キュウクツ

中学生の時とっても生きていくのを窮屈に感じていた私は、その捌け口として、心に響く詩人の心打たれるフレーズを油性マジックで自分の机に書く、というアッパラパーなことをしていた。
心に響かなくなったフレーズは消し、また違う詩集から抜き書きする。
ツルツルしている面に書いた油性マジックは消しゴムで強くこすると消えるんである。
自宅の勉強机で勉強はせずに、黙々と詩人の言葉を書く。
私がポケットに入れていた青色のマッキーは、机に詩を書くための筆記用具である。
じきに天面は詩で埋まったので、今度は机の下に潜って寝転んだ姿勢になりカキカキ。
机の脚や抽斗の裏にまで抜き書き範囲は広がった。

これは大人になって人づてに聞いたハナシだが、カキカキと抜き書きをする姿に『高校に行かないと言ってまぅは机に落書きばっかりしている』と、当時の母は悩んでいたそうである。
机の隅々にまで書くのでこれを父親タカボは「まぅはま~た“耳なし芳一”か、飽きんのぉ~」ちゅうて悩む妻に「ほっとけ・仏~」と言うので“フザけてるっっ…!”と母は激怒。

私の勉強机はとうとう書くスペースがなくなった。
それでも詩人の詩は私の心を打つのである。
そこで私はポケットから青色マッキーを取り出して、学校の自分の机に書き始めた。
その抜き書きの数が多くなってきたので担任が、朝のホームルームでとくに誰と名指しするわけではなくこう言った。
「学校の机や椅子に落書きをしているひとがいますが、消しなさい。皆さんは自分の家でゴミを廊下にポイと捨てたり自分の机に落書きしたりはしないでしょう?学校でも同じ行動を取りなさい。自分の部屋と教室は一緒です」
「先生!」
私は鼻血を出した生徒が保健室に行くことを申告するくらいの速やかさで手を挙げ反論した。

私は学校の机だから書いているのではない。
自分の机に書き切れず、自分の物と思っている学校の机にまで書いてしまった。
よくよく考えたら学校での私の机ってダケで卒業したら後輩が使う。机に書いたことは間違っているので消すけれど、先生が“自分の机には落書きをしないのに学校の机には書く”と思っているのならそれは先生が間違っている。
先生にとっては落書きかもしれないけど、私にとっては違う。
私は自分の勉強机にも書いている。
ウソぢゃないから家に私の机を見に来て。

「今日、学校の先生から電話があったぞ?机の落書きを見に来い、てたてついたらしいな?」
自営業だから100%電話に出ちゃう父タカボが言う。
先生は“たてついた”と思ってんだ。
髪の毛を脱色した前科者の私の言葉はなんでも親を呼び出す対象にするんだな、卑怯者の大人のやる事がこれか。
私がウソついてると決めつけやがって。
「学校の机に書いたヤツは消した。私は間違ってないし、たてついてもいない。それからウソもついていない」
「ん。お父さんもそう思う」
「へ?」
担任は放課後ウチに電話をかけてきて、タカボに確認を取った。

今朝、まぅさん本人にというわけではなかったのですが、クラス全員に向けて、学校の机に落書きをしているひとがいるが自分の机には書かないだろう?学校の机も自分の机と同じように扱えと指導しましたら、娘さんが手を挙げて、自分の机にも同じように書いてある、私にとっては落書きではない、家に見に行ってくれ、と言うもんですから確認なんですけれども、娘さんの勉強机はどのような状態でしょうか。

「あいつの机はマジックで字がびっしり書いとるわ。アレはもう机ぢゃねぇな、ノートじゃ。もうずっと前からそうじゃ。じゃけん、学校の机に書くのは間違っちょるからそれはオレも注意しとくばい」
耳なし芳一は耳に経文を書き忘れた和尚さんの『返事をしてはならぬ』という教えに聞く耳を持って従った。
しかし経文を書いていない耳は亡霊にもがれてしまった。
けれども芳一のことを心から心配する和尚さんの言葉にちゃんと耳を傾けることをしたからこそ、その魂までをも持っていかれることはなかったのである。
あぁ芳一よ…大人はみんな卑怯者だと私は卑屈になっていた。
聞く耳を持っていないのは、私のほうだったではないか。
ひとの言葉に傾けることをしない耳だけがいくら残っても、ひととしての心がもがれてしまっては、私の耳は何も聞かないのと一緒ではないか。

「ま・そうゆうハナシになったから、オマエ学校ではノートに書け、机には書くなよ」
翌日、私は学校で担任に呼び止められた。
「まぅ!昨日、先生な、お父さんと電話で話しをしたんじゃ」
「はい、父から聞いています」
「家の机にもびっしり書いてあるとお父さんから聞いたしな、お父さんもまぅの言ってることはウソじゃないし間違っちょらんて思う、とゆぅちょられた。まぅには落書きじゃなかったんやな?先生が間違ぅちょった、悪かった。でも机に書くのはイカンぞ、ノートに書け、ノートがあるじゃろう?」

先日ヒー坊が国語のノートの余白に、偉人の言葉を走り書きしているのを、教師が見つけた。
「ノート提出があってそのノートが今日返ってきたんやけどさぁ…メモ帳が挟んであってさぁ…国語の先生から…コレなんやけど…」

A.ショーペンハウアーの名言ですね。
私は彼の言葉の中で、“船というのは荷物をたくさん積んでいないと不安定でうまく進めない。同じように人生も、心配や苦痛、苦労を背負っているほうが、うまく進める。”というのが一番好きです。
辛い気持ちを知っていれば、その分だけ人にやさしくなれるものだと思ってます。
(でも、もし本当に辛いのなら、一人で抱えこんだらあかんよ!)
良かったら、千徒君の好きな言葉、また教えてください。
新米国語教師より

「A.ショーペンハウアーてひとの言葉やったんやなぁ…いい言葉やなぁ~書いとこ~っと、て思ったダケやのに…こんなオオゴトになってしまって…」
「どんな先生?」
「大学を出てすぐの新任の…まぅは知らないと思うけど…」
「若いということはこうゆうことを言うんやろうなぁ…より気持ちがティーンに近いんやろな、この先生。話しやすい先生だったらこの先生にいろいろ話したらえんちゃう?包み込んでくれるとか解決してくれる、ということには向かない若さやけど、ともに痛みを分かち合ってくれる、という点ではこの先生が適任やと思う、このメモを読むかぎりではね。心強い味方がおるもんやなぁ…アンタはホンマに恵まれてんなぁ…必要な時に必要なひとが目の前に居てくれるありがたさやなぁ…ありがたや…ありがたや」

子供にとって「親だから」というのが理由で不十分という時期がある。
まさに今、思春期の我が子たちには、親のアラばかりが目につき、私の存在は頭のテッペンから足の先まで全身全霊、不十分である。
こんな時期は親ではない違う誰かが、親以上に自分をわかってくれることを欲す。それが、反抗期の正体だ。

私は中学の時の窮屈さと中学の時の反抗と家出の数々と、別居を繰り返す両親のもとでの複雑な家庭環境と、冗談のような引っ越しの回数と、あれやこれやの雑多な問題、それら全ての経験が今に活きていると、つくづくそう思う。
その時々で良くも悪くも出逢ってきたひとびと全てが貴い。
そのことに気付くのに37年もかかったなぁ。
おそらく、かかりすぎ。
ええ、ええ、これからのちの世代へと辛抱強く同じようにしてゆきますので、どうぞどうぞ期待しておくれやす。

私がいつか気付くはずだと根気よく諭してくれた、あのころ私が一方的に敵視していた皆さんの恩に報いるためにも、私は道を踏み外していないか時々、ちゃんと立ち止まって振り返ろう。
そして自分の足がしっかりと地に着いているか、行こうとしている道が真っ直ぐかを、確認しようと思う。
人間は窮屈さを経て己の至らなさを学ぶもんだったんだなぁ。
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by yoyo4697ru980gw | 2012-11-24 00:54 | +YOU WIN!!+ | Comments(0)  

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