テレっとワーク ~ラウンド3~

庄子クンの話しぶりからすると、この職種を昨日今日始めたというわけではなさそうだ。この会社名では10年続いているかもしれないが、庄子クンの属する会社はその前に6年程、違う会社名で同じような業務を行っていた可能性もあるし、その前は3年で警告か指導かが入ったかもしれない、また違う会社名でね。法に触れないギリギリのラインで警察が介入できないシステムを確立していったかもしれないね。そして今日に至っての10年なら、今までの経験から対策を練った結果が今ということだろう。もちろん憶測ではあるから下手な事は言えないが、情報社会である今、ネットを使ってペペ~っと検索出来る簡単な操作をするだけでも「在宅ワーク」に関するクチコミで良い評価は少ない。それはご存知であろう。庄子クンの属している会社の所在地はね、巷では「悪徳商法会社がひしめき合っている」とのウワサが私の耳にまで届いている仙台なんだよ。その土地を選ぶべきではなかったと思う。「警戒心」をサービスで付けているような住所になるんだよ。
庄子クンは、最後で私をグイグイ引き込むような話術を持っているだろう。2日間の説明中、いつ何時も私が突っ込んで優位に立っていたわけではない。本当に納得してしまったような説明が数ヵ所あったのだ。それは演技やフリでなく、本当に庄子クンの説明に「それもそうだな」と納得した。納得できない部分にキて「いや…あぶねぇ・あぶねぇ」と我に返っただけで、もっと納得の回数が多ければ引っかかっていたと思う。だから、庄子クンの話術は小手先だけというわけでもないだろう。「何か質問があるなら言ってください、何にでも答えますよ?」との挑戦心を見せた彼には、営業で培った話術によほどの自信があったとみえる。よって「本領を発揮する」という選択をしてもよかったし、しないならもっと早い段階で見切りをつけてもよかっただろう。いつかのドコかの勧誘電話の営業のように、私に「ひやかし」っぽい様子がうかがえた途端その態度を豹変させ「はぁ?何がですかぁ?こちらとしても関係ないですしねぇ?」と逆ギレして電話を切ってしまうこともできたはず。しかし庄子クンはそのいずれもしなかった。彼は私が「半分以上疑っている」という態度であることは承知していた。おとり電話ではないかという考えも浮かんだであろう。対処法のマニュアルならバシっと頭に入っているくらいの実情はあるんぢゃないか、庄子クン?電話勧誘も訪問販売も「長引かせない」のがコツである。長引かせようとしている私の影響で図らずも長引いていると考えてもだ、庄子クン、ちみに「切り上げられない」という初々しさがあるとは思えない。「引き込める可能性が低い」と判断して最後のタタミカケをしなかった賢明な庄子クンよ、ちみは何を迷ったと言うのだ?

電話勧誘や訪問販売の「危うさを」一番に感じているのは、実は消費生活センターでも消費者でも警察でもなかったりして。電話で勧誘を行っている人間、訪問して販売しようとしている人間、それで喰っている人間が一番の「危うさ」を知っているのではないか。どの悪徳会社も「人を騙す職種です」と求人を出すわけはない。働いてみてから本人が感じ取り、気付くものである。人間には良心ってのがあるからね、気付かいでか。それを見て見ぬフリをして喰いブチを確保するか、切り捨てるかは当人の意志である。庄子クンは、なんせ迫り来るターニングポイントがチラ見えしちゃってる29歳だかんね。ま・私が勝手に推測した29だけど。
庄子クン、ちみには「本当にこのままでいいのか」という自問自答する迷いがあったのだろうか。

自分自身を偽り誤魔化すスイッチみたいなものが、人生のターニングポイントで与えられると私は思っている。そしてそのスイッチは、確実に自分で見つけて自分で押す。
私には、偽り誤魔化しているということではないが、自分で見つけ自分で押した「関西弁スイッチ」がある。このスイッチを押した時、私はまさに人生のターニングポイント上に居た。
普段は関西弁を使っている私であるが、故郷宮崎を離れ兵庫県に来た時はもちろん、宮崎弁を使っていた。同僚の殆どが関西弁であっても、職業が電話交換手であっても宮崎訛りのまま。しかし「この日を境に」というハッキリとスイッチを押した瞬間がある。いろいろな世代の関西弁を訊き、コッテコテの関西弁をも耳にし、同僚との会話の中で「自分がイメージしていた『関西弁』というものを、同じ世代のひとたちは実際の会話で使っていることなどない」と知った時である。私にしか理解できない方言では共感を得られない、説明のためにロスタイムが出る、という事実にもぶち当たった。小さい頃から慣れ親しんだ関西弁ではないのだから私の内に秘めたる感情を関西弁にすることは不可能に近い。しかしたいていの感情というものは「同世代間関西弁」を会得することでスムーズに伝わりそうだ。そう考えた頃には、同僚と同じタイミングで「アホちゃ~ん?」と突っ込みたいと思うような「関西ソウル」が身に付いていた。だから私はこの日に、自分で見つけた「関西弁スイッチ」を自分の意思で押したのである。私が今も使っている「宮崎訛りのまぶされた関西弁」には「スイッチ」が存在する。ゆえにONとOFFの切り替えも自分でやる。弟が相手なら「古い宮崎弁」になり、我が子が相手なら「エセ関西弁」である。どちらにせよ完璧にはこなせない。弟と我が子と交互に話しているうち、いつの間にか弟に対して関西弁を、我が子に対して宮崎弁を使っていることもある。バカになっとるねぇ、スイッチ。
自分を偽るということはこの「スイッチ」を持ち続けることである。バカになったスイッチを捨てるかどうかは自分で決めること。
この「スイッチ」を指が迷いながら押しているのだとしたら、その「迷い」がドコからきているものなのかは自分の心に聞け、ということだ。決心したひとは迷わない。迷わなければ何も変わらない。決心することばかりがよいとは限らないんぢゃないの?迷う時が変えられるチャンスぢゃんか。ほんでそうゆうチャンスって人生にゴロゴロ転がっててねぇ、かなんなぁ…庄子クン。おばちゃんなんて35クんのにま~だ迷う迷う、昨日もまよたで?たしかおとついもまよたわ。今日は迷わんとこかな~おもてんねけど、どうやろなぁ?明日の分までまよとこかなぁ?ついでやし。
私のお断りメールに対し、ダントツ行動の素早い会社に所属の庄子クンからの返事は無い。
ちみにも背中を押してくれるひとはいるかい?
スイッチはたぶん背中に付いてんで、見えにくかったのはそのせいだろう。

たった今、こんな電話がかかってきた。
「すいませーん、そちらにー…ジュンコさんーってかた、います?」
栃木か茨城の訛り。受話器の向こうでは何台もの電話がプルプル鳴っていて、3つくらいのブースでは会話中だという雑音が混じっていた。
「いいえ?いません。」
「あー…すいませーん、間違えましたー…。」
シマッタ…「はい、私がジュンコですけど?」と言うべきだった。この文章を仕上げていたこともあって「邪魔してんぢゃねっからな~(栃木か茨城)」という気になってつい本当のコトを言って切ってしまった。庄子クンはもうかまってくれないみたいだしなぁ…ジュンコに何の用事かくらいきけばよかったかなぁ…んもぅ~結局、今日もまよたやんか~。
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by yoyo4697ru980gw | 2010-02-23 14:29 | +in the sky?+ | Comments(0)  

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