RADと中也とダダイズム

RADWIMPSというバンドの『おしゃかしゃま』という曲を聴いていると、中原中也の顔が浮かぶ。
中原中也の詩に音つけてんじゃないかとさえ思えてくるのである。
しかし今の子供たちは中原中也という詩人の詩に触れる機会がないようだ。
授業でやんないの?中也。
授業でやったけどな、汚れっちまった悲しみに。
中学高校という年齢の子供たちの情緒教育の教材としてとくにキくと思うけど、チューヤ。

PCからRADの曲が流れているのを聴いてチョモが言う。
「なんでRADなん???オレRAD好きちゃうねよなぁ…」
「好き嫌いぢゃないんだよなぁ…最近非常に気になる…このひとたちの曲て中也と同じニオイがすんだよねぇ…」
「チューヤ?」
「中原中也。サーカスぢゃん、有名やろ?耳にしたコトあるやろ?…幾時代かがありまして茶色い戦争ありました」
「知らんっ」
まぁ冒頭は…あんま有名ぢゃないかもな。

『サーカス』中原中也(抜粋)

頭倒さに手を垂れて
汚れ木綿の屋根のもと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

それの近くの白い灯が
安いリボンと息を吐き

観客様はみな鰯
咽喉が鳴ります牡蠣殻と
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

ほら、RADの歌詞にありそうな言葉のチョイス。
もぅこの詩を知ったら、空中ブランコのあのブランブランに『ゆあーん ゆよーん ゆやゆよーん』以外の擬音つけらんないほどにバッチシだよね。
ゆあーん・ゆよーん・ゆやゆよーん。


『盲目の秋』中原中也(抜粋)

それはしづかで きらびやかで なみなみと湛え
去りゆく女が最後にくれる笑ひのやうに
厳かで ゆたかで それでいて侘しく
異様で 温かで きらめいて胸に残る
ああ 胸に残る
風が立ち 浪が騒ぎ 無限のまへに腕を振る
これがどうならうと あれがどうならうと
そんなことはどうでもいいのだ
これがどういふことであらうと
それがどういふことであらうと
そんなことはなほさらどうだっていいのだ

ね、RADっぽい。

RADが歌いそうな歌詞がリンクする詩を、大正・昭和と綴った中原中也。
どんな時代であろうとも、青年の中にはダダイズムが佇むものかと思う。

この詩人を語る時に必ず引き合いに出される高森文夫という御仁がおられるが、この高森文夫というキーマンは中原中也の精神を短い期間で濃くえぐった人物で、我が故郷、宮崎県東郷町の詩人である。
若山牧水が有名なばっかりに取り沙汰されることの少ない人物であるが、牧水記念館には高森文夫コーナーがあり、そこには中原中也が高森宅を訪れた際に撮られた写真が展示されている。
藁の山の上で孤独の塊のような中原中也が死んだように眠っている。
この異様さとゆぅたらないというほどの目を離せない一枚ったらない、と私は思う。中原中也をかじったひとなら同じ感情が湧くだろうから、検索して是非みられたい。「中原中也 高森文夫」で画像検索したら出てくるのでね。
中原中也とは思えない生身っぷりに、高森文夫に興味が湧いてくること請け合い。

お釜帽を被ったあのいかにも神経質そうな中也は今にも死んでしまいそうだが、死んだように昼寝をする写真の中也は確実に生きている。

どうしようもない男だなぁ~という勝手気ままな男は、酒豪の文人に多いが御多分に漏れず中原中也もそうだったようで、日がな一日呑みまくっては年少の友人高森文夫に毒づいた。
この写真を撮っている高森文夫の「やれやれまったくしょうがないなぁ」が聞こえるほどにしょうがない男、中原中也。
精神を病んでしまうまで、どうして自分を解放しないでいるのだろう。
昔の作家は気前よく死んだり精神を病んだりするけれど、そうでもしないと良い文章が書けないのなら、作家なんてとてもやってらんない。
だって日常生活に支障がある職業で喰ってかなきゃなんないとは、しんどすぎるではないか。
独り身ならその因果を恨めば済むが、家族を養うとなるとハナシは別。
そう思うのはきっと私が女だからなんだろうな。
作家の女房でなくて本当に良かった。

人間がダダイストでいる期間はとても短いと思う。
思春期の終わる頃から大人へと移行するその途中のギュッとした濃い期間の少年少女は傷つき易く壊れやすい。
その期間とそれから脱した病み上がりの1年ほどがせいぜい。
少年少女たちはいずれは大人にならざるを得ない。
イヤでもなってしまうのだ。
それを拒む根性があると精神的に長くはモたない。
ダダイズムを持ち続けて死に急ぐか、飼い馴らして芸術に昇華させるのか、その選択が自由で、自分次第なのだということを、中原中也から私は強く感じる。
だから中原中也に魅かれるのだろうと、思う。
同じ理由で、RADの曲にも魅かれているような気がする。

そしてこのダダイズムに長く没頭するのが決まって男で、そうゆう男の多くがど~~~~~しょ~~~~もナイってトコに、女の私は強く惹かれたりなんかするんである。
これまで『をぐら百人一首』以上に女々しく詠まれたウタなんかないと思っていたが、RADの『me me she』という歌の歌詞がどんだけ女々しいか。終始、女々しい。いちいち女々しい。百人一首を上回るまわりくどさで、遠回しに遠回しに含みに含ませ、一周グルリとまわっちゃって、最高のウタに聴こえてくるからハマりそうでコワい。
RADWIMPS…侮れん…文章には関係ないがこのバンドのボーカルのひとが着ているニットがどれもセンスが良い。ニットデザインの参考として『おしゃかしゃま』のPVを見たのがきっかけで、私はRADWIMPSのその他の曲も知った。ほかの曲のPVも見てみたらこのボーカルのひとはファッションアイテムにニット率が高いのだ。そしてそのどれもがセンスが良い。
私は決して悪口のつもりでこの文章を綴っているわけではないのだが、きっとRADWIMPSファンにしてみたら思いっきり悪口に読めるだろうから、明らかに悪口じゃないことも書いておきたかったので、もっかいゆぅけど、RADWIMPSのボーカルのひとのニットのセンスがすごく良い。

私が男ならダダイズムに長く没頭してみたい。
んで女に面倒がられて邪険にされて、あげく恋愛に失敗して、ますます悲観的になってとうとうダダから抜けられなくなってみたい。
ほんで精神的にボロボロになって、人間失格の生き方をする期間を経て、ある日ふと思い出したように人生を立て直す。
60歳を前に並々ならぬ包容力を身に付けて急にモテるの。
この包容力の魅力ってのはアラフォーくらいの女が嗅ぎ取るから、ワシは自分よりも20も若い女をはべらすのさ、うひひひひ。
土地はミカにやろう。
マンションはヒトミにやろう。
ユキエとアキとアイコには高級車を買ってやろう。
一番のお気に入りチエには店を持たせてやるかな。
なに?プラダ?エルメス?ヴィトン?
買いなさい、買いなさい。
ラーメンが食べたい?
自家用ジェットを飛ばそうじゃないか、ちょっくら博多まで。

包容力をつけすぎて相変わらずど~~~しょ~~~もナイねん、ワシ。
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by yoyo4697ru980gw | 2012-10-08 21:20 | +難℃ set key+ | Comments(0)  

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