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ヒー坊は40度の熱が出ても歩くし、足の指の爪が剥がれても靴履くし、自分の体調不良にも非常に鈍い。
あまりに鈍いので無痛症なんぢゃないかと心配になって医者に診せたが、単に性格の問題だったことが判明した。
先天的な脳の状態が理由で発達が遅れていることを『母親に責任はない』という言い方を医者も福祉のひともするが、基本的にはそうであろう。
しかし後天的な訓練方法として何か手を打つ場合に『育てやすい子は発達が遅れる』という、ひとつの落とし穴があると思う。

夜泣きなし、ぐずりなし、ウロチョロなし。
ヒー坊は、通常ならば母親が目を離せないと思う期間に、全自動洗濯機なみに目が離せた。
泣きもせずに勝手に眠り、起きても滅多に泣かない。
わっ!起~き~て~る~っ!いつの間に?!とびっくりするくらい気配を殺して起きる新生児だった。
BOXティシューを取り出して次から次に食べている1才のチョモのクチを無理からこじ開けて吐き出させている間に、たった20㏄のミルクでコテと4~5時間は眠りこけるとても燃費のいい新生児だったのだ。

今となっては完全に言いわけだが、年子である我が子たちの育児条件からゆぅて、ヒー坊が産まれた頃のチョモと言えば、ちょ~~~ど好奇心旺盛なやりたい放題期であり、「とりあえずクチで確認する」という人間の一生でみたら最もアブナイ時期であった。
油断すると粘土をつまみにマキロンを飲みかねないのである。
目を離せるワケがないではないか。
そんな乳幼児を抱えた母親が二人の子供にアンテナを張ることには限界がある。
年子を産むくらいなら双子を産めとはよぉゆぅたもんで、同じ二人でも双子ならば一方が眠る時間帯にもう一方も眠ってくれる。
しかし年子は一方のオムツを替えている時に、もう一方が豪快に階段から転げ落ちている。
いくら若くて体力があり精神的にタフっちゅうても、目はふたつ。
21年の浅はかな人生経験と1年足らずの育児経験で、何の配慮が出来ようか。
考え付くことなど、所詮、知れている。
手いっぱいであった私の育児は、手のかからないヒー坊を後回しにすることでまわっていた。
それで見過ごしたサインがいくつもあったように思う。
私はこれまでの検査や訓練を、ヒー坊にとってベストなタイミングで行ってきたと思っているし、「これはしない」という選択をした事を後悔したことはない。ヒー坊の成長具合と性格を知っている母親である私がするべき選択に間違いはなかったと今でも信じている。
しかし、ヒー坊を後回しにしていた3ヶ月という期間に、私さえもっと注意深く意識していればもっと早くに気付けていた、と思い当たることがある。
それは、ヒー坊に反射の行動が見られなかったこと。

ヒー坊にミルクを飲ませていて、ウトウトと眠りかけていた時に、強風でドアが勢いよくバタンと閉まった。
このような状況では赤ちゃんというのはバッ!と手を挙げたりという反射をみせるものだ。
高い高い~と宙に放り投げたりした時にビックリして手足をピンと伸ばす、ああゆう反射。
大人の私でさえその音にビクっと身を縮めたのに、ヒー坊はそのままウトウトウトウトして、ついには眠ってしまった。
この時に、私が持った疑問は『耳が聞こえていないのでは?』ということだった。泣き声も殆ど聞いたことがなかったし。

私はデフの知人が先天性の聴覚障害だから「話す」というのが訓練をしても完璧にするのは難しい、と言っていたのを思い出した。
後天性の聴覚障害と違い、生まれた時から聞こえないということは話す訓練をしてもその発音が合っているか合っていないかを自分の耳で音として確認することが出来ないため、いくらテキストで、舌の動きと口形を勉強してその通りにやっても、本当の意味での発音がそのひとのモノにはならないのである。『健聴者に伝わる言語』であることを彼女は過剰に意識していた。それで会話の途中で必ず『わかる?発音合ってる?言えてる?』と確認を入れるのである。10代だった私は彼女の気持ちを考えることをせず、そのままでちゃんとわかるから、その『わかる?発音合ってる?言えてる?』を入れる必要はないと言った。それが会話の流れを止めている、と言った。彼女にとってはこのフレーズを含めて全てが会話であったのに、私は彼女に必要不可欠であるそのフレーズを不必要だと言ったのである。
それに気付いたのは社会人になって、言語は手話のみというご夫婦にお会いした時である。このご夫婦はどちらも読唇をし、互いの会話は手話で、健聴者と会話をするのは筆談であった。ある日、我が母コケさんがそのご夫婦と手話で会話をしているのを見、私はコケさんに訊いた。
「会話は全部、手話なの?」
「私がわからない時は筆談よ」
そして母はご夫婦に背を向けてこう言った。
「最初は話しておられたの…事情があってね、話すのを避けてられるから今は私のほうが手話を勉強しないとね」
この時のコケさんの言葉は私の胸を刺した。
デフの知人ユミさんのことを思って。

そのご夫婦が話さなくなった理由は『通じない』という弊害であった。自分たちは自分たちの言葉を通じると思って使うが、通じない、聞き返されるという事実に直面する。
誰だってそうであるが、自信がないことを堂々と表には出せない。
不安だから確認する。確認出来れば安心する。その安心が自信になり、自信を積み重ねるから、堂々と表に出すのである。

私は障害を持つ子供の母親として、隠さずに堂々と表に出すことをヒー坊には教えたいと思う。
発音が出来ない自覚のあるヒー坊は、おみくじを引いてその番号が40番だったことを、今年も私に言わせた。
絶対に通じないから言って、ちゅうて。
ヒー坊は『発音に自信がない』という絶対の自信を持っている。
相当の自信を積んできたので、今度は堂々と表に出すべきだね、ユミさんのように。
こんなに自信がないんです、と堂々と出し続け、そしていつかたったひとりにでも、この障害がどんな事実と向き合っているのかを理解してもらえたら、それがヒー坊の大切な役割だったのだと教えたい。

ユミさん、元気ですか。
私と言葉での会話をずっとしてくれて、ありがとう。
あなたの丁寧な言葉のひとつひとつが、今、私がヒー坊に教えられることの全てです。
そして今更ながら身に沁みます。
ユミさんがどれほど強いひとだったことかが。
by yoyo4697ru980gw | 2013-01-06 00:37 | +ミルニング+ | Comments(0)
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