どうでもよいことを考えはじめたらキリがおへん どうでもえぇのについつい考えてまう どなたサンもその状態が「ミルニング」どすぇ

自堕落

過日、保険屋さんに図書カードをもらった。「御贔屓サンに粗品でございます」みたいなことは保険屋さんで生きてんだな、と思う。いろんなことが機械化され、端末機を持って銀行員サンが訪問してくれることもなくなった。コンビニのATMには「いるならどうぞ」ってカンジでポケットティシューが無造作に置いてある。ひと対ひとの接客で、御贔屓サンに商店名の入った手拭いを配ったりすることに賄賂性は感じないが、それがどんどんエスカレートしていき酒や商品券やとなってくると、どうも賄賂くさい。取り引きのある企業からは石鹸一個すらもらわないというポリシーで生涯それを貫いた研究職のひとがいた、ということが美談として語られるのだから歳暮や中元はしっかり賄賂ということなのだろう。とくにそうゆうポリシーのない私は、もらえるモノなら何でももらうしあげられるモノがあれば何でもあげる。自動販売機の返却口に前の人がお金を取り忘れていたら「お釣りが増えた~♪」ちゅうて、ありがたく頂戴している。

2年分の保険料を前納した時に、保険屋さんが「子供ちゃんもいてるしおやつでも買ってこようかとおもてんけど、千徒さん何でも作りやるやん?まァちょこっとクッキーは持ってきたけど、何がうれしい?」と言うのである。我が家のおやつは質より量であるが「手作りをすると随分と安くで質も量も満足できる」と豪語しているのを保険屋さんは知っているので「ちょっとしたモノ」を思いつかないらしく、私に「何が欲しいか考えといて~」とのこと。また来た時に持ってきてくれると言うが「とくに何ってナイでぇ?引っ越しも控えてるし、何もいらんで。」とご辞退を申し上げた。しかし、最後に我が家を訪問した保険屋さんは「図書券にしてん。千徒さんよく本、読んではるやん?」と図書カードをくれた。
「あ~ありがと~う、ええのにええのにぃ、私の本なんて図書館やのに。読書にお金なんてかけてぇへんよ。」
「知ってんねんけどな?まぁ千徒さんが使わなくても子供さんが使うわ、おもてん。」
「すんませんなぁ…ありがたくもーときます。」

私は学生の頃からよく図書券をもらった。そのたびにいつも「なんか…すんませーん…」という気持ちになっている。それは、他人が思っているほど、私は読書家ではないからである。図書館で本が無料で読めるというシステムがこの世になかったら、絶対に趣味が読書ということにはならなかったと思う。「タダだから」という理由で、趣味が読書なんである。図書館がつぶれたら私はアッサリと読書という趣味を捨てるだろう。「本を読む人」なんて他人から思われているくせに、真っ先に私は活字を捨てるに違いない…そんな私に、図書券を、ありがとう、なんか、すんませーん…。私はきっと活字を捨てるような女サ…本なんか読んでインテリぶってるけどタダぢゃねぇと読まねぇもの。ちょっとカシコく見えてんぢゃねぇのぉ??という下心込みで司馬遼太郎とか手に取ってみるけど、実は開いたことは無い借りたことも無い読む気はもともと無い、取ってみただけサ。
そう思っていた、ずっと。それなのについに「新聞」に手を出した、読む活字がそれしかなくて。おっとコレこそ世に言う「活字中毒」の初期症状ではなかろうか。
がしかし、私は自分が子供の時に「ダメな大人」と見ていた行動を、今まさに取らんとしていることの恐ろしさに気がついた。

私にとって新聞を読むことは「大人」の象徴であった。新聞を読みたいトコだけ拾って読むということを私は30を過ぎるまであまりやらなかったし、やったとしても新聞広告面中心であり、記事はかじる程度。文面のコ難しさと繰った後の非形状記憶な紙の質が、敬遠するに十分な原因を私に与えていた。
「新聞を広げないような大人なんて、たいしたことねぇな。」
と我が身を振り返ってもそう思っていたが、例外にひとつだけ「新聞を広げている」のに「たいしたことねぇ」大人が私の中で存在する。
新聞紙ランチョンマットの法則
という勝手な法則をご存知だろうか。お察しの通り、そんな法則は学会で発表されたりなんてしていないと思う。していないとは思うが、説明をすればたいがいのひとたちが「あぁ、アレね。」とピンとクるはずである。
漫画家東海林さだお氏の4コマで、こんなシチュエーションをご覧になったことがあろうか。
中年サラリーマンがひとりでおコタにすっぽり入り、顔だけを出し新聞を広げその上にカップラーメンを置いて、カップラーメンの周りの記事を読んでいるうちに3分が経ち、おもむろに利き手を出して食べ始める。もちろん、犬喰い。記事の続きを読むためカップラーメンを左にズラすのであるが、なるだけおコタから出たくない根性のサラリーマンは寄せ箸方式でカップラーメンをズラし、案の定ラーメンをこかす。しかし「新聞を見開いている」というキャパであるランチョンマットは十分な広さがあり、しかも吸水性に優れているため大事には至らない。サラリーマンはラーメンが出来上がるまでの暇つぶしとして新聞を読んでいただけであり、出来心で記事の続きを読もうとしただけのことなのでとくに慌てることもない。汁びたしになっている記事はアッサリあきらめ、新聞紙の端を持ち上げてこかしたラーメンが新聞紙ランチョンマットから流れ出さないよう配慮したら、新聞紙にこぼれたラーメンをすすりつつ持ち上げた新聞の箇所の無事だった記事を読むのである。完食すればグチャグチャグチャと汁びたしの新聞をラーメンのカップと共にまるめ、ラクチンポンでコミ箱へのダンクシュートが決まる。
本当にそんな4コマの流れであったかと言われたら、そうではなかったように思う。「おコタにすっぽり入って新聞を広げカップラーメンを食べている」までは事実そう描かれていたと思う。その先の出来事はもっとマシだったとは思うが、こんな結末がスラスラ作れる雰囲気が、もう最初の1コマで存分に描かれていたと思う。
私はこの東海林さだお氏が描くところの「おコタつむりサラリーマン」を「あ…これ自堕落な大人だ…」と早くから思ってきた。こんな風に新聞を読んではいけないな、と思った。よい子なら真似しない、と思ったのにかなり近いことをやってしまった。

図書館で長らく本を借りていなかったのでとうとう活字に飢えたのか、おコタにもぐって横になると折りたたまれた目の前の新聞に手が伸びた私は、見開いた新聞に肩肘付いて向こうの新聞の端を持ち上げた。…むむ?何だろうな、この感覚。
テーブルの上の飴を取る、舐める、もう1個取る、同時に2個舐める、ヨダレ垂れる。ジュルル…あららら。でもぉ~ココの記事って~とくに読みたいわけぢゃないもんねー。…ん?何だろうな、この感じ。
「ぎぃゃやぁあぁああぁああぁぁあ~…!!!!!」
コレってコレって…「おコタつむりサラリーマン」ぢゃんっ!!!
あ…自堕落な大人だ…。はっきり言い切れる「ダメな大人」だ…。
新聞の在り方…私の新聞のポジション…新聞の地位よ…私の新聞のステータス…新聞の価値…私の新聞のバリュー…

…こっちだったか…無念じゃ…。
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by yoyo4697ru980gw | 2009-12-28 01:15 | +YOU WIN!!+ | Comments(0)
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