。
大学病院とはすべてこのようなシステムなのだろうか。
だとしたら、予診に時間を割き、診察に時間を割き、それぞれ待ち時間があるので、私よりも重傷な患者にしてみたら、とても辛い。
そこそこ元気でなければ大学病院は行っちゃダメ、体力が要る。

私が持参した検査結果のみを見て、年配男性医師が言う。
「それで?症状は軽くなってると自分で思うの?」
「運ばれた時には歩くのが辛いほどでしたから、それからすると歩けてるわけで、マシだと思います。でも痛い。運ばれる前に戻ったわけではないです」
「そりゃ治ってはないんだろうから、前のようになんでもないわけないのはそうでしょう、悪くなってから今日までだんだん良くなってきてるのか、てこと。どう思ってるの?」
医師は半笑いで訊き返した。
そんなに的外れな回答を私はしたのだろうか。
半笑い語尾はとうとう医療現場ででも使われるようになったのか。
「マシです」
「じゃぁCT撮ってみてくれる?」
「そのCTは何を撮るんですか?肺ですか?」
「脾臓が大きくなってるのか、変わらないか、小さくなってるか、の確認だよね」
「経過観察のためのCTてことですよね?大きくなってたら?」
「入院して詳しく検査していくしかないわな。ほんとは検査入院するのがいいけど、入院はしないの?」
「しません」
「じゃぁCTで大きさ見ないとね。あと今日は採血して帰ってね」
それで医師の診断は終わった。
持参したデータをパソコンで見ただけ。
触診もなければ、聴診器を出すでもない。
挙句の果てには、「看護士さ~~~~~ん!」と同じスタッフである看護士の名前を呼ぶこともなく、やって来た看護士さんに「コレ、○○はドコに入ってるんやったかなぁ?」と患者の前で訊く始末。
大きい病院だからスタッフの数も患者数もそりゃスゴい。
だが、いくつもの部屋に分かれたひとつの診察室に、居るのは男性医師と、その後ろのデスクで気配を殺している研修医らしき人物、看護士、の3人である。
何人もの看護士がいて、入れ代わり立ち代わりウロウロしていての「看護士さん」との呼びかけなら、わからんでもないが、その看護士ひとりきり、である。
私が問診を受けている間も医師の向かいに立って話しを聞いていて、時々は資料などを取りに姿をくらました瞬間もあるが、医師に呼ばれてやって来たのは、その看護士である。
今日の診察をひとりの看護士がサポートしているような環境で、同じスタッフの名前すら呼ばない医師に、私は自分の身体を診て欲しいとは思わなかった。
信頼関係以前の問題で、そのひとと何か関わりをもとうとするなら、それがましてや仕事上のことなら、何よりもまず名前を呼ばないと始まらない。
私が気休めに通ったお灸屋の院長でさえ、私の病状に匙を投げた院長でさえ、2回目の来院の際には「千徒さん、こんにちは」と名前を呼んでくれた。

私は私の顔を見ずにPCの画面を見つめている医師に、質問を投げかけた。
「今、お灸とマッサージやってみてるんですけど、どう思います?効果があると思いますか?」
お灸屋の院長が、やっていて害はないかどうか確認したほうが良いとすすめていたので、この質問をしたが、私には違う目的があった。
院長が言っていたのである「まぁ、やって良いとも悪いとも言わないと思いますけどね。病院の先生は東洋医学を毛嫌いしているひとが多いですから」と。
だから、この医師が毛嫌いしているのを、あからさまに出すか出さないか、ということの確認。
医師はあからさまに出すタイプ。
ハナで笑いながら私にこう言った。
「そ~れはアナタが一番わかるコトでしょ?効いてるか効いてないか」
「鎮痛薬を飲んで痛みが和らぐのと、お灸して痛みが和らぐのが、同じくらいの和らぎの具合やったとして…」
「どっちのほうがイイかって?」
「はい」
医師は、私の質問を私自身に最後までさせることさえ、しなかった。
「そりゃ、安いほうがえんちゃうの?」
「まぁ、それはそうね」
医学的に身体を考えての意見を言う気はサラサラないようである。
安いほうがええからすすめられた入院も拒否するし、キかないとわかってて激安の市販薬を服用するの。
だから安くなかったら、あとは自然に死ぬかな。
極論、そうなっちゃうよね。
金を出してきたら、身体一番の基準なんてひれ伏す。
一番安い方法は『ほっとく』てコトだから。

なんて患者の気持ちに寄り添わない医師なんだろう。
費用の工面が大変なのはわかるけど身体のことを思ったらこうするのがベスト、というアドバイスだったり、「自分が同じ状態ならこうする」という選択の基準を示すことくらい出来ただろうに、金にならない患者には何のアドバイスもしないらしい。
あぁかかりつけの人情クリニックの院長が恋しい。
頼まなくてもレントゲン写真を持たせて大きい病院に送り出してくれた院長。
必要か不要かがわからなくても、もしレントゲンをもっかい撮るようなことになるくらいなら、既に撮ってあるデータがあるんだからと持たせてくれる。
レントゲンの回数は少ないに越したことがない、ということを思えばこその判断である。
院長は患者に寄り添う医師だから。
患者のおばぁちゃんもどんなに待たされてもココに来る、てゆぅてた。「ひとがええから、大きい病院とかに行ってもみな戻ってくんねん。どんなに待ってもココがええねん、みんな」て。

大きい病院のメリットとは何だろう。
医大病院のメリットとは。
最新医療機器や最新医療技術の充実だろうか。
あと、研究成果の反映の速度だったりかな。
患者データの情報量が豊富だと、治療が適切か。
しかし、私は技術の高い医療を受けるためだけの通院を重視してかかりつけにする気はない。
病気の身体で気持ちが荒ぶのがイヤだ。
医師に会うのを楽しみにしたい。
私は人情クリニックの院長に訊くように、訊いた。
「動いたりせへんほうがええの?」
「仕事行くんでしょ?」
「行く。運動は?」
「じっとしといたら?痛いんでしょ?」
「痛い。お酒呑んだらあかん?」
「もちろんアカンに決まってるやん」
私のココロは決まったな。

同じ質問でも、人情クリニックの院長とのやりとりならこうなるはずだ。
「動いたりせへんほうがええの?」
「ええけどなぁ~どう動く?何したいん?」
「激しく踊りたい」
「楽しいの?」
「楽しいよ」
「ほなら、痛くないように頑張って」
「わかった。お酒呑んだらあかん?」
「あかんよ。呑みたいん?」
「最近、急に呑みたいねん」
「どのくらい?」
「ほんのちょーーーーーと」
「ホンマはアカンけどちょーーーーとだけ呑んでみるか?呑んだら今より3倍は痛いやろなぁ?それでいいなら呑んでみ?」
「えーーーーイヤやん。ガマンする」
「それがええ・それがええ」

C病院の触診のない診察が終わり、看護士さんが私に会計ファイルを渡し、後日受けるCTの説明をする。
「頭部ですね?」
「はぁ?」
「CTは頭部ですよね?頭?」
「なんで?頭、みます?」
「違いますっけ?少々お待ちくださいね」
診察室に入って出て来た看護士が言う。
「腹部CTでしたね」
「そうでしょうね」
脾臓が痛いってさんざん言ってたのを聞いてた看護士なのに。
PC操作を医師に教えてた看護士なのに。
腹部CTの確認だけをして去っていく看護士。
採血して帰るように言われてんのに、何してんねやろ看護士。
看護士が動かないので、私が動く。
診察室へ忘れっぽい看護士を探しに行く。
ちょうど慌てて出て来た看護士と遭遇。
「採血、でしたね?!」
「そうですよね」
「すいません…」
すいませんぢゃぁ済みません。
私は混み混みの待合室で言った。
「この病院、大丈夫か?というカンジですね」

病名を特定する前に、寄り添う医師を見つけなければならないやってられない状況で私のセカンドオピニオンは終了した。
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by yoyo4697ru980gw | 2013-07-23 08:14 | +YOU WIN!!+ | Comments(0)
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